ちゃんと即興しようぜ♪
気になっていることで、ちゃんと考えないことを議論しましょう!
☆
茂木健一郎が内田樹に投げかけた。
でも この時の茂木・内田セッションはうまくスウィングせず。
残念。
でもこれ↓、
気になっていることで、ちゃんと考えないことを議論しましょう!
いいね。いいですね。
知ってる知識のダウンロードではなく即興しましょ!
気になっていることで、ちゃんと考えないことを議論しましょう!
☆
茂木健一郎が内田樹に投げかけた。
でも この時の茂木・内田セッションはうまくスウィングせず。
残念。
でもこれ↓、
気になっていることで、ちゃんと考えないことを議論しましょう!
いいね。いいですね。
知ってる知識のダウンロードではなく即興しましょ!
先にその表紙の言葉お取り上げた「文藝春秋のGold Version」に1972年、全米四千人ディーラーがわいたと言う本田宗一郎のスピーチの最後の部分が紹介されている。
☆ ★ ★
昨年、私はヒューストンのNASAを訪れ、アポロ・スペースミッションの第一管制官であるルーニー氏と会見する機会を得ました。その際、ルーニー氏は、スペースクラフトのメカニズムがどれほど高度にコンピュータ化されようとも、プロジェクトの成功の重要なカギは乗組員と地上の管制官との人間関係に依存するものだと話しておられました。この、機械が進んでも人間が基本という考え方は、機械文明が際限なく進歩を続ける現代こそ、それを使う人と提供するものとの間に、心のふれあい、真のコミュニケーションが大切だと言うことを教えてくれます。これは、皆さまとお客様との関係にも大切なことであると信じます。
★ ★
人たらし、ですね♪
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文藝春秋のGold Version(5月号ビジネス増刊)は 「人たらし」たちのエッセンスを集めたものと表紙に書かれている。
この表紙の言葉、とても良いのでご紹介。
★ ☆ ☆
司馬さんは、太閤秀吉の成功を「人たらし」の天才と描きました。 ①滴るような可愛げと笑顔 ②気配りに満ちた贈り物と接待 ③褒め上手 ④何よりも人間そのものが好き・・・そんな人には誰もが魅せられます。 この雑誌は文藝春秋80年の歴史から、そんな「人たらし」たちのエッセンスを集めてみました。
☆
人たらし。
なんて魅力的な言葉でしょう。
リーダーシップなんて西洋言葉よりも「人たらし」って言葉のほうがビンビン感じるもの、伝わってくるものがあります。
田口ランディさんのブログで3月19日にアップされた「淋しいということ」という記事の中にこんな言葉を見つけた。
会社って、いいよな~って思う。同じ目的の者同士が席を並べて、声をかけると誰かが応えてくれて。なんとなく親密感があって。「今日、飲みに行こうか?」「いいね~」みたいな会話があって。
もう求めてはダメだとばかり言われている「会社共同体」、会社の中でのコミュニティ、つながり。
ここ数年、本当に失われてしまった印象のある会社・組織の中での心のふれあい。
しかしどっこい、働きがいとか成功の手応えのベースに「つながり」があるよね。
ねっ、実感ありますよね?
★ ☆ ★
カネよりコミュニケーション。地位よりつながり。経済より社会。。。。と腹の底から思います。
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「我、拗ね者として生涯を閉ず」本田靖春著
随分と話題の本で、あちこちの書評で取り上げられている。
ボクも買ったが恒例(!?)、まだ読んでない。
★ ☆ ☆
ノンフィクション作家佐野眞一の朝日新聞の書評に次のようなフレーズを見つけた。
善意と無限の可能性が疑いなく信じられた戦後という時代の幸福で短かった空気を(略)書ききった。
戦後、それは「善意と無限の可能性を疑いなく信じられた」時代だったのか。。。
確か大澤真幸はそれを「理想の時代」と定義していた。
しあわせ-幸福-、がわかりやすい時代だったわけだろうか。
いや目の前の驚き、いまのトキメキを、未来の理想のために犠牲にしていた時代でもあったんだろう。
河合隼雄の「大人の友情」
「つながり」を回復しなければ と焦っている方、どれくらいいらっしゃるんだろう。
かくいうボクもそうなのだけれど。
昨日19日の朝日新聞朝刊 opninion◎news project に河合隼雄のコメントが掲載されている。
欧米の人たちのまねをして、もっと「個人」を大切にと思って「しがらみ」を切っているうちに、大切なつながりまで切ってしまったというのが実情ではないか (略) 日本式ベタベタの関係か赤の他人か、という両極ではなく、その中間に「友情」という豊かで微妙な世界があることにに、日本人も気づきはじめたのかと思う。経済の高度成長を成し遂げてきた日本人が、より幸福になるためには「こころのつながりの回復」が必要である。(後略)
★ ☆ ☆
幸せとはなにか ということを探求しはじめて「しあわせ」「幸福」という文字が目に飛び込んでくる頻度が増えた。
友情が「しあわせ」の大きな要素であることは書くまでもないが、でもなおなんどもなんども確認されて良い。
コメント入れつつ書こうと取り置いていたのだけれど、時間なく とにかくアップ
アエラ1月17日号で「しあわせ」についての記事。
「幸せとは何か」をゆっくり探求しようと思ってたのに、こういう特集が組まれてしまうわけですよなぁ。
もうちょっとボクの感覚は時代を先取りしてたはずなのに(<完全なる天狗)、同時代に反応するようになってしまったか・・・トホホ
☆
アエラの特集を発言者別に再編して記事アップとしておきます。
☆ ★
【吉本隆明】
・わたしたちはまえを向いて生きているんですが、幸福というのは、近い将来を見つめる視線にあるのではなく、どこか現在自分が生きていることをうしろから見ている視線のなかに、ふくまれるような気がするんです。
・この年になると、短いスパンを取らないと、楽しみなんてひとつもない。時間を細かく刻んで、いい気分だったら幸福と考え、悪い気分だったら不幸と考える。ただ、意識的に刻むようにしている。
★ ☆
【作家・玄侑宗久】
・幸せとはですね、独立したいまを生きることでしょう。そのとき主義です。瞬間瞬間のいまを味あわないと現在の意味がない。将来のためにいまを使うなんて、二度とない『いま』に申し訳ない。
・「がんばったからゆっくり」は因果律。1960年から1970年頃までに生まれた世代は「がんばったからなんとかなる」因果律の権化みたいな時代を生きてきた。
・因果律の悪循環からの解放を邪魔するいちばんの厄介者が、現在の教育で重視されている「個性」とか「アイデンティテイー」とかいう言葉である。
過去の集積物を一般化したような個性という考え方は、人間が本質的に変化することを否定している。人間のなかには無数の自己があり、ひとはその間を揺らぎ続けて生きる。意識を、自分の内部のたゆまざる流動に持っていき、どんどんと変化すればいいんです。
・いまの自分は方便で生きているという姿勢。
方便とは「仮の姿」というよりも、「いまの姿」。連続性を前提としない。「現在のわたしは便宜上こうやってますけど、別なときには、なにをしでかすかわからない人間ですよ」という開き直りが、幸せにつながる強さを生む。
そのときそのときの方便としての役どころ、志を作りながら生きるんです。そして、瞬間瞬間にその志も脱ぎ変えていけばよい。
・立派な志でなくてもいい。そのとき、できることにする。時間を守ろうとか、妻に尽くそうとか。仮に意に沿わない結果になっても、志があればたまたまタイミングが悪いだけ、ととらえられる。
☆ ☆
【ライター・森綾】
・ゆっくり生きたいと考えている同世代は多いんですが、わたしたち40歳前後の女性は、ゆっくりするために、がんばるんです。
・わたしたち40歳前後って、幸せ、快楽、達成感がごちゃごちゃになっている世代。外からの刺激による快楽、がんばった達成感による幸福感が、大きくなりすぎているんですよ。
★ ★
【明治大学教授・斉藤孝】
・子ども時代にはだれもが持っている自己肯定力は、20代に社会に出てから出現する自己客観視力によって壊されてゆく。他人との比較で仕事ができない、女性にもてない、年収が低いなどなど。だからこそ、現在の自己を肯定する力を意識的に育てないと、双方のバランスがどんどん悪化してしまうという。
・自己肯定力養成法は、その時々の自分の身体の内部の快不快を第一基本にする。
☆ ★
【立松和平】
・57歳になって思うけど、いちばんは中庸、幸せを意識しない幸せだ。将来を考えて生活を楽にしようと考えると、いまがしんどくなる。いま幸せを意識しすぎると、守ろうとするんだな、人間は。
★ ★
【これは譲れないという幸福な時間-アエラのアンケート結果】
・主人といっしょにお風呂に入ったあと、テレビを見ながらその日あったことを話し、寝酒を飲む(47歳女性)
・干して乾いている洗濯物に、さらに10分だけ乾燥機をかけ、ふんわりと仕上げる。(38歳女性)
・毎朝、掃除、洗濯をすませたあと、、家内といっしょに取る1時間ほどのコーヒータイム(68歳男性)
・前向きに考えること、一方で、もうこれ以上は考えないという事柄も選択すること、欲張らないこと(32歳男性)
・現状に満足するために、気持ちの落としどころを見つけようとする。(35歳女性)
★ ★ ★
達成感とか充実感ではなく、雨の日曜日が似合う「しあわせ」を探求しましょうと思っていたら、素敵な記事を連続して投稿してる ♪えとせとさんの記事があった。
立て続けに引用します
★ ☆
[ ♪えとせと: ■50歳までにしたい いくつかのこと ]目標を明確に立てて、それに向かってクリアしていくことを、自己啓発系の本でも推奨しているよ。でも、なぜだろう。わたしにはそれがどうしてもステキなことに思えない。それより先輩のコトバの方が100倍もステキだ。
ビジネスなら「目標に向かってすすむ」が重要なんだけど、そしてそれは達成感とか充実感を与えてくれるし、なにかに駆り立てられるわけなんだけれど。。。
でもね、それをしっかりと見定めることができるなら多くの場合それは外からの動機付け。
内からの動機ではないケースが多い。
先輩の 50歳までにしたいいくつかのこと っていうのがまた素敵なんだけれど、でもなぜ50歳までなんだろう。
50歳過ぎて で良いんじゃないのかなぁ。
☆
続いて 1月5日の記事。
年末になくなったソンタグの言葉が紹介されてる。
[ ♪えとせと: ■反生産の哲学 ]「人間はいつも、ある意味で、自己を過去から解き放とうとしている。なにかを生産するということは、新しいものを生むということですから。ところが、それは一種の奴隷制でもある。」(ソンタグ)
目標に向かって突き進むことの不幸せと同じ。
自己を過去から解き放とうと新しいものを生むという生産とは奴隷制でもあるとの指摘。
ここにもしあわせってなんでしたっけか?との問いが横たわる。
他方、安定が依存を生み、依存が隷属を生むのなら、安定もまた 不幸せの火種・・・・
☆ ★
しあわせって、難しいことではない。
ただ、鈍感ぢゃダメ。
単純な直線でも平面でも立体でもダメ。
空間に時間とか臭いとか色とか、、、それらがあるのが良い。
雨の日曜日、
日常の中の偶然やとても小さな奇跡、
それらを味わい嗅いでいるワタシがいること、、、、そんな感じ、、かな。
★ ☆ ☆
で、♪えとせとさんブログからの引用の最後。
[ ♪えとせと: ■なんでもない1シーンで涙させること ]それよりも、なぜか涙が出たのが、映画の中盤で魔法で90歳になったソフィーが、美しい景色の前でたたずむシーン。特になんでもないシーンなのに、胸がぐっと熱くなった。なぜ、このシーンで涙が出るのか、自分でもとまどう涙だ。わたしだけなのかと思ったら、一緒に見に行った妹もだと言う。
ハウルの動く城、
この記事に書かれている、そうまさにこのシーンはなんとも凄いのです。
圧倒される。
その圧倒のされ方が なんとも「しあわせ」な圧倒のされ方なのです。
目の前が開けるし、草花や景色が臭うんですよ。
奇跡ですね、このシーンが訴えかけてくるなにか。
んで、めちゃんこ 幸せな気分になります♪
去年の今頃、掃除中でした♪
去年のこのブログの記事↓
[ ono: December 2003 バックナンバー ]掃除中(T.T)わはははははははははははははっはははははははあっははははは掃除中。まだプライドも紅白もはぢまったっちゅうのに 年内完了目標!!!!!!!
その後、22時30分に掃除が終わったと記述してる。。。わはは、よーやる。
★
今年は既に掃除は終わり。
バッチシさ。
★ ☆
でも今年はちょっといろいろありすぎだったかも。
(思い出すに、正月におみくじをあちこちで5回ほど引きましたが全部「凶」だったもんねー
ふぇ~
で、
達成感とか充実感とかではない
雨の日曜日が似合うような幸福を探求することを
来年のテーマの一つとするのです。
ゆったりしたペースで探求しますので
気が向いた時に見に来てくださいませ
☆ ☆ ★
さて、今年も プライドとK-1と紅白で時の節目を向かえます。
「よく考えるとコストに占める人件費の比率は業界ごとに違うし、
たとえ安さにひかれて海外に出ても、
物流費や税金はかかる。
逆に生産現場と技術開発が離れてしまう大きなマイナスがある。
何が本当に必要な対策か熟慮しないで経営が揺れた企業は、
回復に時間がかかったのではないか」
★ ☆
今日の日経朝刊1面の張富士夫トヨタ自動車社長の言葉。
論理性や合理性なくボクらは意思決定をするし迫られる。
やっかいなのは正統性ってやつで、先行者や成功者のやり方を黙従してしまうそれ。
混乱してるから、正しそうなことにすがりたくなるし
関与者もそれを(黙従)求める。
「他もやってるぢゃないか、なぜうちはそれをやらない?」
そう迫られて、「いや、ちょっと待ってくれ」と言えるほどの
時間もデータもパッションも自信もないから、
正統性という呪縛から逃れられない。。。
☆ ★ ☆
技術重視を強調されていますが、技術は詰まるところ人ですよね、
とのインタビュアの質問に 張社長は答える。
「だから人材開発が永遠の課題なのです。
今は世界中で技能を教育委しているが、
製造の精神、考え方、価値観を植え付けている。
人件費は変動費で業績が悪化すれば人を減らせばよい、
と考える人に経営は任せられない。
『人件費は固定費』で、一度雇用すると解雇しない基本姿勢だからこそ、
普段から無駄のない現場にし
従業員の多機能工化などいろいろな工夫も出るのです」
☆ ★
こう言い切れるほどになり、
日経新聞がこの発言を取り上げることができる程度に
経済は健康を取り戻しつつあるんだろうな。
しかし、つい最近まで、こうは言えなかった。
人材流動化に向かって、
同調圧力、同化圧力があり、
リストラしない企業、人件費を変動費化しない企業は責め立てられた。
★
いまだ、人件費の変動費化や削減しか手がない経営者もいる。
「なにが本当に必要な対策か熟慮しない経営」は
世の流行に黙従・服従すべく永遠に漂流する。
自己と世界についての理解を広げるためコミュニケーション、
他者の視線を確保しませんとね。。。。。。。
友人に「夢は世界制覇」という人がいるのだけれど♪、ボクはそんな大それた事を考えたこともなく、でも世界は知りたいのです。
それもダイナミックで複雑な世界をそのまんま、複雑なまんま鷲づかみしたい。
で、そのように世界を知るためには対話が重要なのだとあらためて思う。
そんな折りに、「当然と思えることも内省的、自虐的な確認が必要」「確認作業には対話が有効」などというハーバーマスの発言に出会ってしまうと、もうノックダウン。
「すべての人を平等に敬うためには他者の視線でものを見る必要がある。自己と世界についての理解を広げるためコミュニケーションが欠かせない」
言語による合意形成の力をコアに据え、専門家と大衆の2極化した民主主義をもコミュニケーションにより公共圏(市民の言論の場)を通じて再生しましょうと言うハーバマスの探求の立ち位置も魅力的。
★
あらためて、対話ベースの世界づくりの場にちゃんと関わっておこう、強化しようと思いつつ備忘録として打ち込むクリスマスイブイブなのだ。
朝日新聞12月14日夕刊、コラム経済気象台より
☆ ★ ★
会社の利益が従業員の処遇に反映されない奇妙な時代になった。
史上最高益を記録しても、
債務の返済や内部留保に回してしまう。
幸せなのはお手盛りの経営者だけで、
サービス残業続きの従業員へは、
ボーナスへの数パーセントのプラスアルファがあるだけだ。
ここ数年は基本給のアップはないというのが普通になってしまった。
定期昇給制度する危うくなっている。
定昇は
「仕事を覚えれば給料は上がりますよ」という、
初任給賃金の低さが故の制度なのに、
初任給も塩漬けのママである。
アメリカの自動車工場の労働者のように2年過ぎればみな同一、
という賃金なら良いが、
若年労働者の賃金は低いままで「成果給」というのはメチャクチャだ。
来年は賃下げにならないだろう、
と奥田日本経団連会長は言っているが、
遠慮しないで下げたかったら下げればよいのだ。
いったい、いつまで経済団体が賃金決定への指標をだすのか。
賃金も市場にまかせればよいのではないか。
内部で人材を育成しなくとも市場で調達できると思っている会社はそうすればよいし、
人材育成こそが会社の生命線と考えている会社は社員を大事にすれば、それでよい。
自分たちは年功序列で育ったくせに、
部下は「成果主義」で、
という路線を取った見事な失敗例を「内側から見た富士通」(城繁幸著)が明らかにしたが、
賃上げくらいは自分で決めればよろしい。
同業他社を横目でにらむ時代は終わっただろう。
ここで労働組合にもガンバレと、
一言いいたいところだが、
それはまあやめておこう。
その気があれば言われなくともやるだろう。
言うまでもないことだが、
よい会社にはよい人材が集まり、
かつ定着する。
そろそろ従業員を大切にする、
とうたう会社が登場してもよさそうだ。
かつての家族主義に戻る必要はないが、
人材育成を売り物にする会社があってよい。
★ ☆ ☆ ★ ★
言い切っちゃったなぁ というコラムで気に入った。
残しておきたいな、残しておかなきゃな と全部打ち込んだ。
文句あるなら言ってくれ >関係各位
☆ ☆
今年、特に後半、ちょっと悶々としてたのだけれど
(というわけで、このブログが止まっていたわけではなく、止まっていたのは単なる気分っす)
村上龍の「成功者の定義」、とか
幸福感と充実感・達成感の違い、とか
不安とか信頼とか、
悶々を脱することができる要素がいくつか回りに集まりはじめた。。
引用(転載)した朝日新聞のコラムの最後、
「家族主義に戻る必要はないが、人材育成を売り物にする会社があってもよい」、
この言葉も暖かく厳しい言葉で方向性を示していて気に入ったのです。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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たちの悪い個人主義のなれの果て
☆
島根での24歳の養父による3歳児虐待 と
茨城での73歳の祖母が7歳児と5歳児の兄弟の首を絞めて
殺人容疑で捕まった事件の2つのニュースあと
古舘伊知郎が情報ステーションで「子どもの虐待」をコメント。
☆ ★
個人主義のなれの果てか・・・そうだよなぁ と感じたので。
★ ☆ ☆ ☆
またしばらく間が開いています。どうもリズムがつかめない・・
頂戴したコメントにRESもつけてない。ごめんなさい。
もし出来るならもうちょっと待っててくださいね。
岸本佐知子、本当に好きだわ(爆)
今日7月4日の朝日新聞の読書の頁にあるコラム『ベストセラー快読』に書かれた岸本佐知子の評論というかエッセー。
以下↓引用。
☆ ☆ ★
高校時代、「キティちゃんに性欲はあるか」をめぐってクラスで一大論争が勃発した。
「ある」派は
「キティといえども一介の猫だ。ケダモノだから当然性欲はある。現に両親もいて繁殖しているのではないか」と主張し、対する「ない」派は、
「言語をしゃべるんだから普通の猫ではない。第一あの両親はキティよりも後に生まれた」などと一歩も譲らなかった。
論争は更に発展し、ドカベン山田、サザエさん、ウルトラマンなどをめぐっても同様の熱い議論が戦わされた。
まあ早い話ヒマだったわけだが(ちなみに女子校)、誰もが知っている明るくさわやかなキャラに無理やり「萌え」ポイントを見つけるというその遊びは妙に面白く、異様に盛り上がったのを覚えている。
★ ★ ★
吉永小百合は うんこをするかというのと同じ?(コラコラ)
このエッセイの最後に 岸本佐知子があらためて考えた というキャラがのっている
あらためて引用↓
★ ☆
「○○に性欲はあるか」の○○にふさわしいキャラをワタシなりに考えてみた
1.グリコの走る人
2.カールおじさん
3.レレレのおじさん
なんだかおじさんばっかりだ。
この本「このつまらない仕事を辞めたら、僕の人生は変わるのだろうか?」、
このタイトル良いですね。
このタイトルの問はとても良いわ。
★
内容はこんなのだそうです(BK1より引用)↓
自分の生き方くらい、自分で決めたい…。心から打ち込めるやり甲斐のある仕事を探し求め、「人生で何をすべきか?」という問いに真正面から向き合った50人の物語。「普通」の人々の「特別」な人生を描いたノンフィクション。
ボクは、この本は買いませんが(オイオイ)、
でもしつこいですが、この問、良いですね。
★ ★ ☆
「このつまらない『仕事』を辞めたら」 というのと
「このつまらない『会社』を辞めたら」 という問がありますよねぇ。
ブログの記事アップのリズムが取れないのは、ブログだけではなく、仕事・生きること、それらすべてのリズムが変調しているからかもなぁ~ と やや深く悩んでいるフリをしてみる(笑)
☆
以下「決定的瞬間の思考法」ジョセフ・バダラッコ著の 監訳者金井寿宏神戸大学教授の解説より引用↓
☆
キャリア研究をずっとしてきていると、「いい生き方とは何か」という問を考えるようになる。
もちろん、悪い生き方といわないまでも、情けない生き方もある。
リーダーシップの研究に長らく取り組んでいると「いい影響力とはなにか」という問に考えをめぐらせることになる。
もちろん、わるい影響力、悪魔的な影響力さえ世の中にはある。
しかし、単に「いい」「わるい」というだけではすまない問題が、決定的瞬間では大事になってくる。
ただいい生き方、いい働き方、いい影響の与え方というよりも、深い問がある。
それは「倫理的にも納得のいく、こころのある道とは何か」ということだ。
それを、組織生活のなかで探ることは、孤島に生きるロビンソンクルーソー以上に難しいはずだ。
ひとは一人で生きているのではないし、働いている世界では、多くの利害が周囲を飛び交じっている。(略)
組織では実際に正しいことができないことがある。新聞やテレビで、いろいろな不祥事をみてきた、担当者個人としては正しいことをすること、ミドル、マネジャーとして正しいことを決めて実施すること、トップとして社会のなかでまっとうな決断と行為のなかで生きること、これらはしばしば容易なことではない。
でも、みんながこのことをあきらめたら、世の中は、混沌の極地となる。
映画のなかだけではなく、現実のなかでも、正しいことができないと嘆くような状況が会社や病院や学校などの組織においてもしばしば起こる。
ながいものにはまかれろというタイプではないひとも、宮仕えのなかで理不尽な意思決定を迫られることもあるだろう。
それでも、正しいこととあやまったことの見分けがつく限り、その種の選択問題は、まだまだ手に負える問題だ。
☆ ★ ★
どうしたら稼げるか、どうしたら勝てるか。という次元で「これからの働き方や人生」を考えること。
1つ深く自分を掘って、
いい人生を過ごしたいな と「これから」を考えること。
更に自分をもう1つ掘って、
こころある、正しい生き方をしたいな と「これから」を考えること。
どうやら、この種のお悩みやら問やらが、多くの働く日本の人びとにうっすらとまとわりついているようで。
答えが出た人もいるし、答えは出ているのだけれど動けない人もいるし、昔、答えを出したのだけれど、人生の節目になって、あらためて考えはじめた人もいる。
ボクのまわりだけではなく、ボク自身も、あらためて考えたりしてますなぁ。あらためて。
くそ暑い中、この暑苦しい答えのない問に向き合う・・・・・しんど。
んで、リズムがうまく取れないのだすよなぁ~
日本経済新聞の6月20日日曜日朝刊。
池田清彦早稲田教授による「生物進化考」というコラムの最終回だった。
ヒトの遺伝子をどんどん変えると ヒトは別の生物になるのだろうか という興味深いテーマ。
後半を引用する
★ ☆ ☆
過去の生物たちは発生システムを不可逆に変化させることにより別の種へ進化したのだ。
自然がそれをなし得たということは、原理的にはできるということだ。
今の所、どのような操作をしたら、システムが不可逆的に進化するかわからないだけだ。
そのような技術が確立されたとして、それをヒトに応用すれば、人工的にヒトを別の生物に変えることができる。
悪魔の技術だと思う人もいるだろう。
しかし、ヒトの本質を守るべきだという倫理的な根拠は、ヒトの思考の中にしかなく、脳の生物学的構造が変われば根拠そのものが変わる。
人間は自己の都合のために自然をさまざまにいじってきた。
しかし、ヒトを変えれば都合事態が変わってしまう。
それは善悪の問題ではなく、善悪の基準を変えることだ。
我々は今、そういう恐ろしくもスリリングな時代のとば口にいる。
☆ ★ ★
21世紀は倫理の時代と言われている。
そうなんだろうなぁと思うし、象徴のように倫理系の本も新刊がどんどこ発売されている。
そんな中にこの主張「倫理はヒトの思考の中にしかない。ヒトを変えればヒトの思考という都合事態が変わる」が、提起され(投げ込まれ)、ふっは~~~と思ったのでした。
こういう問題提起は、ムシムシする初夏の日曜日にはキツイわ と思ったのでした。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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昨日の朝日新聞夕刊。
立命館大学に移った 立岩真也教授(社会学)がとても重要な論文を寄稿している。
全文が 立岩氏のHPにのっているので 好きだった部分だけ引用しておく。
★ ★ ☆
私でも心配なのは政治に関心のある人たちのことだ。
その人たちはまじめでそして憤っている。そしてそれにはもっとなところがある。この間の現実を進めてきたのは、現状維持の保守勢力だけでなく改革を言う人たちであり、それを支持する人たちである。既得権益を排除し無駄を減らすという主張はまずはもっともで、だから支持される。不当に得をしているらしい部分を削っていこうという。ところが、いつのまにか身に覚えのない自分も削られたりする。実際にそうなってしまえば思い直してもみるかもしれないが、自分は大丈夫だと思っている人は、また当落線上あたりにいる人も、いま立ち止まってみるのは甘く、甘いことを言うのは非現実的だと思っている。
そしてこの路線に批判的な人たちも、及び腰になってしまい、その路線では「弱者が救われない」といった湿っぽい言い方をしてしまう。しかし今どきの人たちは湿っぽいのがきらいなので、かえってそれは逆効果だったりする。
私はそんなとんがった人たちが怖くもあるが、またそこに希望もあると思う。弱者という呼び名は社会がつけたのだという感覚は、基本的には当たっている。しかしそう思う元気さが見当外れなところに向かってしまっている。
だから、そういう人にはかえって、正面から基本的なことをはっきりと言えばよいと私は思う。私が正しいと思うのは以下。必要と稼ぎは人によって違うので、必要の方に合せて世にあるものを分配する。それは政治の仕事であり、それ以外に政治がすべきことはとても少ない。たしかに無駄なことを政府はたくさんしているのでそれは減らす。そうしたら社会の停滞が起こってしまうという心配はわかるが、ここは焦らず落ち着いて考えてみれば、それほど心配することがないことがわかる。
☆ ★ ★
「既得権益を排除し無駄を減らそう」といういかにももっとも主張は、支持されてしまうが、その支持によっていずれ身に覚えのない自分を襲うことになること。
まずこの↑指摘にあらためて深くうなずいた。
もう1つ。
必要と稼ぎは違う。必要にあわせて分配の方法をしっかりやるのが政治の仕事であること。
立岩氏の重要な重要な主張でありお仕事テーマなのでする。
週間ダイヤモンド6月12日号の特集「明るい成果主義」に寄せられたエッセイ?、
慶応大学院教授・高橋俊介「上昇志向をあおるだけでは限界」より
旧来のサラリーマンは「出世しないと幸せになれない」と刷り込まれていたため、将来のポストや、それに付随する金銭的魅力のために働いた。 また、同期に取り残されたり、降格されたりしても、歯を食いしばって頑張った。 会社側が「出世しないと幸せになれないぞ」と言うことを社員に再確認させるために人事制度があった、といっても良い。 しかし現在、多くのサラリーマンは、「人並みでいい」と考えている。 上昇志向の低い人たちが6割以上を占める多数派となっている。(略) 彼らは、なにか(ポストやカネ)のために働くのではなく、むしろ充実感や誇りを感じながら、主体的に仕事に取り組みたいと考えている。(略) だから企業側はこれまでのように、ポスト、カネなどのアメを与えながら、威圧的、支配的に命令する管理スタイルは通用しない。
★ ☆ ★
さて高橋俊介のこのもっともらしい分析に2つほどケチをつけておきたい(笑)
まず1つめ。
本当に「人並みでいい」と考えているのか?
昨日の記事でも書いたが、給料以上働きたいと思うような「仕事」を経営が作れてないだけじゃないのか。
くだらない仕事に埋没するくらいなら「人並みでいいわ」とばかりに多くのサラリーマンから会社がなめられてるだけではないのだろうか?
★
もう1つ。
増えてきた多くの人並みでよいと考えるサラリーマンは「主体的に仕事に取り組みたい」と考えている層なのだろうか?
主体性とは、会社という社会と積極的な関わりをもつからこそ「やりたい」「やりたくない」という主体性が生まれるはず。
そんな会社という社会と濃密な関係を取り損ねている人たちを「主体的に仕事にとりくみたいと考えている」と分析するって、高橋俊介もいいかげんな原稿を書くようになったもんだなぁ。
★ ★
みんな、多くのサラリーマンは「主体的に」「濃密に」仕事をしたいと思っているんです。
その仕事が用意できないへっぽこ経営者が多くなっただけの話でしょう?
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
----------------------------------------------------
これは現(うつつ)から疎外された夢の話なのかもしれない。
だけど、夢あっての現(うつつ)。
夢なき「現実主義」は、むしろ現実を傷める。
☆ ★ ★ ☆
今日5月23日朝日新聞の読書頁、
辺見庸著「抵抗論-国家からの自由へ」の書評を書いた宮崎哲哉の言葉。
☆
そか。
夢あっての現在なのだなぁ。
夢なき現実主義は、現実を傷めるんだなぁ。
めちゃくそ、反応した「理」だったので、備忘録として、こころに留めておくためにアップ。
☆ ★ ★
あら?6月中旬までアップしないんぢゃなかったの?と思った方いらしたら、ごめんなさい。
状況は変わらないのですが、この件はこの前の記事で少々補足をしていますです。
ではでは、また6月中旬まで記事アップのお休みを継続します
(ほんとか?ホントだ(予定)←おいっ)
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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まじめにいいかげんを演じることは難しい。
見渡せば、いいかげんにまじめを演じる人ばかり。
★ ☆ ☆
今日5月23日の日本経済新聞、
読書欄のコラム「活字の海で-小沢昭一、再び脚光」より。
☆
まじめにいいかげんを演じることができる人「小沢昭一」。
晶文社刊の「小沢昭一-百景」(全六巻)が五巻まで全て増刷になっていることを指摘しながら、編集委員内田洋一が、小沢昭一の魅力を「まじめにいいかげんを演じる」と絶賛している。
いい言葉ですよね「まじめにいいかげんを演じる」。
そして鋭く「見渡せば、いいかげんにまじめを演じる人ばかり」と切って返すのもいいっ!!
この「言葉」の前にも気に入った文章が並んでる。
こんな感じ↓
☆
世はなべて効率至上、スピード重視。
不要不急のものは削られがちだが、
そうしたからといって安楽にいきていけるわけでもない。
たとえば、チンチン電車が目の前に来たとする。(略)
横町のオワザはこう言うはずだ。
「ほら、ごらんなさいよ。
都電は乗る人が来るのを待っているでしょう。
それからおじいさんが降りる時なんかそのようにドアをあけて、
降りるまでみとどけて、
絶対あぶなくないってところでドアがしまるとか、
トントンとたたくとまたドアがあく。
そういう人間の心が通っている乗り物が
もう他にありますか」
(第一巻「都電えれじい」)
(略)
(小沢昭一は)自らの社会的な位置を確かめるため、
国内外の放浪芸を探求した。
舞台で芭蕉を演じた人らしく、
新しさの中に不変の理を見つめ、
変わらぬものの新しさを知る。
不易流行を透視する目は厳しい。
元軍国少年の昭和ヒトケタ、
働きバチ世代だから何事も手抜きができない。
まじめにいいかげんを演じることは難しい。
そうだそうだ、と快さいを叫ぶ中高年が多いのはそのゆえか。
見渡せば、
いいかげんにまじめを演じる人ばかり。
☆ ★ ★
今日のこのコラムの文章、ほんとに良いわ。
厳しく生きるから、いいかげんさや弱さの中に「理」を発見できるのだすよなぁ。
ホント、いい!
★ ☆ ☆ ☆
すみませぬ。
6月中旬まで、記事アップが難しいと書いてました。
いまもその状態が継続してはいます。
たまたまね、たまたまアップできたに過ぎない。
またどっかでアップできたら良いけれどその時空間の透き間 と 刺激的な言葉 が偶然出会うというそれが必要なのです。
ごめんなさいませ。
キリスト教は4つの教えなのだそうだ。
それらが「キリスト教思想への招待」田川建三 著に「目からうろこ」でまとめられているとのこと。
今日の朝日新聞の読書欄。
宮崎哲弥が書評として整理してくれている。
なーる。そういうこと↓だったのか。
★ ☆ ★
●創造説 : 世界は神様によって創造された
・自然に対する人間の増上慢を否定する教説だとされる。
世界は神妙なる被造物である。
それに比べれば、人の賢しさなど高が知れている。
●隣人愛 : 見ず知らずの他人を自分自身のように愛せ
・赤の他人を我が身のように案ずるなんて、
「人情」からすればあり得ないことだけれど、
だからこそ看板として掲げたのだという。
実際、キリスト教社会では、
貧困者や行路病者に救いの手を差し伸べる姿勢が伝統になった。
●救済論 : イエスがはりつけになったおかげで全人類が救われた
・イエスが身代わりとなって罪を贖ってくれたので、
人々は「無料」で救われ、そして解放された。
だが、何から救抜されたのか。
当時蔓延っていた呪術から、である。
それ故、初期のキリスト教は「無神論」と難じられた。
●終末論 : やがて終末の日が訪れる・・悔い改めよ
・オカルトやホラーのネタとしてやたら有名な「ヨハネ黙示録」の
正しい読み方が伝授される。
必見。
(↑えっ必見って・・ここまで書いてくれてるのに、宮崎さんそりゃ殺生な)
★ ☆ ☆ ☆
こういう深い意味を示されると無宗教であるボクは、いったいなにを信念・信条としているんだろうと不安になります。
せっぱ詰まった時、心が弱くなってる時、でもなお正しさを選択する倫理をボクの心身は備えてるんだろうか。不安だにゃぁ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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●(現在の中小企業は)
「内部に発展できる可能性を秘めながらも展望を見いだせずに苦しんでいる」
(現代日本の中小企業-植田浩史著より)
●本来、中小企業の存在意義は、経営者の「志」そのものにある。
(上記の書評 5月9日付朝日新聞-京大教授吉田和夫)
☆ ★ ☆
ランダムだけれど、今日の中小企業の状態をうまく表現した言葉と、本来の中小企業の価値をうまく表現していると思った言葉。
グローバル化のために、中小企業が長期取引関係や下請けでいることが難しくなった。
では、これからどうすりゃいいか?と調べると閉ざされた取引関係の中に長くいた中小企業は「内部に発展できる可能性を秘めながらも展望を見いだせずに苦しんでいる」状態なのだそうだ。
このため著者植田浩史は「自社技術とノウハウを客観評価するシステムをつくること」「地方自治体との連携の強化」をあげている。
なーる。
☆
書評を書いた吉田和夫は 「しかし中小企業はひとくくりで議論はできない」とした上で、「中小企業の存在意義は志だろう?経営者の生の声が聞こえてこない」と批評する。
☆ ★
就職活動の時など人生イベントの際に言われること、経営戦略をつくるの手順を思い出しますよなぁ、この2つの言葉。
「自分の強み・弱みを知れ」「なにがしたいか考えろ」。
ねっ、同じでしょう?
王道なんだな、この2つの次元で検討することは。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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現実とは何だろうか(略)
現実は多様である。
企業家なら「地獄の沙汰も金次第」、
学者なら「真理は必ず勝つ」
法律家なら「法の網から逃れられぬ」、
恋人同士なら「愛が人生のすべて」
が現実だというかもしれない。
これらの互いに矛盾した現実のうち、
果たしていずれが正しいのか?
--むろんすべてが正しいのである。
社会学のシステム理論によれば、
近代社会とは機能的に分化した社会だと言う。
つまり、社会全体は、
経済システム、学問システム、法律システム、家族友人システムなど
機能ごとに沸かれた独立のシステム群から構成されている。
それぞれの中では、経済、学問、法律、愛情に関するコミュニケーションが
行われている。
入学試験は学問システムに属するから、そこでは、
「真理はかならず勝つ」が成立し、
「地獄の沙汰も金次第」などと血迷うと手が後ろに回る羽目になる・・・。
☆ ★ ★
5月13日朝日新聞 コラム「ヒト 科学21」より。
西垣通 東大大学院情報学環教授の論文。
★ ★
西垣通著の「基礎情報学 -社会から生命へ」の周縁を書いているのだけれど、もともとの「基礎情報学」がとても良い本だし、だから引用したエッセイ(論文)も良いッス。
社会が断片化している様子をうま~く表現してくれている。
☆
社会が断片化していて、それぞれのシステムの間を渡り歩くボクらは断片化したそれぞれの社会に適応するために多重人格化する。
そして引き裂かれてしまう自分を時折振り返って「本当のワタシって?」と統一・統合を求めため息をつく。
マスメディアが提供してくれる「現実のイメージ」を無自覚に信じ込み、「現実はこうなってるんだよ」というマスメディアの絵面を信じ込んでそれに添った統合されたワタシをなんとかねつ造して落ち着きを取り戻す。
しかしマスメディアが統一された現実を示せるわけはない。
マスメディアの表面的な情報パックにウヨに振れたりサヨに振れたりしてしまう。
この難題とその構造をうまく解き明かし、分裂し長期の生き方さえわからなくなってしまったボクら自身を立て直さないと断片化社会に溺れ、その日暮らしの快楽主義にはまりこんでしまう。
☆
そんなわけで、西垣通のこれからの仕事に注目してます。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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著者は、同社が
「人材資源浪費の構造」になっていると指摘する。
素質は十分だが打撃フォームがばらばらで、
低打率に悩む野球のバッターのようなものである。
☆ ★ ★
5月9日付け日経。
「日立 技術王国再編への決断」水野裕司著 に対する書評より。
★
人材は良いのに、それをうまく結集できない会社は少なくない。
展開している事業や商品の組み合わせ(事業構造)が悪い、マネジメントが悪い、のどちらかなのだけれど、働く社員は決して幸せではない。
一人ひとりは一生懸命、まじめに仕事に取り組んでいるのだけれど、組織力が弱くて成果があがらないわけなんですよね。
そんな会社の比喩として「素質は十分だが打撃フォームがバラバラで低打率に悩むバッター」という喩えはおもしろい、うまい喩えです。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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本でもテレビ番組でも、
いま売れているのは
成績をあげる、
たくさん稼ぐ、
人に勝つための情報や知識。
つまり「役に立つ話」ばかりです。(略)
この不景気の中で、
まだ反省していない気がします。
そんな役に立つ話にみんな疲れているのではないでしょうか。
老人たちは無目的な競争に一通り懲りてきた人たちです。
自分にとって何が一番快適で自由であるかを
ちゃんとわかっています。
★ ☆ ☆ ☆
アエラ 04.5.17号
コラム「長老の話聞くべし」-糸井重里の言葉
☆ ☆ ★
以前も友人の女性マーケターの「役に立たないから良いんだよ」という言葉を記事に書きました。
「役に立つ」よりも「自分にとっての快適さ・自由さ」を優先させないと、無理がきますしアキが来ます。
そもそも「役に立つよ」なんて言葉に まんまとノッてしまうって、ブザマっすね。
「役に立つよ」とワタシに言うあなたはいったいワタシの何を知っているのか! と、誰が誰に何を狙って言っているのかを、少し立ち止まって疑問に思わないといけないわけですよなぁ。
☆ ☆
5月16日 糸井重里「ほぼ日刊イトイ新聞」で、インターネット生中継「学問は驚きだ。」がありますね。
12時から19時まで。
全部は無理だろうと思いますが、見たいと思ってます。
→→→→■智慧の実を食べよう2
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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みんないい家の子だし、神秘主義に傾倒もしていたわけで、
俗人は陰口を叩いていたに違いない。
「資産家の令嬢(令息)はご立派ですこと。」
人類愛の人はそうなんだって。
☆ ★ ★
アエラ 04年5月17日号。(いま売ってるやつでぇす)
斉藤美奈子の言葉。
取り上げた言葉の前後は次のようになってる↓
★
こういう人(高遠菜穂子のこと)は昔からいるし、いてくれないと困るのよ。
自分探しはパリへの語学留学って女ばかりじゃ、逆に先が思いやられる。
ナイチンゲールもマザーテレサも赤十字の父デュナンも密林の聖者シュバイツァーも、若くて血気盛んだった頃は周囲をはらはらさせる存在だったはずなのだ。
みんないい家の子だし、神秘主義に傾倒もしていたわけで、俗人は陰口を叩いたに違いない。
「資産家の令嬢(令息)はご立派ですこと。」
人類愛の人はそうなんだって。
それに比べたら、どこぞの国の自己責任論など、ケツの穴が小さすぎてちゃんちゃらおかしいくらいのものだ。
高遠さんも、こんなことでつぶされて欲しくない。
★ ☆ ☆
イラク人質と自己責任論について書いてある月刊の評論誌が出はじめている。
もうブログやネットで言い尽くされてることの繰り返しでどれも新鮮みがない。(もち、全部読んだわけぢゃないのだす<5月11日現在)
もう、ホント、あきた。。。
が、この斉藤美奈子の「人類愛の人の多くは資産家の子なのだ」という言葉は面白かった。
そうだよね。
資産家でなきゃぁ、一般小市民にこんなことをやる時間的経済的余裕などあるわけがない。
税金をたっぷり払い国民年金やら厚生年金やらも真面目に払い(かどうかは知らないが)、おまけに「カルカッタのマザーテレサの開いた施設」「西インドの大地震被災地」「タイのエイズホスピス」「カンボジアの孤児の家」「イラク・・・」。
とんでもない国際貢献ですよな。
復活せよ!高遠菜穂子
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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子どもがなりたい「職業」の上位はスポーツ選手、警察官、消防士、料理人、職人。
親が「子に期待する職業」の上位には、公務員、会社員・・・
「人の役に立ちたい子と安定志向の親」等という以前に、
より決定的なギャップが親子の職業観にあることがわかる。
公務員や会社員は「職業」だろうか。
無回答にしてもいいくらいだ。
つまり〈すること〉ではなく〈なるもの〉としての職業・仕事観が、
今なお根強い常識として私たちの社会にある。
☆ ☆
5月9日付朝日朝刊 「ベストセラー快読」山崎浩一(コラムニスト) より。
『13歳のハローワーク』の書評。
★
引用した最後のパラグラフ、「つまり〈すること〉ではなく〈なるもの〉としての職業・仕事観が、今なお根強い常識として私たちの社会にある。」は、ドキッとします。
親戚やご近所・世間からの突出して見られないこととか、そういう無難さという虚妄をボクらは相変わらず求めているのかも知れない。
★ ☆
「すること」。
「したいこと」。
ずっとずっと死ぬまで探しましょうぜ。
「日本人論」の中でその人間関係の特徴を示す「間人主義」。個人主義に対する日本のコミュニケーション様式なのだけれど、なんど聞いてもすぐ忘れてしまう。
メモっとこう。
☆ ★ ★
間人主義とは。 (浜口恵俊による)
1)相互依存主義
社会生活では親身な相互扶助が不可欠であり、依存し合うのが人間本来の姿である。
2)相互信頼主義
相互依存関係の上では、自己の行動に対し相手も自己の意図を察してうまく応じてくれるはずだという相互信頼が必要である
3)対人関係の本質視
いったん成立した関係はそれ自体価値があるもので、その持続が無条件に望まれる。
★ ☆
要するに、「気持ちのわかりあい」を重視する文化、気質なんだよなぁ。どうしても覚えられない(涙)
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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1)知的な職業であり、当該職業に従事している者が適切な選択を実施し、かつ判断を下す際に重大な責任を負っていること(基礎となる科学的研究があること)
2)特定分野に関する高度な体系的知識を所持し、かつ長期間の教育訓練を受けていること(知は体系的で学習されうるものであること)
3)体系的知識が現場で応用できうるように実践的な性格をもっていること(実用的であること)
4)特別な技術あるいは技能を擁するだけでなく、知識だけで事態に対処できない場合には獲得した技能によって物事に対処できること(教育的手段をこうじることよって伝達可能な技術があること)
5)専門職団体(professional association)が組織化されており、専門職団体がプロフェッショナル教育の内容および専門職に参入する際の資格の認定などを規制していること
6)当該職業に携わっている人物に公共への奉仕(public service)志向があること(利他主義的であること)
☆ ★ ★
エブラハム・フレックスナー(Flexner,A.)が1915年アメリカ・ボルチモアで、プロフェッションとして認知されるための6つの特質(定義ですね)を発表した。
発表は、全国慈善・矯正事業大会において「ソーシャルワークは専門職か?」というタイトルだったが、この発表以降、アメリカではソーシャルワーカーについてだけではなく、この6つの特質を持つ職業をプロフェッションとして公的に制度化されるようになった
☆
いやぁ、プロの定義があるとはまったく知りませんでした。
実用性。そしてその基盤としての「科学」。そして、それらが「伝承可能なこと」 。この3つで充分キツイなぁと感じたわけですが、更に「資格認定の組織化」、「公共への奉仕」となるともういけません。
ボクは、プロではなかったのだ・・トホホ。
まぜっかえしてはいけませんですね。
この定義によって、ソーシャルワーカーはプロではないとされたんだそうですし、大学がこぞってつくっている専門大学院はこれらの定義を見据えているのだそうです。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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わが民は、
金品を得るために
水や
牧草地、
道などについて規則というものをつくらない。
我々はこのようなものすべてを
赤い色をしていようが
白かろうが
黒かろうか
わが大地を通るすべての旅人が無償で得られるようにしている。
何人たりともまだどのような金品をもってしても
我々の生き方を変えることはできない。
ところが、
白人にとってこれが違う。
彼らの法というものは、
我々にとってまったく受け入れがたいものであり、
理解しがたいものである。
これらの冷酷な法は、
我々をあらゆるところから抑圧する。
その中には人間の感情というものが一切含まれていない。
☆ ★ ★
楠原彰著『アフリカの飢えとアパルイトヘイト』より。
19世紀にドイツの軍隊と戦った、ナミビアの先住民の1つ、ナマの首長ヘンドリック・ウィットボーイの言葉。
ナミビアは アフリカ最後の植民地として1990年に独立した。
★ ☆
昨日見に行った映画『パッション』の中で、キリストは
自分を鞭打ち、十字架に吊そうとしている人たちに対し
「父よ、この人たちを許せ。彼らはなにも知らないのだ」と言う。
別にのシーンでは弟子たちに
隣人を愛すだけではなにも変わらない、
敵を愛せ という。
引用した首長は、「みんなのものである。旅人のものでもある」と言う。
こういう価値観、
行きすぎた私有・所有という価値観を、もう一度
公共、共有、共存 という価値観に戻すことは、
もうできないんでしょうかねぇ。
いや、私有というその感情が、
いまの豊かさにつながっているのは確かなんです。
が、行きすぎてしまったような・・・・
こういう文章を見つけると、
ボクらは行きすぎて
地の果てに来てしまったのかもしれないなぁ
と、思っちゃいます。
2つセットで引用をする。
新現実VOL3『大塚と香山対談』と昨日も取り上げた佐藤俊樹『00世代の格差ゲーム』
引用は長い。大量。
長いので先に「感じ」を。
★ ☆
競争を基本に社会をつくりなおすこと、
その前提として「結果の平等」ではなく「機会の平等」にシフトしていくこと、
これらの転換は一見、正しそうに見える。
ボクも この未来図を結構、納得し受け入れるべきだな と思っていた。
が、大変なことになりますよ。
正確には、大変なことになる可能性がありますよ。
それらは、他責感情を助長しキレるを増進し爆発する構造になってますよ、
こういう予言が2つセットの引用から見て取れる。
「機会の平等」と「競争」を基本として
格差を容認していく社会。
そういう社会はどうも「社会」という概念さえ消え失せ
キレる・暴発するがしばしば起こる、
物騒な生活空間とセット になっているような印象を持ちます。
さて、以下 なが~~~い引用です。
★ ☆ ☆新現実VOL3 大塚英志vs香山リカ☆ ★ ★
大塚
だから、永山則夫も永田洋子も、その時々でさみんなが「あいつが私だったら」って口走ってたでしょ、時代時代で。
それこそ佐川一政の時だって四方田犬彦か何かが「あれは俺だったかも」っていうことを言っちゃってた。
宮崎の時は僕らが、同じようにやっちゃってたわけ。
リカ
そうなの。
それが大阪池田小や長崎の幼児殺害事件では、ホントにだれもそんなこと言わなかった。
大阪の事件にしても、あの事件そのものは置いておいて、日本の階層化の問題とか学歴社会の問題とか、社会に投げかけるものが全くなかったわけじゃない。
でもだれもそんなことは口に出せない雰囲気だった。
それは事件そのものの残忍さとはまた別個の問題だと思う。
だって以前は、三菱銀行事件の梅川にさえ、社会という背景を持たせて考えていたんだから。
大塚
社会って言う言葉が亡くなっちゃったわけじゃない。
社会の責任とかさ、社会の責任として受けとめるとかさ。
そういうのがなくなって。
その割には、犯罪のパターンみたいなのって、意外と、世の中の人びとの感情を正確に代行してるんじゃない。
さっきの池田小学校にしてもさ、ネットとか人が書く文章を見ていると、あ、この部分にいるひとたちの感情に、あの事件は絶対シンクロしているとなっていうかさ。
そういったものが突発的にああいうふうに表出したんだなっっていうのは、本当はわかるはずなんだけどね。
(略)
◇
リカ
なにか事件が起きたときに、「私と犯人の違いは?」と考えてみたり、そこまで行かなくても「自分の中にもそういう攻撃的な気持ちがあるかも」と気づいてみたり、ということはない。
それも、犯罪の抑止には大切だと思うのだけれど。
ひたすら「そんな人は死刑ですよ」「一生刑務所に閉じこめておけ」とか言う。
じゃあ「あなたがもし何かしたら、死刑になってもいいの?」ときくと、「そんなことやらないですよ」って。
「もし」という仮定してみることすらしない。
「頭がおかしい人を病院から出すな」とかって平気で言う若者もいるんですよ。(略)
大塚
「他人の問題をなぜ自分が考えなきゃいけないのか」っていうのがもの凄い強いみたい。だから、たまに講演とかを頼まれて、学生相手にそれこそ少年犯罪の話とかをさせられても、最後に出てくるのは、「なんでそういう人の話を自分たちの問題として考えなきゃいけないんですか?」ってね、凄い直球な質問が出てきてね
リカ
あるいは、「ウチの子がそうしないためにはどうすればいいですか?」とかすごいストレートですよね。
大塚
そこなんだよ。
だから、きっと最初のあたりの話ともきっとつながってくるんだろうけれど。
問題を共有しましょう、自分の問題として考えましょうというところは説得できないとか。
◇ ◇
リカ
よく「最近目立つ心の病気の傾向は何ですか」って聞かれて、そういわれると意地になって「病気はあまり変わりません」とかって言うんだけれど、実は圧倒的に変わってきたことがある。
それは、うつ病の人から自責的にっていうか、自分が悪い、申し訳ない、みんなに迷惑かけている、って気持ちが急速になくなりつつある。
それは、もの凄い変化だと思う。
他の病状からみるとうつ病としか診断できないような人なのに、昔の精神医学の教科書にあるように「とにかく会社に申し訳なくて」とか「私が迷惑をかけていて同僚に悪い」といった自責的、自罰的なことを口にしない。
だから、治療者も「これは病気が悪いんですよ。あなたは悪くないんですよ」とか「必ず、良くなりますから、自分を責めるのはやめましょうよ」「仕事の遅れはすぐに取り戻せますから、休養は迷惑じゃないですよ」とかってマニュアルどおりに言えない。
とにかく「会社のせいでこんなになっちゃんたんです。」「上司がわかってくれなくて」「親がすべて悪いんです」っていうふうに、とにかく他責的。
「私は被害者だ」って。
大塚
そうか。
そういうレベルで責任っていう概念や、感覚がそもそも成立しないんだ。
リカ
ついこっちが逆に、「会社が悪いって言うけど、そんなに勝手に休んでたらまわりに迷惑かけてるんじゃないですか」ってタブーをおかしそうになる。
とにかく圧倒的に人のせいにするっていう、あれは驚くべき変化だと思う。
★ ☆ ☆ 00年代の格差ゲーム 佐藤俊樹著 ☆ ★ ★
なぜ「弱者」がいなくなるのか。これには大きく2つの仕掛がある。
まず第一に、結果の平等と機会の平等では“弱者”の意味が大きく違ってくる、
結果の平等の下では、“弱者”というのは不当な目にあっている人になる。
持てるものと持たざるものの極端な格差、つまり極端な強い弱いの差事態が悪である以上、弱い立場の人間はつねに被害者である。
機会の平等の下では、そうはならない。
あえて嫌な言い方をつかえば、たんなる可哀想な人、になるのだ。
だから機会の平等を掲げる社会では、誰も自分を“弱者”と認めたがらない。
認めれば二級市民にされるからである。
「弱者切り捨て反対」とか「弱者救済」を唱える政党が広い支持を集めるのも難しい。
そういう政党を支持することは、自分が二級市民だと認めることにつながりかねない。
競争を是とする社会の中で、そしてついこの間まで、一億総中流意識のなかで「人並み」であろうと必死で努力してきた人びとにとって、それは強烈にタブーである。(略)
結果の平等を掲げる社会では「弱者がいる」は「正しくない」に直結する。
それに対して、機会の平等を掲げる社会では「弱者がいる」は「正しくない」に直結しない。
この社会で「正しくない」に直結するのは「不公平」である。
従って、構造的に不利益を受けている人たちに訴えかけるのも、“弱者”ではなく、「アンフェアな目にあっている人」と呼ぶことからはじめるしかない。
簡単に言えば、「弱者救済」とううスローガン事態が耐用年数にきているのだ。
(弱者が消える2つめのメカニズムについては 略)
機会平等の下では、「敗れた」のは当人のせいで、社会のせいではない。
だから、「貧乏だから正しい」とはいえないし、ゆたかさによって自分を肯定することももちろんできない。
”敗者”は自分を肯定する術をもたないのだ。
それでも、実際に機会が平等であるならば、「自分の努力が足りなかった」と思って再起を図ることができる。
再挑戦できると信じているうちは、強い自己否定感から逃れられる。
たとえずっと“敗者”でありつづけたとしても、それはあくまでも自分の責任であり、自己否定は自己の中でとどまる。
裏返せば、機会の平等がかくほされていなければ、この自己否定は他人に向けられる。
自分が否定された苦しみを、他人も否定することで埋め合わせようとするのである。
”敗者”からすれば、敗れたのは自分のせいではないが、周囲はそうと認めない。
その分、否定感は鬱屈し、あるとき爆発的に噴出する。
噴出する相手、つまり身代わりの羊は誰でもいい。
自分も不当に否定されたのだから、他人を不当に否定してもかまわない。
現代風に言えば、「自分が不当に否定されたのだから、自分は他人を不当に否定する権利がある」と思うわけだ。
「不当評価だ」という意識が危ないのは、そこである。
★
ながっ
引用はここまでっす。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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平社員よりも中間管理職のほうが、
中間管理職よりも上級管理職のほうが、
平等を守るための細心の気配りと
(ここでの平等とは、「君にも彼とおなじほど同じ機会を与えた」という
機会の与え方の厳密な平等さを指す : ono注)
相手の異論をはね返す強靱な論理と
相手がキレる恐怖に絶えるだけの度胸を要求されるのだ。
それらを欠けば、部下の不平不満は山積みし
やる気だけが失われていく。
☆ ★ ☆
いやまぁ、これ、はまりますわ。
「00年代の格差ゲーム」佐藤俊樹著。
積ん読にしてあったのだけれど、読み始めたらとまんない。
先般の「成果主義にしたら、評価が平等になった」という記事の背景と構造を指し示していますですな。
「評価者の緊張と評価される側が頭にきて暴発しキレる可能性」についての理解を促してくれます。
事態が多様であるにもかかわらず、それを無視したカタチで、評価の次元を1つに集約してしまうと怖いのですよ。
お互いに逃げ場がなくなりますからね。
上記の引用の前のパラグラフはこんな感じ↓
☆
能力主義は、評価されるされる側にも厳しいが、それ以上に、評価する側にとってしんどい制度なのだ。
平等ゲームのなかでは、評価が少しくらい公平でなくても、大目に見てもらえる。たとえ人事考課が不当に低いと感じても、それ以外の面で自分の地位が確保されていると思えば、人は簡単にキレたりはしない。
だから評価する側もあまり神経を使わずにすむ。
年齢や年功という平等ゲームで一番守られてきたのは、じつは、評価する側、考課する側なのだ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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年功主義には思想があったのです。
それは従業員の生活を守るという思想で、
きちんと生活していける保障があり、
若いうちは多少失敗をしても許されて、
5年、10年のうちに一人前になってくれたらいい、
そういう思想が貫かれていました。
☆ ★
『現代』4月号、東大教授「成果主義の虚構を崩す~日本型年功制復活への実証宣言」高橋伸夫より。
売れている『虚妄の成果主義』の著者、高橋伸夫の論文?(もしかしたらインタビュー記事の再構成かも)
★ ★ ☆
でも成果主義は続くんですよねぇ。
バブル期入社のいまの30代がある程度減らないと、ずっとこのままですわね。
上記に続けて高橋伸夫はこう言い切ります。
ところが、いまの成果主義には思想がない。 そこにあるのは、成果をあげればカネをたくさんやるから頑張れという、居直った姿勢だけです。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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つらいなぁというのは、大きな運をつかむ予兆だと思う。
★ ☆
萩本欽一の言葉。
今日の日経朝刊のコラム「私の苦笑い」より。
☆ ☆ ★
1966年にテレビの公開録画のわずか1,2分の生コマーシャルで 19回のNGを出し、死ぬことすら考えた萩本欽一が、仲間に温泉ホテルの仕事を探してもらって、更に坂上二郎から電話をもらい、1年足らずの間にコント55号としてテレビに復帰したことを語りながら、言う。
だから、「つらいなあ」というのは大きな運をつかむ予兆だと思う。 そこで逃げずに頑張ることが大事なんだ。 でも、踏ん張れたのは当時の浅草に自分をきちんと見ていてくれる人たちがいたからだった。
★ ★ ★ ★
「つらい」「死にたい」が、でっかい運をつかむ予兆である という捉えは、なかなかステキだなぁと。
しかも、それを呼び込むのは 「仲間」「見てくれている人の存在」がそもそもであると。
☆
運とかラッキーとかは、偶然ではあるけれど、やっぱり、運をあげる確率を高めるのは、本人の努力と行動だということでございまするな。
☆
てなまとめ方をすると養老孟司の本(~説教)みたくなりますが
●「つらいことが起こる」「死にたくなる」のは、運をつかむ予兆、予言。
●運は、それをあげる確率を高めることができる。
と整理すると、ロマンですなぁ~
<こんな記事を書いておいて、ロマンと言うのか自分。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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人生に必要な4点セットとは
「1人の別れがたい恋愛相手と、
1人の頼りがいのある親友と、
1個の忘れがたい思い出と、
1冊の繰り返し言及する書物」
☆ ★ ★
今日の講談社の書籍の新聞広告に、西部邁『学問』が載っていて、そのキャッチコピー。
☆
なかなか良いなぁ、このコピー。
最近、西部さんの本を読んでないし、この学問というタイトルの本など読みたくもないが(コラコラ)、このコピーは、響くものがありましたので、記事としてアップ~
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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「よく考えろ」は、相手の立場(メリット)で考えること
「ちょっと考える」は、自分の立場(メリット)で考えること。
☆ ☆ ★
『上司は思いつきでものを言う』橋本治著 集英社新書 より
★ ★ ☆
わはは
なるほど、「よく考えろ」と言われたときは、無意識のうちに相手が正解をもっているかのような状態に落とし込まれ、そのように誘導されてしまっていることが多いかもしれませんですねぇ。
♪よぉーく、考えよぉ~ お金は大事だよぉ~♪
という保険会社のCMは軽い洗脳効果があるかもしれないですな。
あのままにしておいて、いいのか!(笑)
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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よく直感の話をするときに思うんですけれど、
自分がふと思うことが、自分にとって悪いことを思いつくはずがないって。
わかります?
★ ★ ☆
エッセイスト、浅見帆帆子の言葉。
ダイヤモンド社が書店で無料配付している『経-Kei』2004年4月で 神田昌典と対談をしているのだけれど、その中の言葉
☆ ★
前後はこんな感じ。
浅見
失敗してしまったとしても、あとから振り返ったときに、「本当にあの失敗があったからこの考えが浮かんだんだよね」っていうふうになるから、それもその人にとって良かったことなんですね。
よく直感の話をするときに思うんですけど、自分がふと思うことが、自分にとって悪いことを思いつくはずがないって。わかります?
神田
ああ~。
浅見
本人にとって一見悪いって思うのは自分の判断であって、もしかしたら失敗したことで新しいビジネスが生まれるかもしれないし、新しい方向が開けるかもしれないから。その「いい」「悪い」は自分が悪いって思ってるだけですよね。
神田
自分でふと思うことが自分に悪いはずはないと思える――これはトレーニング、解釈だと思います。リフレーミングされているわけですよ、常にね。そのリフレーミングのトレーニングが積まれてるかどうか。
たとえば家庭環境もあるだろうし、やはりネガティブな職場にいたらリフレーミングという体験自体がないから常に人の悪口を言う、悪循環じゃないですか。そうすると人間、ある時点でプラス思考ということを考え始めて、リフレーミングのトレーニングを積むのは大切だと思いますね。
で、プラス思考になっちゃった人が、今度は「プラス思考でどんどん行くぞ~!」っていうふうになってしまうと、それはそれでまた歪みを生むわけだから……。
浅見
危険なわけですね。
神田
ただ、やはりネガティブな人間が何か夢を実現していきたいと決意したら、まず始めはプラス思考にならないとだめ。それを浅見さんの場合はすごく素直なところで自然にできてるんだと思う。
★ ☆ ☆
ボクはプラス思考はアホみたいだ と思っているんだけれど、この浅見帆帆子の「自分がふと思うことが、自分にとって悪いことを思いつくはずがない」は、良い言葉だな、本質ついてるな と思いましたよ。
以前に書いた、「鑑賞の方法」はまさにこれですものね。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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金融機関による中小企業への貸し渋り、貸しはがしが始まって十年。
「よい会社と悪い会社が『市場原理』により選別されている過程だ」と多くのエコノミストは言い続けてきた。だが現実は異なる。(略)
著者は「現場知らず」の“選良たち”が、観念論や言い訳を繰り返すうちに日本経済の活力を失わせ再生を阻害してきたと追求する。
金融エコノミストは市場原理による選別を強調するが、大多数の企業は“グレーゾーン”の会社であり、その中の、高い潜在力を持つ企業までが消え去ったのだ。
★ ☆
2004.4.18 日経新聞、
『経済再生は「現場」から始まる』山口義行著 への鈴置高史による書評。
☆ ★ ★ ☆
市場原理などは 現実は、教科書のような機能のしかたをしない。
テロには決して屈しない は、現実は水面下の交渉だらけ。
お美しいお言葉など信じちゃいけませんですな。
美しいお言葉以上に、ボクらは、世界は、難しく多様で複雑でごぢゃりまするもの。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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日本の一部で、人質になった民間人に対して、「軽率だ、自己責任をわきまえろ」などという批判が出ていることに対して。
「全ての人は危険地域に入るリスクを理解しなければなりません。
しかし、危険地域に入るリスクを誰も引き受けなくなれば、世界は前に進まなくなってしまう。
彼らは自ら危険を引き受けているのです。
ですから、私は日本の国民が進んで、良い目的のために身を呈したことをうれしく思います。日本人は自ら行動した国民がいることを誇りに思うべきです。
また、イラクに自衛隊を派遣したことも誇りに思うべきです。彼らは自ら危険を引き受けているのです。たとえ彼らが危険を冒したために人質になっても、それを責めてよいわけではありません。
私たちには安全回復のため、全力を尽くし、それに深い配慮を払う義務があるのです。彼らは私たちの友人であり、隣人であり、仲間なのです。」
☆ ★ ☆
パウエル国務長官の「3人を誇りに思うべき」というニュース。
16日(15日)なので古新聞ですが、まだ ビデオをそのまま見ることができます。
http://news.tbs.co.jp/20040416/newseye/tbs_newseye944100.html
↑
7日間で消えてしまう動画サイトなので、変わりにパウエルの原文HPを掲載しておきます↓(追記4.25)
Colin L. Powell On Release of Japanese Hostages
☆ ★
今日、日曜日の朝もいろいろな番組で繰り返し無邪気な「自己責任論」をいう日本政府、アホ政治家に、少々の怒りを込めて。
★
Googleでパウエル発言が残ってないかと探しまくっていましたが、なころぐさんばかりがひっかかりました(ニコニコ)
いち早く記事にされていた、なころぐさんに敬意を表してトラバ♪
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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最新の人類学研究によると、他人のこころについて人間は150人までしか理解できない。
★ ☆ ☆
『創発』スティーブン・ジョンソン著、山形浩生訳より
☆
人間は、他者の心についての理論を構築できる。
他者の心を読むっていうことができるのは、人とチンパンジーくらい。
もっと具体的には、こんなこと。
グリコの空き箱の中に消しゴムをいれておく。
で、グリコの箱の中になにが入っている?と太郎君に聞き、「残念でした、消しゴムでした」と正解をあかす。
実験はここから。
痛い目にあった太郎君に、そのグリコ(の箱)をもう一人別の人、次郎君に見せたら、次郎君は中に何が入っていると思うか?と聞く。
太郎君に次郎君の考えを想像してもらうわけですね。
太郎君が「次郎は、グリコの箱の中にはグリコが入っていると思うだろう」と類推できること、このことを「他者の心の理論を構築できる」という。
人間でも3歳児はダメなんだそうです。
自分が知ったとおりを言ってしまう。「消しゴムが入っていると思う」と言うんだそうです。
さて、引用した150人という数字。
「創発」というこの本、山形浩生がやっつけ仕事で訳した本のようで、ワケがわからないところがいくつかあって、この150人もちょっとわかりにくいのだが、150人までは このような心の理論を構築できる、つまり150人までの村なら、 村全体を想像できるんだそうだ。
つまり、社会~世間~を自分に引き寄せて想像できる。
しかし150人以上になるといけない。
だから、都市だともういけない。
コミュニティとして想像できないんだそうだ。
組織もそうですね。
大企業になると、組織は単なる環境に成り下がる。
実感ある組織は職場だけ。
最大150人か・・・都市で理解不能になり、さらにインターネットで理解はさらに不能になるんだよなぁ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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魂とは何なのだろうか?(略)
魂といっても、特別に身構える必要はない。
目を閉じて、外界の情報を遮断した時に、〈自分〉の核として立ち上がってくるぼわっとしたもの。
それがここで言う魂である。
押井(守)さんの映画に従って「ゴースト」という言葉を使っても良い。
☆ ★ ★
『ユリイカ』4月号・特集押井守の中の茂木健一郎の論文「魂に対する態度」より。
★
茂木さんの「魂」の定義は、要するに、自分とか私とかデカルトの「我」と同義ですね。
わかりやすいけど、ちょっとつまんなぁい(笑)
昔書いた(2003.12.30付け)記事の
魂とは「自分でコントロールできないもの」
のほうが良くないっすか?(自慢?自分)
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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■トヨタ生産方式に欠かせない5つのポイント
1.長期雇用が約束されなければ、改善の意欲は生まれない
2.一時的な寄せ集めチームでは長続きをしない
-専任部隊を作り継続的に現場をチェックする。
3.トップのやる気を明確にすることで、改革に一体感を持たせる
4.失敗は「出すべきウミ」と前向きにとらえる
5.業績に直結しない努力も評価する。
-目先の数字だけにとらわれて、進んで改善する文化を醸成する
☆ ★ ★
なかなか美しい、5つのポイント
日経ビジネス2004.4.12号 「特集 トヨタ生産方式 : キャノンが伸びソニーが落ちたワケ」 より
★ ☆
驚くほど日本的経営ではないですか。
日経ビジネスなどというビジネス誌のメジャーに「長期雇用じゃないとダメ」「成果主義などという短期政策は全然ダメ」と整理されてしまって、これまで「早期退職ばかりやった会社」「他社やコンサルタントにそそのかされ、職能資格制度から成果主義人事に移行してしまった会社」で懺悔する社長や人事担当役員が大量に・・・・・等と言うことにはならんのでしょうか?
明日はもっと良い会社にしようという現場が動機づけられている会社って、上記の5つが必須、基礎基本だと思うんですが・・・・。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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【ソニー森尾稔副会長の告白 より】
やはり革新運動を継続するには、トップ自らがコミットしなければなりません(略)
どこの会社もそうですが、、トップの考えがはっきりしないと、現場は上の顔色をうかがって、一過性の台風なのかどうか見定めようと思うものです。(略)
生産のトップとして私も御手洗さん(キャノン)のように「やれやれ」と言っています。安藤さん(国威・社長兼グループCOO)も年に2回ぐらい現場に来てくれます。
社長が現場に来ると、みんなの目の色が変わりますよ。社長も一生懸命だなと思ったら、現場は動くんです。
【キャノン御手洗冨士夫社長の自信 より】
いかに現場の意識を変え、新しいことに挑戦してもらうか。
トップが現場に出ることが第一の条件でしょう。(略)
生産現場の連中だって、新入社員の時から続いている方式をガラリと変えるのは恐いはずです。
だからこそトップが「責任は俺が取るから」と恐怖感を取り除いてあげることが必要なのです。(略)
社員に会って私の方針を直接伝え、セル方式の進捗状況を確かめます。
みんな「昨年より、こんなに変わった」と成果を見せたがるから、私も2時間くらい丁寧に見て歩きます。
★ ☆ ★
日経ビジネス2004.4.12号 「特集 トヨタ生産方式 : キャノンが伸びソニーが落ちたワケ」 より
日経ビジネスはあまり読まないのだけれど、特集のタイトルが面白かったので駅売りのものを買いました。
んで、うむうむと思ったものを引用しました。
★
トップの本気さと興味関心が現場を動かすというパターンの変革は、変革の中でも簡単バージョンだと思いますが、それでも変革をなしとげたキャノンはさっすがぁ という感じです。
現場というか組織はそれほど保守的というか恐がりです。
組織とはそもそもそういうものだし、だからこそ変革こそが上の仕事だと思いますです。
★
あと、2つほどこの特集から ステキな言葉を続けて記事します。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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意思決定が集中している社会は、脆弱であるばかりでなく、積極的にリスクを取ることができない
☆ ★ ★
2004.4.17号週刊ダイヤモンド 野口悠紀雄「超整理日記」より
野口悠紀雄は ギャヴィン・メンシーズの『1421』を引きながら、明の頃の中国を参照しつつ書いている。以下引用。
★
『1421』によれば、紫禁城に落雷があって火災が起こり、永楽帝が統治の意欲を喪失した。そして鎖国政策に転換したために、中国の大航海(※)が続かなかったのだという。
※中国は明の永楽帝の時代に、コロンブスよりも70年も早くアメリカ大陸を発見していた!!船団の一部と考えられる残骸がカリフォルニアで発見された・・・ とこれはフィクションらしいのだけれど、当時の中国の技術力、航海術なら現実にアメリカを発見していたとしても不思議じゃない力をもっていたのだそうですわ
しかし落雷や火災で歴史が変わってしまうようであれば、きわめて脆弱な社会制度だと言わざるを得ない。権力が一人の皇帝に集中する社会は脆弱な社会だ。
意思決定が集中している社会は、脆弱であるばかりではなく、積極的にリスクを取ることができない。ヨーロッパがリスクを取れたのは、分権的な社会だったからだ。
※野口悠紀雄は20世紀にも明の失敗と同様の事態が起きたとソ連を例示し、次に日本を例示する。
日本は社会主義国ではないが、社会主義が崩壊した今、世界でもっとも社会主義経済的性格を強く有する国になっている。国が直接に経済運営をしているわけではないが、多くの産業が大企業によって支配されている。
☆ ★ ★
意思決定が集中している組織(社会)は、脆弱、というのは ふむと思うし、スピード感が鈍くなるとは思うけれど、積極的にリスクが取れないっていうのは (゚Д゚)ハァ? だな。
小さな組織は小さいからこそ、またリスクが取れないんだし、野口悠紀雄もちょっと筆がすべってるだろっ!と思う。
しかし、豊かさとは多様であること と以前から考えているボクには「意思決定が集中している社会は脆弱」って話はなーると思うものでありました。
おしっこをしながら水を飲む。
★ ☆ ☆
以前もとりあげた「暮らしの中の哲学」ロジェ=ポル・ドロワ より。
以下引用。
★ ★ ☆
なんのひねりもなくて申し訳ないのですが、大きなコップに水を入れます。おしっこが出始めたら、用意した水を飲み始めて下さい。できるだけ続けて飲むことが大事です。息の続く限り、休みなしに飲み続けます。
すぐに、なんとなく奇妙な感覚に襲われるはずです。口からはいった水がただちに膀胱にはいりそのまま出て行くような感じです。
そこであなたは唐突に思うわけです。自分の身体がこんな仕組みになっていようとは!飲んだ水がじかに尿道から出て行くように思えます。
あなたは瞬時にのどと尿道とを結ぶ直列回路を発見し、胃から膀胱へと水が即座に移動していることに気づきます。そんなことは生理的に起こりえないのですが、あなたはそれを自分の身体で、動かしがたい現実として実感しているのです。
あなたはほんのつかのまに、途方もない、そして単純このうえない身体、それでいて瞭然として疑う余地もない身体を創造してしまいました。
もはや腸や腎臓もありません。水は体内でいっときも淀むことなく、濾過も透析もされず排出されます。水はあなたの体内を垂直に落ちていきます。身体の中を冷たい水が通り抜けます。
身体が洗い清められのが、不思議だけれども、確実に実感できます。まるで身体の中のほうが開いて、その内と外を水が滑らかに巡っているような感じです。
それは宇宙が流れ込むような感じといってもいいでしょうし、自動的に洗われるような感じといってもいいでしょう。
ちょっとネタとしては古いというか超定番ですが、論理とイメージ、
つまり 右脳派か左脳派か。
スペリーの研究によって明かにされた右脳はイメージ機能をつかさどり、左脳は言語機能をつかさどることについて
自分自身はどちらの脳みそが発達しているか チェックしてみませんか?
るるる~♪
★ ★
2つほどチェックサイトをご紹介
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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企業や職場のなかで派遣社員も正社員もありません。
みんな社員です。
★ ☆ ★
日経、月曜日の日経だったと思うんですが、この部分だけ電車の中でビリビリ切り取ってカバンに入れたので、いつの日経だったのかさっぱり(爆)
佐藤俊樹だと思う・・の発言。
★ ☆
パートや派遣社員の扱いに悩んでいる企業はまだまだ多い。
スーパーなど流通だとパートの取締役なども誕生しているけれど、メーカーはまだまだとまどいの中なんだろう。
そんな中で、決定的な言葉だなぁと、電車の中で背筋が伸びました。
☆ ☆ ★
佐藤氏の発言の一部を切り取っただけなんで、この言葉が含まれるパラグラフ全体を以下に引用しておきます
★
(ITの急速な進展で仕事の薦め方は大きく変わってきました。そんな中で今後の人事戦略のポイントはどこにあるんでしょうか? という問に)
3つあります。
ひとつは人事管理の理想は他律管理ではなく自己管理です。
従業員一人ひとりが会社の期待、目標を自ら理解し、その実現に努力する。これが自己管理です。
二つ目は人事にベストプラクティスはないということです。
事業戦略に合う人事システムをどう構築するのか、自ら知恵を絞ることが大事です。
三つめは「人事の論理」を打ち立てること。
90年代は人事が「経理の論理」に押し切られました。人件費は他のコストとは違う、投資なんだというところをきっちり示し、主張しなくてはなりません。
企業や職場のなかでは派遣社員も正社員もありません。みんな社員です。
働き方が違うだけと考えていくことが大事です。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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●「自己決定」「自己責任」ということばがどうしても好きになれません。
●「個」であること、「個の意思」について発言したり選択したりすることは、
一般に考えられているよりもずっとむずかしいのです。
☆ ★ ★
香山リカ『ぷちナショナリズム症候群』中公新書ラクレ より
長文を引用しようと思ったのだけれどちょっとだけにしました。わはは、でも下で思いっきり引用します。
★
まぁしかし、わざわざ書かなくても、もう個の意思でなにかしでかすなんて、そんなにたやすい事ではないと体験済みですよな、ボクら。この長かった不況の中で思い知ってる。
でもま、まとまったわかりやすい文章で、そのこと、個が決めること、個の意思のヤワなこと、いかがわしさを記録しておくことも必要だろう。
てなわけで、以下に長文引用。
★ ☆ ☆ ☆
医師の現場でも、医師は検査所見や今後の見通し、治療の種類について十分に説明した上で、「さあ、あとはあなたが決めて下さい」と患者の自己決定にゆだねるべし--そういう雰囲気が広がっています。
しかしそこで自分の命についてまで決定を迫れられている「自己」とは、いったい何なのでしょうか。
「個の意思」とは、それほどしっかりしたものなのでしょうか。
説明のあとで患者が「やっぱりワタシは手術を辞めておきます。自然食でなんとかします」と言ったとしたら、多くの医師は、「医学的にそんな方法で治る可能性はないのに」と知りながら、それ以上、説得することもなく「そうですか、ではどうぞ」と診察室を出る患者の姿を見送るでしょう。
それは、表面的には個を尊重する態度にも見えますが、実は知識や力を持っている側がすべての責任を引き受ける面倒を回避しているだけで、患者側にとってのメリットはあまり多くないのではないでしょうか。
(略)
「個」であること、「個の意思」について発言したり選択したりすることは、一般に考えられているよりもずっと難しいのです。「私は、私の言葉で語っている」と思いこんでいても、だれかにそう語らされているだけだった
--そういう事態を避けるためにも、私たちはもっと「自己決定」「個の時代」という言葉を慎重に扱わなければならない
そして、誰かが「個の時代のぷちナショナリズム(愛国ごっこ)」の危険性についても、「決めるのはあなたまかせ」としないで指摘しなければならない。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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社内を信用し切れないのがつらい
(三菱自動車 前社長園部孝(故人)の3年前の言葉)
うちは現場に眼も耳も頭もありますから
(トヨタ自動車社長 張富士夫 の言葉)
★ ★ ☆ ★
週間ダイヤモンド2004.4.10号『ヲブセルウェーション』辻広ダイヤモンド編集長 より
もう少し以下に引用を添えておく。
☆
3年前、三菱自動車はリコール隠し問題で前社長が辞任、業績も悪化、園部孝社長が背水の陣で改革にあたっていた。抵抗する役職者は全員はずす、閉鎖体質を変えるのだと覚悟を語り、しかし、ぽつりと漏らした。「社内を信用しきれないのがつらい。」
その後、ダイムラークライスラーが社長を派遣、彼は会長に棚上げされ、挫折感を抱えたまま亡くなった。
張富士夫・トヨタ自動車社長は、対照的だった。
強さの源を問うと、「現場がすべてという意識の浸透。それに、うちは現場に眼も耳も頭もありますから」。
社員への信頼は揺るぎなかった。
☆ ★ ☆ ★
中小企業なら、社員を信用しなくても良い。トップの目が届く。
でっかい会社だからこそ、社員を信用・信頼しないと運営などできない。仕組みや管理システムなどしれている。システムなどあっというまにすり抜けられるもんね。
さらに、環境が変わるし、不測の事態が頻繁に起こる。
スピードの時代になり、更に大企業のスピード感では難しくなっていると思う。重ねてになるが中小企業なら報告もすぐ、意思決定もすぐ。
事故が多発していた回転扉も 森ビルでなければ、六本木ヒルズでなければ、対応はもっと以前にされていたはずだろうに、現場に倫理観ベースの放任主義と正しい議論がなかったために、対応が後手後手にまわり、まさかという事態に行きつくまで 事なかれ主義の対応となってしまったんだろうなぁと思う。
☆
週間ダイヤモンドは次の言葉でこの記事を締めている。
経営に必要なのは、社員を信用し、「放任」することだ。仕組みと放任-そのバランスの取り方こそが経営で、蓄積が企業風土だろう。一代の社長ではつくれない。トヨタと三菱の違いはそこにある。
☆ ☆ ★
それにしても、トヨタの張社長の「うちは現場に眼も耳も頭もありますから」というこれ、つくづく凄いっすねぇ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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資本主義経済のもとでは、常に人間の幸せよりも利益の追求が重んじられる。
☆ ★ ★
Newsweek-ニューズウィーク日本版2004.4.7号「景気が回復しているのにどうして企業はリストラをやめないの?」より、都合良く引用。
★
わっかりやすすぎ(笑)、このぶった切り資本主義解説。
この上記の定義がこれまでの日本的経営、つまり上記の言い方を借りると「利益よりも共同体(仲間)が大事」という感受性に抵抗を受けるわけですよねぇ。
★ ☆ ☆
気になっていること、2つ。
1つはまさに上記の定義に関わること。
「常に人間の幸せよりも利益の追求が重んじられる」という表現が現実を的確にあらわしているとして、では誰が恩恵を受けているのか、誰が幸せになっているのか。
結果として経営層などごく一部の人だけが幸せになっているのであれば、多くの人の小さな幸せの搾取の上で資本主義経済が成り立っているということになり、もしそうならボクは気に入らない。
もう1つはまったく逆の立場から。
過ぎた共同体重視、仲間過保護が、あったのも事実。
どうにもならない上司が大量にいるのも現実。こいつらなぁと思うわけですよな(爆)
ボクの師匠筋は彼らを陳腐化人材と命名してます(ふぅ)
☆ ☆
ただ、この「大量にいる」という問題も、問題なのかどうかが悩ましい。
っていうのは、こういう指摘があるから。
社会問題は自然の問題と違い正規分布しない。利益は優秀な一部によって生み出されている。
もう1つの指摘。(これ、お気に入りです♪)
少数精鋭は嘘がある。人材の中からある確率で精鋭は生まれるものだ。
どちらも同じ事を言ってますよね。
どちらの指摘も「大量の陳腐化人材~役立たず」(笑)は必然として生まれるのだと指摘しているわけで、もしそうなら「役立たず」をどう配置するか、だましだまし働かせるかを考えないとね。排除という選択肢はない。錯誤なのだから。(なんかめちゃくちゃ傲慢な文章になってるなぁ~。ゆるしちくり)
☆ ☆
(体勢を立て直して(ニガワライ))利益よりも共同体・仲間を大事にするとは、役立たずを組み込むコストを必要なコストと構成員が認めること、役立たずかどうかを超えてやりくりすることなわけですよな。
この記事、文章がまずいのでいらぬ反感かっているかも知れないですが、ボクは、この「やりくりする」ほうが、利益一本という単純指標による運営よりも よほど大人というか成熟した精神を持っているんじゃないのか と思うわけです。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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僕自身デビュー版はもがいていたからね。
歌心なんてものとは無縁だったから、
歌わざるをえないことになって、
バンドの足をひっぱってしまう責任を感じていたものだ。
そういう自分の未熟さや葛藤もここで敢えて認めざるを得ない。
しかしその観点で聞くと、
なんと『風街ろまん』の完成度の高いことか。
責任をはたすべく、なんとか大滝君に追いつこうと歌に没頭した結果、
今聞いても不安はないな。
あの時頑張って良かった良かった。
★ ★ ☆
つい先ほどアマゾンから届いた 『はっぴいえんどBOX』に同梱されているブックレットに書かれた細野晴臣の「序」より。
☆ ☆ ★ ★ ★
30年たって、当時自分の成し遂げた(るび:やらかした)ことを振り返って(るび:突きつけられて)、
あの時頑張って良かった良かった。
と言うことができるって、凄いッスね。
そんな記憶となる「いま」を、つくっておかねばなぁ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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【番組を降り収入が月20万以上減る5月で26歳になるフリーアナウンサー】
「なにを求めているかといえば、たぶん『工事中』の感覚なんだと思います。」
学税時代からNGOに参加し、国際交流を続けてきた。イスラエル、アフガニスタン、ネパールなどに足を運び、こどもたちを日本に招くプロジェクトなどを実現させた。
未知の国でひとり、臆病な自分を叱り、できないかも知れないという枠を壊して、自分をガリガリと広げていく。砲弾がかすめるパレスチナ自治区で交渉をまとめ、インドでは日本から送ったバスの通関を1週間かけて認めさせた。できないことができるようになる。自分が広がっていく「工事中の感覚」が心地よかった。
しかし、ライトを浴びてカメラに向かっても、ガリガリ感はない。常識とか、責任とか、安定とかいう言葉に取り込まれたのか、いつしか自分が望んでいるものが何かさえ霞んでしまった。焦りが募る一方で、体は動かない。
「やりたいことを見つけても、結局、できないってわかったらどうしよう。できなかったのは自分のせいだって認めなければならなくなったらどうしよう。そうなるのが恐いんです。」
★
【就職活動中の大学3年生の女性】
(将来の夢をたずねると)
「とにかくすごい人になりたい、自分で光を放つような」
一般に目標を高く高く設定するのは必ずしも「挑戦」ではなく「逃避」の心理の表れではないか。長山さん(『若者はなぜ「決められない」か』の著者。評論家)はそう分析する。仮に実現できなくても傷つかないための「安全装置」だ、と。
☆
【郵便局に勤める女性(29)】
「虚しいと思ったら終わってしまう」ような仕事を6年間続けてきたが、いま、少しだけ光が見えてきた気がする。
「本当の自分なんて探していても見つかるわけじゃない。それは自分のなかにつくるもの。そんな単純な真理に思い当たったからでしょうか」
☆ ★ ★ ★
4月5日号 AERA(アエラ)。
「仮の自分」に彷徨う私たち~26歳のハローワーク より。
★ ☆
ふぅ、しんど。
「工事中の心地よさ」、高すぎる目標を設定することによる「逃避」。本当の自分探し・・・
豊かすぎる社会と全能感を持ったままで挫折や断念に対して脅える。不況と流動化社会が追い打ちをかける。
しんどいっすねぇ。
最後の「本当の自分は自分の中につくるもの」というこの言葉でやっと、救われる。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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●正社員になれないからパートで我慢する。
●中小企業とは、大企業になれなかった企業。
●自営業とは、サラリーマンになれなかった就労形態。
★ ☆ ☆
日本で働くボクらが持っている(古い、こびりついた)就職観、企業観、産業観。
週刊ダイヤモンド2004.4.3号「超整理日記~経済を動かす創造的な自営業」野口悠紀雄連載の中から、ピックアップした言葉。
☆ ☆ ★ ★
正社員へのあこがれは、以前の記事「日米中韓の高校生各1000余人に対するアンケート調査」からも伺うことができる。
上記で引用したダイヤモンドの中にも短時間雇用者(パートと派遣・正社員の一部)の31.8%は「正社員として働きたい」と希望しているという調査結果を紹介している。
★ ☆
なぜボクらは、大企業正社員志向から抜けられないのだろう。
昔の高度成長期の経済構造「大企業が日本経済を動かす。大企業は偉い。だから大企業に勤める人は偉い」という価値観からどうして脱けられないんだろう。
☆
若い人には就職した1つの会社で定年まで働き続けることができるという幻想は既にない。リストラや倒産を多く見たり聞いたり身近で感じたりしたからだろう。
にも関わらず、大企業正社員幻想は、どうもまだまとわりついているようなのだ。
★ ★ ☆
原因の大きな1つに企業がパートや派遣を人件費節約の手段として使っている事があるようだ。
このために、派遣・パートよりも正社員の方が偉いという雇用形態による暗黙の身分制度ができあがっている。
しかし現場での実態は違ってきている。
派遣のほうが正社員よりも仕事ができることを感じている人も多いし、「企業に勤めると異動でいろいろな仕事をしなければならないが自分は1つの職種で専門性をつけたいから派遣」という人材も出ている。
☆ ★
中小企業や自営業が、大企業になれないからとか就職できないからそうしているのではなく、強みを生かすために中小企業なのであるという新しい産業構造認識が浸透してほしいと願う。
派遣やパートが正社員になれないからではなく、積極的に自分の強みや働きがいを実現するための選択であるという認識が浸透してほしいと願う。
セブンイレブンのCMの新作がどんどこ流れてますよね。
ネットにもアップされてます♪ 全部で6本もあります。
☆ ☆
前回のまんじゅう編のようなインパクトがなく、ちょっと淋しい。
この中で好きなのは、「袋へ編」と「777編」です。
☆ ★
「袋編」
10代女性客 「今の…、」 10代女性客 「今の気持ちを忘れたくないんです。」 店員 「じゃぁ、袋にお入れしましょうか?」
★
「777編」
店員 「合計で777円でございます。」 男 「ラッキー。」 店員 「おめでとうございます。」
777編はこのあとの笑いのある空気感がいいんですわ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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なんとかなるは、なんともならない。
★ ☆ ☆
むかしの同僚の言葉。
ずいぶん前に結婚しましたが、いまはどうしているんだろなぁ。
☆
1泊2日の会議が終わってからの反省会にて。
同僚が会議の準備をしたんですけれど、会議の準備って大変ですよねぇ。
OHPとか食事とかお茶はどうするとか資料の準備とか宴席はどうするとか・・・
で、同僚は慣れてなかったもので混乱(?)してしまって、「なんとかなるわ」と思ったら・・・・・アンのジョー、あしたのジョー。
資料は足りない、お茶は出ない(笑)
ボスに思いっきり叱られましたとさ。
☆
で、反省会でこの言葉を・・・・・
いやぁ、逆転満塁ホームランですよ。
ほほぉ~ という声が反省会会場にあふれ「なんとかなるはなんともならないとは真理だ」とかべた褒めも(笑)
最後の最後までなにがどう転ぶかわかったもんじゃないっすね(爆)
☆ ★ ★
【補足】
この言葉を思い出したのは、studio*sachiko annexの「いろいろあって」という記事の中に
「なるようになる。
てゆーか、なるようにしかならない。」
という言葉の刺激によって記憶をよみがえらせました。
sachikoさん、ありがと♪
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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待っている状態というのは独特なものです。自分ではどうすることもできない。いつまでも待たされるわけではない。それはわかっているけれども、結局のところどれくらい待たされるのかはわからないのです。たとえば場所は、病院の待合室、役所の窓口、空港のロビーや駅のホーム(略)。
あなたは受け身の状態を余儀なくされています。自分で成り行きを早めることができるような要素をひとつももっていません。流れていく時間の長さとじかに向き合っているのです。追い越すことのできない時間。その流れは多かれ少なかれ、よどみがちで、ゆっくりしているでしょう。
多くの人が、このような状況を耐え難いものと感じます、だから、過ぎていく時間から目をそらすために雑誌や随筆を読む。(略)
ここでは、それとは正反対のことをしてください。何もしない。それでいて苛立ったり、退屈したりしない。時間のなかにただ身体を浮かべているのです。どうせ時間は容赦なく過ぎていきます。あなたの中を。あなたが何をしなくても。すべてはひとりでに起こり、何もかもがあなたとは無関係です。あなたはただ、何も考えず、無気力・無関心で、そこにいないかのごとく、じっとしていればいいのですよ。いずれにしても時間は前へと進み、このひと時には終わりが来ます。そう、ヒマをつぶす必要などないのです。時間は際限なく死に続けています。つまり勝手につぶれていくのです。
☆ ★ ★
暮らしの哲学-気楽にできる101の方法 ロジェ・ポル・ドロワ著より。
この本、いくつもいくつも紹介したい「日常で哲学する」言葉と行為・方法が記述されてるんですけど、とりあえず微妙なもの(笑)から。
いつの間にか 隙間時間をなくそうなくそうと過ごしていますよねぇ。携帯を見る、ウォークマンで音楽を聞く、雑誌を見る、携帯でメールをうつ、他のブログを見る・・・・。
何もしない、ただ待つという時間を意識的にもってごらんなさい というのが暮らしの中で気楽に哲学するのにいいよとこの本のこの節では言うのです。
効果として「気が鎮まる」と書かれてます。(ニタァ~)
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実力がない方が、無給よりも怖い。
☆ ★
日経新聞2004.3.20「働くということ」の3回目より。
なかなか良い対比ですね。うまい相対化だなぁと。
取り上げた言葉はこんな文脈の中で出てくる。
☆ ☆ ★ ★
医師になって3年の佐竹重彦(28)も焦っていた。「これじゃ、偏った技術しか身につかない」。
医大卒業後、熊本大の大学病院に勤務。昨春からは市内の病院で狭心症の検査担当だ。
夢は「内科医として幅を広げたい」。だが、実際はレントゲン撮影と結果判定の毎日だった。
若手医師の中で遅れる危機感。「様々な診療経験を積める病院が沖縄にある」と聞きつけ、「無給、研修扱いでいいなら」との条件を即座にのんだ。
同僚医師は「本当に無給なの?」といぶかる。「大学の医局と縁が切れないか」。不安もよぎる。
それでも佐竹は「実力がない方が、無給よりも怖い」。沖縄での研修医生活は四月から。
★ ★ ☆ ☆
実力がない方が、無給よりも怖い。
知識の時代の象徴のような言葉だなぁと、この言葉に目が止まってました。
実力がついているという自己成長の手応えがあれば給与が上がらなくても平気、てな強い精神性はしかし、自分の人生に対してのビッグピクチャ(または大きな不安)が明確な時に限るかもしれないなぁ。そうだとすると、難しいなぁとも思ったが。
☆ ☆
実力がない方が、無給よりも怖い。という相対化の文章を見て、日本が世界に「品質」で挑んでいた高度成長期の象徴的な言葉を思い出した。
売上よりも品質のほうが重要だ。
どちらの言葉も、カネとの対比だ。
カネよりも大事なものはなにかを言葉にし、カネを相対化しておくことは重要なわけですね。
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中学生という時期から、世の中の仕組みはこうだとか
お金はこういうふうに儲けるんだとか教えるのは早いんじゃないでしょうか。
その時期に敢えて教える必要はないのでは、と思いますね。
せっかく時間があるのだから抽象的なことを考えればいい。
☆ ★
池田晶子の言葉。
中央公論4月号の、池田晶子と玄田有史の対談から。
同じ対談からなんども引用してすみません(苦笑)。これで最後です。この言葉を書くまで、この中央公論を捨てられないので。
★ ☆ ☆ ☆
ちょっと急ぎすぎてますんでね、この時代。
急ぎすぎてなくす物があるだろうなと思いつつも、その思いをうまく言葉にできないでいました。
まだピタッ!と来るものではないですけれど、でも良いなと思ったのです、この池田晶子の言葉。
★
引用した言葉の1つ前に、こういう池田晶子の言葉もありました。
世の中に出る前にしかできない事って、あると思うんです。それがつまり考えることではないでしょうか。 世の中のことは世の中に出てからやればいい。 子どもが保護されて考える時間を与えられるのが学業の時間であるわけですから。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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早大一年生、中島美紗央(19)の会社選びの基準は振るっている。
「カッコいい人がいること」。
恋人探しではない。
「その人を目標に頑張れるから」だ。
★ ☆ ☆
日経新聞の2004.3.18朝刊。「働くということ」から
日経の「働くということ」という連載はとうとう第7部に突入。3月17日から第7部がはじまっていてその第2回。
☆
上記で引用した文章のあと次のように続く。
(中島美紗央は)入学早々、企業の就業体験コースを渡り歩く。そのたびに企業のどんよりとした空気に幻滅した。転機は昨秋、ネット広告ベンチャーのオプト(東京・港)に“仮就職”した時だ。 「えーっ。こんな大変な仕事を?」。新規顧客開拓を学生に任せるという。しかも正社員との競争。友人を集め、東京の渋谷など繁華街で飛び込み営業を始めた。名刺の渡し方、言葉遣いも見よう見まね。そして三カ月後。「食い込んだ」つもりだが、成績は二位。社員には勝てなかった。 中島は早朝出勤した時を思い出す。「社員さんがイスを並べて寝てたの。徹夜で仕事してたんだね」。身近に超えてみたい社会人を見つけた。世代に関係なく、互いを目標に見据えるところから、新たな働く喜びが見えてくる。
☆ ★ ★
勤めている会社にカッコイイ人、カッコイイ背中の人、います? なかなか出会えないっすかねぇ。
オヤジさんの後ろ姿はかっこ良いですかしらん。
お母さんの働く後ろ姿はかっこ良いかなぁ。
カッコいい人がいれば、この記事のように「仕事人としての目標」が持ちやすくなり、働く意味を見いだすのも容易になるかもしれません。
自分のモデル(理想)となる後ろ姿がないとちょっとつらい。
★ ☆
カッコイイ後ろ姿を社内外に見つけることができる人は、いまの日本だと恵まれているかも、運が良いかもしれないなぁ。
みんな同じように見えるかもしれないし、突飛なモデルは排除された後だったりするし。。。
なんとか必死で探しましょう。あの人、カッコイイ!と思う人
★ ☆ ☆ ☆
今回の日経の第7部「働くということ」のテーマがいまいちまだ見えてきません。
小テーマは「巣立ちの時」だそうで、新入社員が入ってくるこの時期にあわせて特集を組んでいるようで、「世代・性別を超える」「まず前に進む」というような切り口になりそうですが、少々魅力が乏しいかも。
面白くなったら、またとりあげて考えてみたいと思っています。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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昨日の記事でも取り上げた中央公論4月号に、「14歳からの哲学」の池田晶子と東大社会科学助教授・玄田有史の対談が掲載されている。
ちょっと長くなるんだけれど、打ち込んで残しておきたいと思ったので以下に打ち込む。
なお、この対談を打ち込もうと思ったのは、古い記事「なぜ人を殺してはいけないのか」に昨日 一児の母さんがコメントをくれたのがきっかけ。
「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いを深いところから考えるには良い刺激をこの対談は与えてくれているなと感じたのです。
一児の母さん、きっかけをありがとうございました。
☆ ★ ★ ☆
玄田:
池田さんは希望ということについては、書かれていますか?
池田:
人が希望を失うということは、つまりその希望を外の世界に求めているからですよね。社会とか他人に希望を求めているから裏切られたり、失望したり、ということになる。
そもそも自分がより良い、賢い人間になりたいということだけを希望としておけば、失うはずがないんですよね。
(略)
玄田:
ということは、希望がないっていう子は自分自身に失望しているということですか
池田:
自分の見つめ方を覚えればいいんですよ
玄田:
どうやったら見つめられるんですか
池田:
考えることですよね。
どうして自分は存在するんだということでびっくりする。
それから、なぜ人は死ぬのか、死ぬってどういうことなのか・・・
(略)
玄田:
自分が死ぬんだということを幼いときには初めて思った、あのときの恐怖感はちょっと忘れられない。一生覚えているでしょうね
池田:
そこから考え始めるか、わからなかったり、怖いからと蓋をしてしまうかこれがたぶん考えるかどうかの分かれ目ですね。
(略)
玄田
希望について考えることは、死について考えることとかなりオーバーラップしますね。
池田:
自分を見つめ直すということですからね。世の中ではなく、自分の事だけ見ていればいいんですよ。それをしないのは、見方を覚えてないからです。だからこの本を書きました。自分のことをまず見てごらん、と。こんなにわからないものがまさにここにあるんじゃないの、と。
☆ ★ ★ ★
「なぜ人を殺してはいけないのか」。
以前の記事に書いたように、結局、様々議論を呼んだこの議論は、「その問いを問いとして成立させてしまった時点でその社会はもう既に病んでいる」という状況分析的答えで収束した。
この対談で、池田晶子は直線的に答えず、
「どうして自分は存在するんだということでびっくりする」「自分が死ぬんだというところから考える」ことを示唆している。
★ ☆
池田晶子はずっとずっと長い間同じ事を言っている。考えろ、考えろ、考えろ。
考えることは覚えることではない。
考えることは悩むことではない。
悩まずに考えなさい。
考える時間をとれなどと言わない。人はいま、この場で考えることができる。
池田晶子は同じ事をずっと言ってるんだけれど、そのたびに不思議に「う~む」と考えさせられる。
不思議な魅力的な人だ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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対面型のコミュニケーションで会話を主導するのは受ける側である。
受け手の表情や身振りから話の送り手は彼(彼女)が何を伝えたいのか
その意思を読み取り、話をはじめることで会話が成立する。
受け手が主導するコミュニケーションと考えていい。
★ ☆
中央公論4月号「特集:ケータイ文化は退廃堕落社会の予兆か」の「ケータイを敵視する“メディア一世”たちの傲慢」武田徹より
★ ★ ★
この論文、ものすごい。
それこそ「うっ」「ぐっ」なのです。
コミュニケーションに対する捉えを180度逆転させてくれる♪
そしてこの捉えこそが、これまでの「直接コミュニケーションこそが大事」という正しそうな物言いに対して「そうかもしれないが、しかし何だか違和感があるんだよなぁ」というボクの異物感を表現してくれている。
上記の引用の前後で重要な部分を以下に打ち込む。
ちょっと長くなるけれど、とてもステキな論文なので。
★ ☆ ★ ☆
メディアを介したコミュニケーション、特にマスメディアを介した例では、受け手がどう対応するかは想定されず発信者側が自分の意志を伝えることで始まるコミュニケーションといえる。(略)
発信者主導のコミュニケーションである。
※
メディア一世(年代的に50~60歳ぐらい)はメディア経由のコミュニケーションの影響を強く受け、対面型コミュニケーションの訓練を十分積まずに大人になった年代と解釈してもいい。そして彼ら彼女らこそ、まさに若者たちの親の世代である。
このメディア一世の世代では、たとえば子どもの発しているメタコミュニケーション、顔の表情、身ぶり、しぐさの意味することが読み取れていない。子どもと対面していながらその表情を読み取れず、発信者側からのメッセージの提出に終始する。
「あんた、どうしてこの問題ができないの。しようがないわねぇ」と疑問型で問題提起をし、説明を求め、結局解答も自分で用意してしまう。
結果子どもを追いつめる。
子どもはどこがわからないか言葉で説明できないから困っているのに、その困惑している表情を読み解こうとしない。態度の不自然さに目をやろうとしない。(略)
親であり、対話者であるならば、まず前提として、対面する相手の表情やしぐさから読み解き、抱えているかも知れぬ不安を解消してやることから進めるべきなのに。
しかし当人は子どもと十分コミュニケーションを取っていると理解しているから、問題がどこにあるかがわからない。
※
メディア二世のケータイにおけるコミュニケーションの取り方はどうか。
ケータイはふつう1対1で対話をする。その意味で疑似対面型コミュニケーションと形容していい。(略)
メディア二世は、「ケータイ共同体」の仲間に向かっては「いまいい?」「いまどこ?」「いま何してる?」から会話を始める。あらかじめメールを送って「いま電話していいか?」と確認してから電話をかけるケースが多いという。
つまり、つねに自分の電話が相手にとって迷惑にならぬよう気遣いするのだ。そして状況を確認してからコミュニケーションに入ろうとする。(略)
メディア一世と異なり相手やその周囲のことを考えて、負担にならぬよう驚くべき礼儀正しさで気遣いしながら手探りをしている。
☆ ☆ ☆ ☆
旧世代のコミュニケーションは一方的で傲慢なカタチであるが、その子どもたちの世代は、親世代を反面教師とし受信者主体の柔軟な双方向型に戻そうと試みているのではないかと武田徹は解釈する。
この解釈、ボクはボクの体験込みで賛同する。
これまでの直接対面型コミュニケーションのボクらの経験は、うっとおしく面倒くさく苛立つ経験だった。
☆
武田徹は、「ケータイ共同体」を経験する若い人たちの柔軟なコミュニケーションに、「会社共同体」で閉じたムラ秩序の上に成り立っていた大人たちの傲慢なコミュニケーションにはなし得なかった「自分たち以外の他者」との接続可能性という希望を見いだしている。
魅力的な解釈。ステキな解釈なのです。
☆ ★ ★ ★ ☆ ☆ ★ ★ ☆ ☆
【2004.3.17追記-メディア1世と2世の対比】
it1127さん(左サイドバーにもリンクがあります)がコメントで、メディア1世とメディア2世を端的に整理してくれたので、追記しておきます。
it1127さん ありがとうございました♪
■メディア1世(年代的に50~60歳ぐらい)のコミュニケーション
○一方的○発信者主導○傲慢○頑固○ムラ共同体○縦の繋がり重視。
■メディア2世(ちょうどメディア1世の子どもにあたる)のコミュニケーション
○双方向○受信者主導○気遣○柔軟○ケイタイ共同体○横の繋がり重視
☆ ★ ★ ★ ☆ ☆ ★ ★ ☆ ☆
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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売上目標とか開発目標とかそんな数字目標だけだと、働く意味が見いだせないじゃないですか。
★ ★ ★
とある企業の優秀な中堅社員の言葉
☆ ☆ ★ ☆
この中堅社員が事業戦略構築の研修を受けて帰ってきたので、「どうでした?」と感想を伺った。
☆
「それがちょっと違和感があった部分がありまして。。。 目標を立てるときなんですけど、参加した半数以上の人が収益目標とか数字目標だけなんですよ。 それだけで良いのかなぁって違和感があったんですけど、大半の人がそうだったのでなにも言えなかったんですけれどね」 「社会にこんなカタチで貢献するとか、組織のメンバーとしてお互いに成長しようとか、質的な目標がいるはずと思ったんですけれど」
☆
で、そんな話を聞いていて、ボクのほうから、どうして質的な目標が必要と思われたんですか? と質問をしたその答えが上述のこれ「売上目標とか開発目標とかそんな数字目標だけだと、働く意味が見いだせないじゃないですか。」
すばらしい回答だ!とおもったわけです。
☆ ★
企業の目標が量的目標~収益目標だけの会社はまだまだあるのだろうか。
もし質的な目標を掲げていても、それが「働く意味を見いだすために必要」という意味づけの上で成されている会社はマレではないかなと思う。
★
「なぜ働くのか」という問が流行っている。
働く人から発せられているこの「問」の回答を、働く人の人生の中でだけで意味づけするのは実は難しい。
会社の質的目標との関係から「なぜ働くのか」という問を考え位置づけることができたら、「その会社で働くことの意味」の形成が可能となり、働く人だけではなく会社にとっても非常に有効になるよなぁ。
この優秀な中堅社員の「言葉」を聞いて、そう感じた。
★ ☆ ☆ ★
なおこの記事は、「ビジョンと重病」という記事へのたりぽんさんのコメントによる刺激で記憶からよみがえったものです。
たりぽんさん、ありがとうございます♪
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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給料が増えたり減ったりは、自分たちの時代は普通だったよ。
☆
いまから10年くらい前に50代半ばのサラリーマンに聞いた言葉。
だから、いま彼は60代~70代なんだろう。
つまり、この世代の人たち、どうも給料の増減はあたりまえという時代を生きてきたようなんですよね。
☆ ★
いつのまにか給料・収入は激変しないという認識が形成されて、ボクもそういう時代を生きてきた。
だがその前の時代、給料の増減はあたりまえの時代がどうもあったようだ。(どうもあったようだって(自笑))
サラリーマンじゃない人たち、自営業の人たちはこんな話はおもしろくもめずらしくもないほど日常なんだろうけど。
自営業の家に育った人たちと話をすると、子どもの頃「今月はどうもお店の調子が悪いんだな」とわかり、「おかずが減るなぁ」「我慢しなきゃぁなぁ」と思ったというお話を聞けます。
現在60代~70代の人たちの親はサラリーマンではなく、自営やもしくはサラリーマンであっても小さな会社で働いていたのだろうと思う(統計を調べてないので、推測なんですけれど)
だから彼らは、月ごとの生活の変動を受け入れることができていた、生活の毎月の激変に適応してたわけですよね。
★ ★ ★
ボク、この話を聞いて、無自覚に強く安定を望む時代に生きてるんだなぁと自覚しましたですわ。
いやぁ、恥ずかしい話ですけれど。
確かに収入は下がったりする時代ではあるけれど、激変というほどの変動ではない。あっても一時期。
毎月ジェットコースターのような変動ある生活を要請されるわけではない。
いやぁ、だからそういう激変になれようと決して言いたいわけではない。
ただ、ちょっと無自覚に安定を求めすぎている自分を自覚した方が良いかもな と思ったわけです。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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企業の評価基準は以前の通り収益基準。
★ ★
あるシンポジウムのチーム討論での言葉。
★ ☆ ☆ ☆
あたりまえの、よく聞かれるこの言葉。
この時期だから、あらためて引っかかる言葉になってしまう。
☆
「赤字というのは、人間でいうと病気。その時に夢もビジョンもないだろう。まず病気を治すことが大事なのだ」という経営者もいる。
ただ人間にたとえたこの言葉はちょっと違う。と思う。
重病であれば重病であるほど「生きようという意欲」が生死を分けたりするのではないか。
☆ ☆
「企業の評価基準は以前の通り収益基準。」
この言葉がひっかかるのは、「以前の通り」という部分だな。
以前といまでどう違うか。
以前、組織は「終身雇用」「年功」という共同体秩序のもとにあった。
だから以前は、共同体基盤の上で「収益が大事だ」と言っていたと思う。
この意味で、企業行動の基準は多様~たとえば収益、仲間、組織への帰属感と信頼~だったように思う。
その共同体基盤・企業組織の秩序が希薄化した中で「収益が大事」と、収益・成果という単純な指標だけが強調される時代になった。
シンプルな行動基準はこわい。
様々な構造要因、競争要因、歴史的な背景要因をすべて無視し、「収益だけ」に猪のように猛進することになる。
エンロンのようになる。
☆ ☆ ★ ★
このしんどい時期だから「収益だけではないんだ」とか「我が社は重病だからこそ、ロマンとビジョンを共有しよう」と組織構成員と社会に訴えるべきではないか。
と思うのだけれど。。。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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アル中のニコラスケイジは
出会った娼婦に「酒をやめろとおれに言わないでくれ」と言います。
彼も「売春をやめろ」と娼婦に言いません。
お互いが抱えているリスクを「受け入れ」愛しあう。
それが『リービング・ラスベガス』のテーマでした。
★ ★ ★
村上龍メールマガジンJMMの現役大学院生でかつSMクラブでアルバイトをしているF譲との公開交換メールの中の言葉。
随分昔の配信のもの・・・・、2000年6月17日付けで配信されたものでした。
★ ☆
リービングラスベガスという映画をこの村上龍による紹介まで知りませんでした。
この映画でニコラスケイジがアカデミー主演男優賞をとったことも知りませんでした。
☆
「酒をやめろと止めるな」「売春をやめろと言わない」
なんとも衝撃的な(絶望的な)愛のカタチの有り様にびっくりしてレンタルビデオ屋に飛んでいき、急いで見たのを覚えています。
☆ ☆
村上龍はこの日のメールマガジンで
いいと思ったことは相手に勧めるし、悪いと思ったことは止めさせようとするというのがアメリカ特有のおせっかいだった。『リービング・ラスベガス』にはそれがなかった。
負っているリスクをふくめて相手をまるごと認めて、それでも一緒にいたいと、『リービング・ラスベガス』の二人は思うわけです。
と絶賛するのだけれど・・・・
この愛のカタチ、わからないでもないが、ボクにそのような現実がおそってきたとしたらとても無理だなと思った。
こういうカタチで相手の生き様を尊重し相手をまるごと受けとめられる人、どれだけいるんだろう。
そして、このカタチ、「それぞれの自立した生き方」ということを超えて、正しいことなんだろうかどうなんだろうかと倫理的な観点からも う~むと考えさせられた。
それほど衝撃的な映画、それほど衝撃的な村上龍の言葉だった
☆ ☆ ☆
この映画のタイトルを思い出せなくて、picoさんに「なんて映画だったっけ」と質問したら、あっという間に教えてくれた。
Great!!
picoさん、ありがと♪
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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ロバが旅に出かけたところで馬になって帰ってくるわけではない。
☆ ★
押井守の封切り中の映画「イノセンス」で3回ほど使われた言葉。
★ ★ ★
てっきり孔子の言葉だと思っていたがインターネットで検索すると違うようだ。
「西洋のことわざ」として紹介されている。
[ Syuugoroの格言集《は》 ]ロバの旅はロバにとっての成長に役立つのだ。馬にとやかくいわれる必要は無い。ロバにはロバの価値がある。けわしい山道ではロバの方が役に立つのだ。 ロバが馬になろうとしても、なれる筈がないのだ。そんな無駄な努力をしている間に自分の能力も発揮できず、もっとも惨めな生き方をしてしまうだろう。充実した人生とは、人の能力を真似することではない。自分の能力と可能性を実現することだ。 平凡の価値を貶めてはならない。もっとも平凡な人生を体験した人が、自分の人生の中で体験したこと、結婚や家族の死、愛する人との別離、仕事の苦労や悩み、貧しさへの嘆き、旅行や休みの日の遊びで小さな幸福を感じたこと、世間で起こった事件への感想など、それを正確に記録すれば、その生活が平凡であればあるほど、もっとも価値ある時代の証言になるだろう。平凡な人間こそが時代を証言する義務と権利を持っている。
★ ☆
個性と同時に平凡さの価値を言う。
凄いですねぇ。
頭の中では、個性と平凡は逆の関係の言葉として配置されてしまいがちだけれど。
☆
しかしこの部分↓、ブログとか日誌がそのまま当てはまるぢゃん!
もっとも平凡な人生を体験した人が、自分の人生の中で体験したこと、結婚や家族の死、愛する人との別離、仕事の苦労や悩み、貧しさへの嘆き、旅行や休みの日の遊びで小さな幸福を感じたこと、世間で起こった事件への感想など、それを正確に記録すれば、その生活が平凡であればあるほど、もっとも価値ある時代の証言になるだろう。
☆ ★ ★ ★
あ~この言葉「ロバが旅に出かけたところで馬になって帰ってくるわけではない」、映画イノセンスのどういう場面で使われてたんだっけかなぁ。
くそっ、もう一度、見に行きたくなっちゃったよ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
----------------------------------------------------
ただ聞いて欲しかっただけなんだ
★ ☆ ☆
心理カウンセラーの先輩(おじいちゃん♪)の言葉。
☆
心理カウンセラーってなにをするのか、傾聴とはなにか。
それらを知りたかった時に、心理カウンセリングのロールプレイの相手をしてもらった。
ボクがカウンセラーの役、先輩のおじいちゃんがクライエント(相談者)の役。
終わってから「どうだった?」と先輩カウンセラーに質問をされ、あ~でもないこ~でもない、あ~すれば良かったと自分の対応を分析的に反芻した。
けれど・・・・
その先輩カウンセラーは、
「全然違う。オレはただ聞いて欲しかっただけなんだ」
☆ ☆ ★
目からうろこだった。「ただ聞いて欲しかっただけ」。
タイミングさえあえば、簡単な一言で人は覚醒するもんだ、とボクは思った。(実はいまもわかってなかったりして)
それまで自分が心理カウンセラーがなにをしているのか、傾聴とはどのような事かわかったつもりになってただけだった。
★
いやぁしかし、あの時のこの一言「ただ聞いて欲しかっただけ」は、当時のボクをしっかりと変えちゃいましたとさ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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文脈というのは誰かがつくってくれるわけではなくて、
自分でつくっていくしかない。
そういうことを一人ひとりが考えていかなきゃ、
人と人とは絶対につながらない。
☆ ☆
いま発売中の週刊ダイヤモンド3月13日号の特別鼎談「13歳に“ハローワーク”は必要か」での東大・社会科学・助教授玄田有史の言葉。
この鼎談は、村上龍と藤原和博と玄田有史の3人による。
なかなか興味深い鼎談です。立ち読みででも読む価値あると感じます。
☆ ☆ ☆
引用した「言葉」以外に、同じような意味のこんな言葉がありました。
■藤原和博:
「自立した個人が信頼で結びつく社会に移行しなければならないのに、まだその方向にいってない」
■村上龍:
「(13歳のハローワークの)インタビューの最後まできて、『わかりました。これからは一人ひとりが自分の足元を見つめて頑張らなくてはいけないってことですね』。
違う、それは違うって。
一人ひとりが足元を見つめて頑張るというのも、横並びのアドバイス。インディビジュアルに何かをやるのがあたりまえの世界では、絶対にそんなことは言わないです。」
★ ★ ☆ ☆
つながると言うとき、目的もなく集団になるときがボクらは多かったかな。
群れるって感じ?
弱いから、何をして良いかわからないから、まず群れる。
何かを達成したいから集団をつくるという、つまり「自立した個人がなにかを達成したいからツナガル」という逆の契機は少なかったかもしれませんですね。
就職するときに大きいからその企業に就職を希望する。
大学を選ぶときにとりあえず成績から見ると、その大学が成績に見合うからそこに。
政策やポリシーは違うけれど、でっかいから自民党に(笑)
★
で、自立した個人だからこその個人間の信頼あるコミュニケーションに移行しなければ、と鼎談では言われるのだけれど、これがまた難しい。ッテイウカァわかりにくい。
その個人が信頼できる人かどうかをボクらは「所属している会社」「肩書き」「学歴」、古くは生まれた場所でとりあえず判断してきた。
てまえ、生国と発しまするところは関東です・・・・ってね(苦笑)
☆ ☆ ☆
自分自身の文脈を語るということはしかし大事。
ネットではとりわけ、その訓練をさせられているようなもんだ。
発信すればするほど情報は集まる。
語れば語るほど「ツナガル」という経験をボクらはまさに、ネットで今日も体験している。
☆ ★
きっと勘違いしてはいけないのは、資格で証明しようとか職業で証明しようとか更に生き様で証明しようとか、肩に力を入れる必要はないんだとは思う。
サッカーや野球や競馬といった趣味でも、浜崎あゆみが好きだとかでもかまわないんだ。
ネットでツナガル事ができたこれまでの経験からすると、実はそんなに難しいことではない。
★
河合隼雄は「忍法自我隠し」が日本人はうまいとどこかで指摘していた。
忍法自我隠しの呪縛から自分を解き放ち、いま既に自分の中の興味関心のある「それ」を発信すれば、語っていけば良いだけなんだと思う
★ ☆ ★
【番外編】
上述の鼎談の中で、村上龍が語っている「親としてのこんなモデルがボクらの頭にあるんじゃないか」という指摘が面白かったので、引用。
■村上龍:
親はどうしたらいいかというのも、必ず聞かれますが、そう聞くときには必ずモデルとしての親がある。
「サザエさん」の家庭とか「ドラえもん」ののび太君の家庭とか。マスオさんものび太君のお父さんも絶対リストラされないし、転職もしない。
もっとすごいのは、どこで働いているかわからない。
ああいったモデルが、ボクらの頭のどこかにあるんです。
でも、実際にはもうないでしょう?個別に全部違うんですよ。
格差や多様性があたりまえとしてある社会では「親は」という言質はないはずなんですよ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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(個と組織が新しい関係を築くために、個人、企業は何をすべきなのでしょうか)という質問に対し、
個として最もすごいなというのは芸術家だったりプロスポーツ選手だったりすると思うんですけれども、そのプロの個人たちは、常に観客の拍手やスタジアムの感動というのを目指しているんですね。 その意味で、やはりロマンとそろばんと冗談が重要で、国語と算数が必要不可欠だと感じます。 また組織と個、上司と部下の関係でいえば、やっぱりお互いが尊敬し合うことが一番です。接待はどうしたらいいんだとか、名刺はどう交換すればいいのかっていうことは、上司を尊敬して聞いた方がいい。でも街の流行はどうなっているんだっていうのは、上司が部下に聞かなければいけない。その「50%ずつの尊敬し合い」を上手くやれれば、必ず新しい関係が築けるし、お客様の声を風通しよく入れることにもつながるんだと思います。
☆ ☆ ★
先に書いた記事のパート2。
くらたまなぶ/あそびとまなぶ事務所代表の言葉。
★
「50%ずつの尊敬し合い」を太字にしましたが、良い言葉だなと思いました。
★ ★
会社や組織にコミュニケーションが欠如していると捉えている方は少なくないはずですが、「そのコミュニケーションはいったいなにが目的か?」と問う人がいます。
くらた氏は「常に観客の拍手やスタジアムの感動というのを目指しているんですね」と比喩し、顧客広くは社会からの拍手をもらうためにと考えたら「コミュニケーションの必然」「上司と部下の尊敬のし合い」の必然が出てくるはずだ と提案している。
とてもステキな意味づけですね♪
☆
さてところで「自分の仕事は、顧客や社会から拍手をもらうためにやってるんだ」と認識している社会人はいったい何割?何パーセントいるんでしょう?
1割いないかも。
もし1割も更に1%もいないとしたら、それは「自分の認識」の問題ではない。(つまり、自分を責める必要はない(>おお!オレのせいではないのか。ふぅ良かった♪))
認識できないようなシステムになっちゃってるんだ。構造の問題と捉える方が正しいですよね。(だって認識できる人のほうがマレなんだから)
☆
システムの問題として、それはたとえばどんな解決方法があるんだろう。。。
そりゃもう、あっちこっちで成功事例がビジネス誌にでまくってます。縦割りを排せ。ってやつ。
たとえば、5日だっけかなの日経新聞のヤマハ発動機の記事。
三年前。二輪車世界二位のヤマハは動脈硬化に陥っていた。技術にこだわるあまり開発部門が聖域化。生産・調達部門は言われた通りの部品を購入して組み立てるだけ。川下の意見は設計に反映されずコストは上昇。国内販売低迷と円高で二〇〇一年三月期の利益は三割落ち込んだ。六〇年代に名車「トヨタ2000GT」をトヨタ自動車と共同生産するなど技術重視の風土を築いたが、いつしか強みは弱みに変わっていた。「壁を崩す」。二〇〇一年四月に社長になった長谷川至はメスを入れた。就任から半年後、創業以来の組織改革といえる「システムサプライヤー制」を導入したのだ。開発、生産、調達という縦割り組織を見直し、エンジンや燃料タンクなど八つの部品別チームを設置。各チームが開発から生産・調達まで一貫して手掛ける仕組みに改めた。
日産カルロスゴーンのクロスファンクショナリティも同じ。
☆
こういう構造をつくれば上司と部下の「50%ずつの尊敬し合い」「コミュニケーションの必然」の場ができる。
んなこたぁ、経営の教科書を読めば、組織とか組織構造とかの章で 百万年前から書かれてる(爆)
知らないのは勉強不足か「自分も古い仕組みに従ってきたが、壊せないと思い込んでいただけかも(ヤマハ発動機社長・長谷川至氏)」という学習された無力感にすぎない。
☆ ☆ ★
さて、こんな大それた組織構造改革の他に上司と部下の「50%ずつの尊敬し合い」を促進する方法はないんだろうか。
そもそも「コミュニケーションの目的はなにか」と問う問い方がちょっと異様かもしれない。
「コミュニケーションしたいからコミュニケーションするんだよ」という人がいる。
こういうタイプの人からはコミュニケーションはボクら「人」としての原点なのだから、「なぜコミュニケーションをするのか」のような問いをねつ造するな!ということになる。
この立場から考えると、「上司と部下の50%の尊敬し合い」の本能をなにかが邪魔をしていると捉えることになる。やや楽天的だけれど「自分の身を任せられない人に、他人を信じることはできません。」という信頼関係形成の本能を阻害しているなにかがあると捉えることになる。
★ ☆ ☆
ボクらはなにに阻害されてるんだろう。
なぜ背中に注意をしないといけないんだろう。なぜ上司や部下に「身を任せる」ことができないようになってしまったんだろう?
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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数字の目標は必要だが同時に必要なのが「言葉」の目標なんです。
右手に「ロマン」
左手に「ソロバン」
心に「ジョーダン」を。
そして「オモシロイ」。
面白さが出てこないと活性化はとてもできないんじゃないか。
★ ★ ☆
「個と組織の新しい関係プロジェクト」より。
伊藤邦雄/一橋大学教授、くらたまなぶ/あそびとまなぶ事務所代表、小林陽太郎/富士ゼロックス会長によるディスカス。
☆
くらた氏の発言が光ってる。
予算のような数字の目標は必要ですね。でも同時に必要なのが、言葉の目標なんです。機械、バイオ、情報、どんな業種でも組織を成り立たせている根っこの部分には、算数と国語しかないと思うんです。数字の目標だけを求めても絶対に儲からない。言葉、つまり国語があってはじめて、現場も動くんだと思いますね。
どんなに小さい案件でも大きな新規事業でも、必要なのは「ロマン」と「そろばん」と「冗談」だと思っています。企業にロマンがあることで、お客さんはその見返りに“チャリン”とお金を支払ってくださる。ラーメン屋さんなら、「くらた豚骨ラーメンで満腹と幸せを」というように。逆に、あらゆる味で勝負するのであれば、自ずと商品開発も店の体制も変わってきますよね。 その一方で、そろばん=目標を達成するには、サッカーやバスケットボールを見れば分かるように、いい意味での歯車が必要不可欠だと思います。少し実務的に言えば、ロマンを決めるときに大事なことは、従来の縦の組織で実践すると失敗する可能性が高いということを認識することなんです。つまり上の人間の経験則や知識というのは、今の現場=マーケットからは離れている可能性が高い。「近ごろは高級料亭ばかりで、ラーメンなんて食べていないよ」。上司がそういうこと言えば、議論ができないわけです。 だから本当に大事なのは、上司と部下とお客さんがいたとして、現場に近い若いメンバーがまず吸収して、それをフィードバックするような体制をいかにつくっていくかということであり、面白いことだし、一番努力しがいがあるはずですよね。 そしてそういった組織であるなら、たとえ苦しい時でも意欲や愛情や情熱をベースにした冗談を言い合えるし、みんなで頑張ろうっていう姿勢が自然に生まれると思うんですよね。
☆ ☆ ★
この対談のくらた氏の発言でもう1つ重要な指摘があるので、それは別記事に。
★
しかし思うのは、2つ。
1つ。
「ロマン」であれ「おもしろさ」であれ、この成熟時代にはそう簡単には発見・生産できないんじゃないか。
高度成長期にそれは、あちこちにころがっていた。
「ロマン」や「おもしろさ」はおもに「成長による楽しみ」によって大量に生産され、それがまた新たに「ロマン・おもしろさ」を再生産していた。
いま企業活動に「おもしろさやロマンを求めてもそれはない。虚妄だ」と若い人は気づいているんじゃないか。
★
もう1つ。
「ロマンやおもしろさ」の周縁にエモーショナルキャピタルが重要という発想がある。
対談の中では伊藤邦雄教授がこう言っている。
しかしこれまで日本の経営者が、ややもすると楽観視し過ぎたのが、「エモーショナルキャピタル(情的資本)」なんですね。社員のエモーショナルキャピタルを高めて、さらに成果主義があれば必ず活力がでてくる。成果主義とエモーショナルキャピタルを高めるようなコーポレートブランドを中核に置いた経営が、突破口になるんじゃないでしょうか。
いま流行?のモチベーションの問題・組織活性化の問題もこの周縁なんだけれど、でもそれって、あまりにも嫌らしくないですかねぇ。
誰かに知らぬうちに「やる気」にさせられている状態って不気味だ。
「やる気が出させたろか?」って言われたら「おまえになんか出させたれたくもないわっ!」って思う。
「やる気にさせたろか」って状態は、柔らかいオウム真理教じゃないのか?
★ ☆
ボクらは、企業に「面白さやロマンが既にない」ということを概ね知っている。
にも関わらず、企業で組織生活をすることを自分に課すのであれば、いったいなにを求めているのか、そうしてなにを我慢するのかをしっかりと考えないとならないと思う。
ここをさぼると「会社が悪い」「社長が悪い」と言い続けてストレスを溜めまくり悔いと無力感という退職金を持って定年を迎えることになる。
逆に「企業に面白さやロマンはないのだ」と捉え、企業や組織生活や仕事内容などに期待せず、そこそこ気楽に快楽的にやり過ごし、仕事以外に楽しみや生きがいを求めた方が豊かな時間をおくれるかもしれない。
☆
と言っても、組織生活以外で人生の楽しみや生きがいを発見するという事のほうが、更に困難なのが「いま」なわけですけれどね。
しんどいことです。
ヒビノキロクさんから、「会社が好き! ってなにが好き?~会社が好きな方教えてください。」という記事にトラックバックで答えて頂きました。
ありがとうございます♪
[ ヒビノキロク ]今は、仲間がいるから仕事が楽しい。仕事それ自体は、地味だし、その仕事をするためにこの会社に入ったってわけでもないし。
「仲間がいるから楽しい」と明確な理由・意味づけでしたですね。
☆ ☆
組織が最大の成果をあげるのは、個人が孤軍奮闘するのではなく社員が互いに協力しあう時であり、ともに努力するときだというのは、組織が組織であるための基礎基本だろうし、この意味で「仲間がいるから 会社が好き」と働いている人に言わしめる会社は、組織力があってよき成果もあげてる会社なんだろうなぁ。
ヒビノキロクさんのお勤めの会社、よい会社なんだろうなと、もっとお話を聞いてみたくなりました。
☆ ★ ★
重ねてになりますが、ヒビノキロクさん、トラバありがとうございました。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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会社が好き。
★ ★ ★
会社が好きだ!という方がまだまだボクのまわりにいらっしゃいますんです。
仕事が好きという意味ではなく、所属している会社が好きだ とおっしゃるんですね。
ところが、ボクには、この「会社が好き」というのがわからない。
「会社が好き」というのは、もう少し具体的はなにが好きなんでしょう?
どういう状況を指してるんでしょう?
上司や職場が良い、楽しい?
仕事へのやりがいと自分のやった成果による会社への影響力?
会社の方針とか考え方とか?
歴史?
どなたか、「オレも会社が好きだ」「ワタシもいまの会社、好きっ」という方、教えて頂けませんか?
よければコメントを書いて頂けるとうれしいです
★
それとも「会社が好き」というのは 異性を好きと同じように 説明しろと言われてもなぁという そういう事なんでしょうか?
う~む・・・
PS
ここへのコメントだけではなく、トラックバックを使った会話でもご自身のブログで同じように投げかけて頂いても良いのです。
とにかく知りたぁぁぁぁい。
謎なのです。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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大学院が大量にできて、マスターだけではなく博士課程卒業も大量に増えている。
彼らが歳をとったとき、どう処遇するんだ?
☆ ★
電車の中で、なにかの学会の帰りらしき教授?たちの会話。
★ ★ ☆
この会話の怖さ、本質を突いている部分を、マスター・ドクターをそれなりの数抱えている企業の人事部の方々は既に気づいてるんだろうなぁとは思います。
ボクには関係ない話だけれど(笑)、でも本当にどうするの?
☆
学歴という問題、資格という問題、これらは実はとても根深い。
実務上でなんの成果もだせないじゃないかという現実的な指摘と「でもオレはPHD(博士課程)をとったのだ」というプライド・存在の問題が交錯する。
さらにやっかいなのは、ボクのような一般ピーポーのココロのどこかに「あの人、○○大学の博士課程をとったんだって。凄いね」というある種のソンケーやら敬意やらが、成果が出せる出せないとはまったく無関係に確かにあることなのです。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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結婚式に上司は呼びませんよ。
だって、友だちじゃないですから。
★ ★ ★
2年くらい前だと思いますが、日経新聞のコラムにのった言葉。
驚いて、乗っていた電車の椅子から落ちそうになりました。
☆
結婚式の意味が変わったことと上司の意味が変わったことの2つの側面があって、その合わせ技から「上司は友だちではないから結婚式には呼ばない」という言葉がでるわけですよね。
結婚式って、仲人立てないそうですねぇ。
しかも 「ゲストを退屈させないおもてなし婚」が結婚式なんだそうです。(ゼクシー調査)
いやま、良いのですが(ニガワライ)
この「自分たちもゲストも楽しむ結婚式を」という考え方の延長に「上司は友だちではないから結婚式には呼ばない」という考えが出てくるわけでしょうか
☆ ★
で、上司。
友だちのような上司だから結婚式に呼ばれた! って喜べるんですかね(ぶわははは)
もう1つ。
有能で尊敬されている上司、リーダーシップをバリバリ発揮している上司は、友だちという感覚ではないわけでしょう?呼ばれないのか?
「自分たちもゲストも楽しむ」という考えの結婚式の場合、その有能な尊敬されている上司は呼ばれなさそうな気がしますが・・・・・どうなんでしょう。
★ ☆ ☆
いやまぁ、こういう事になりつつあるから、昨日記事にした「ためらいのお説教」ということになるわけでして。。。
こういう結婚式観と上司観を持ち出されると「あっそうですか」となんとか必死で事態を受けとめようとするしかないわけでございまして・・・。
あっりゃ、儀式・儀礼としての結婚式の要素はかけらもないわけね・・・ダメだついてけない・・・と口ごもるしかなくなる。。。。
☆
でも、やっぱりどこか妙なんですけど(わはは、どうしても異議申し立てをしたいようだ自分)。上司観も結婚観も・・・・
あら?ボクだけですか?そうですか。ポッツーン(--;)
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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「広場で遊んでいて良いんだよ。」
しかし「子供達が遊んでいるのをじっと眺めていて、崖から落ちないように見張っている」
そしていま彼らは、原っぱで遊んでいる子供達の首根っこをつかまえてきて崖っぷちに連れて行き、「ここが崖っぷちだ!さあお前も門番になれ!」と言っている。
★ ☆
charlieこと鈴木謙介さんのブログ「Sole For Sale」の2月27日付けの記事「偽史としての戦後サブカルチャー史観」より都合の良いように(笑)引用。
この記事は、先頃出版された、大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』の書評・評論になっている。
★ ★ ★
時代が大きく変わるとき、新しい価値観をもっている人は「広場で遊んでいて良いんだよ」と言うだろう。「最近の若い奴は・・・」と説教をする古い価値観の大人の言うことはほっときなさい、君たちはいまのままで良いんだと新しい人は言う。
そして、ただほったらからしにするのではなく、その新しい価値観を持っている人は「子供達が遊んでいるのをじっと眺めていて、崖から落ちないように見張っている」。
時が流れ、その新しい価値観を持つ人はいま、「原っぱで遊んでいる子供達の首根っこをつかまえてきて崖っぷちに連れて行く」。
ダメだ、ここで遊んでいる場合ではない。
と、言う。
さてしかし、それは、古い価値観の人がたれる「古い説教」と変わらないのではないか。単なる世代的な錯誤ではないか。
当時「わかってないのは大人だ」と子どもの側にいた「新しさ」も、時代の変化に追い越され「古さ」となり「おまえたちはわかっていないと子どもに説教をする」ようになったのかもしれない・・・
☆
こういう悩み、このあげき ずっとしてきたような気がする。
「ったく・・・」と若い10代をさして思うとき「ん?最近の若いやつは・・・という若かったときに聞いたカビくさいとても共感できない決めゼリフ(?)に過ぎないのではないか。既に自分の考えは古く、その古い価値観で意見を言っているのではないか」と躊躇する。脅える。
自信があるとかないとかの問題ではない。
変化の高速化の中で、たえず客観データを参照しなおさないと、状況が見えないことを自ら知ってしまっているだけに、安易に説教(笑)できないのだ。
たとえば、若い人の凶悪犯罪は決して急増してはいない とか 若者のコミュニケーションは希薄化しているのではない とか例示すればきりがない。
★ ★ ★
Charlieさんが記事にした内容はもっと深いのだけれど、「広場で遊んでいていいんだよ」と「首根っこをつかまえて、崖に連れて行く」というこの2つの喩えは、とてもボクにはわかりやすく、そして考えさせられる内容だった。
当時嫌っていた親とそっくりになっている自分の身振りに気がつく というそれかもしれないんだ。
そして今日も悩む。
それを言うのか。それとも我慢して、血がにじむほど舌を噛むのか。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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自分の身を任せられない人に、他人を信じることはできません。
★ ☆
銀座「ふたご屋」のママが書いた、「いい男の条件」ますい志保/青春出版社 から引用。
☆
今日の朝日新聞の書評コラムに、この本がベストセラーになっていることが紹介されていた。
その書評にも、上述で引用した言葉が紹介されていて、「うわっ!信頼と信用の原点だな」と飛びつき、さっそく本屋に出かけていって
「いい男の条件」(;´Д`)ハァハァ
と本のタイトルをつぶやきながら探しまくって買ってきた。
☆
上述引用の言葉、でもちょっとこの文章、日本語がへん(笑)
買ってきたばかりのこの本から文脈をたどると、
自分の身を任せることができない人は、他人を信じさせることはできません。
ということのようだ。
☆ ★
こんな感じで、この「信頼」と「度量」の原点のような言葉が出てきます。
イマイチ埒のあかない男なら、イタリアンに誘ってみてください。 ワインのオーダーで、電話帳のごとく、いつまでもワインリストを読み込んでいるようではダメです。 迷ったら、ソムリエに任せることが重要なのです。自分の身を任せられない人に、他人を信じることはできません。
信じているよという仕草が、やる気を起こさせるのです。
★ ★ ☆
これまでのネットリした人間関係ではなく、しかも希薄ではない新しい「つながり」を欲望し創造しなければならないこの時代に、「信頼」の本質が「自分の身を他者に任せることだよ」とわかりやすく示してくれた言葉でした♪
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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自由を犠牲になにを守る
★ ☆
2004.2.23づけ朝日新聞夕刊。
藤原帰一東大教授(国際政治)による「論壇時評」より。
上記の言葉は小見出し。
☆ ☆ ☆
食の問題(アメリカ産牛肉のBSE発生による輸入制限など)と9.11は似た議論があるとした評論。
ボクらが安全を求めて、そのために自由を犠牲にしてることを自覚してるのか?
国は、そのボクら国民の不安を利用して、無法な権力行使をしている。そうさせてしまっているのはボクらであることを自覚してるのか、という批判&警報&啓蒙。
☆
テロの問題、食の問題、そして突然起こる凶悪犯罪から自らを守るための監視カメラ設置の問題。
ボクらは不安でしようがない。
だから、お上に「守ってくれ」とすがる。
しかし、それによって自らの自由を犠牲にし、国に無法な権力行使をさせてしまっている。
アメリカは現に妙な方向にいってしまった。
問題はブッシュ政権の実体ではない。むしろ、これほど乱暴な、必要もない戦争を行う一方で市民の自由も雇用も犠牲にした政府を、多くの国民がつい最近まで支持したという点にある。
その二の舞をボクらはまた犯しつつある・・・・かもしれない。
怖い
☆ ★ ★
以下、この評論のポイントをピックアップ。
どこまで国に委ね自由を犠牲にするか、どこまではリスクを自分たちで了解し国の横暴を許さないか。自らの自由を守るか。
それらをしっかりと考えるために、引用。
☆
どれほど漠然とした脅威であっても事件が起これば想像を絶する被害が生まれるだけに、テロもBSEも放置することできない。
テロ対策としてアフガニスタンが空爆され、BSEのおそれが残る限りアメリカ産の牛肉はあきらめなければならない。安全確保のためには普通では考えにくいほど強気の政策がとられ、国民も受け入れるのである。
☆
だが安全確保の代償は大きい。
食品の場合、食の安全のためどこまでの代償を負担すべきか議論はできるし、食生活は変えることができるだろう。
だが、テロ対策の場合はそうではない。国民の安全という目的は、どんな犠牲を払っても実現しなければならないからだ。
そして、目的達成のためには、国民の自由も当然のように制限されてしまう。
☆
生活の安全を国民が求めるのはごく当然だろう。だがここで起こっていることは、国民の安全が確保される政治と言うよりは、国民の不安を利用することで無法な権力行使が横行する事態なのである。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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「ゆとり」と「個性重視」の教育も、成熟社会論をベースにしている。
しかし、その先には、一部の勝ち組が地球規模で知的能力を競い合う競争社会と、競争から降りた大多数のための「個性浪費社会」が待ち受ける。
そこでは、表層的な「個性」を気にしあい、「本当の自分」や「感情」や「こころ」を行儀良く管理する術を手に入れた、人びとが、記号やサービスの大量生産=消費の担い手として、「自己実現」をめざす。
☆ ★
2004年2月22日の朝日新聞の「ゆとり教育から個性浪費社会へ」岩木秀夫著の書評を苅谷剛彦東大教授が書いたもの。そこからの引用。
★
なんと鋭い分析なんだろうと思ったのです。
実は、反発する人が多いだろうなと思ってこれまで書けなかった記事に、去年のスマップ(SMAP)の大ヒット曲・唯一のダブルミリオン「世界に一つだけの花」があった。
♪No.1にならなくてもいい もともと特別なOnly One♪
というそのメッセージがまさに、上の書評の鋭い指摘そのままではないのか。
☆
書評のこの部分ですね。
表層的な「個性」を気にしあい、「本当の自分」や「感情」や「こころ」を行儀良く管理する術を手に入れた、人びとが、記号やサービスの大量生産=消費の担い手として、「自己実現」をめざす。
「No.1にならなくてもいい」と競争から「降りる」ことを誘惑し、「もともと特別なOnly One」と表層的な個性競争に仕向ける。
タイトルの「個性浪費競争」が無自覚に促進される社会。
そうして、それこそが「自己実現」なのだ と価値づけをする。
☆
気持ち悪さは、この歌詞がボクらの気分にフィットし共感してしまい「ダブルミリオン」になってしまったこと。
ボクらは生まれたときから顔が違い身体が違いココロが違う。そんなことは自明。
にも関わらず、あらためて安易に「オンリーワン」なんだから競争しなくて良いんだ、さらなる個性を磨けと「自己実現」を煽り、内向きに自分を磨かせる(浪費させる)ような、そんな歌がなぜ??
☆ ☆ ☆
気持ち悪いっす。
ひきこもりが過ぎませんかしらん。
☆
・・・・・・・
へへへ、書いちまった。
単にはやり歌。
それだけの話だし、大量消費されただけだ。
この手の批判は去年たくさん出たんだろうな。しらないけれど。
出てないと不思議。無気味。
がしかし。
NHK紅白の大トリだったし。。。マジ?と思ったわけでした。
つーわけで、この本もご注文♪
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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シナリオラーターと役者の塾を作る。金は
一切取ることをしない。彼らの生活費は農業
で稼がせる。住む家は自らの力で建てる。僕
にあったのはそれだけの計画。想像しようと
してもそれ以上の具体の姿は浮かばず、只漠
とした強い夢だけが、吹雪の閉ざされた小さ
な山小屋の暖炉の中でめらめらと燃えていた。
正直云って僕はその時、若者たちを信じて
いなかった。応募者はどっと押し寄せてきた
が、その中の何人が果たして本気で僕の意図を
理解し、行動してくれるのか。そうゆう力を
若者が持ち得るのか。全ては全く闇の中だっ
た。一期生十五人を採用し、荒れ果てた谷で
の開拓が始まった。僕は彼らに最初に云った。
急ぐことはない。ゆっくりとやろう。建物を
建てるのも、勉強するのも。これは農業じゃ
ない。林業だ。春蒔いたものが秋作物
になると思うな。実るのは二十年、三十年先
だ。遅れることを決して恐れるな。遅れるこ
とは絶対に恥じゃない。
たちまち二名が脱落した。しかし後のもの
は頑張った。それこそ全身泥まみれで、信
じられないぐらいがんばった。
一年たったとき若者たちの顔つきは変わり、
二棟の建物が完成していた。そこへ二期生が
入ってきた。彼らは先輩たちの泥まみれの姿
に、生きる姿勢に衝撃を受けた。そしてたち
まち同化した。
僕は若者を信じなかったことを恥じた。
彼らは僕をはるかに超えていた。
☆
2004年2月21日、昨日の日経新聞の広告。
三井住友ファイナンシャルグループの新聞広告に掲載された「倉本聡」の文章。
改行もそのまま打ち込んだ。
☆ ★
特にここが好きだった。
気に入った。
これは農業じゃない。林業だ。春蒔いたものが秋作物になると思うな。実るのは二十年、三十年先だ。遅れることを決して恐れるな。
スローライフはピンとこないし、スローライフは「負け犬の遠吠え」ではないかと思ったりもするけれど、他人に短期で成果を求められ、それに一喜一憂つまらないことだ。
しかし絶対(笑)、一喜一憂するんだよね。
ニタニタ笑ったり、へこんだりするんだ。
でもそれはつまらないこと。
一喜一憂する自分と林業たる人生、自分で自分を生きて育くんでいることとを自分を分化できるよう、修行しなきゃな。
あらためてそう思った。
★ ★ ☆ ☆
実はこの新聞広告のメインに取り上げられたのは、上述のものではない。
メイン文章はこれ↓だった。
☆
あなたは文明に 麻痺していませんか
車と足は どっちが大事ですか
石油と水は どっちが大事ですか
知識と知恵は どっちが大事ですか
理屈と行動は どっちが大事ですか
批判と創造は どっちが大事ですか
あなたは感動を忘れていませんか
あなたは結局何のかのと云いながら
わが世の春を謳歌していませんか
☆
この文章が 20年前倉本聡が上述のシナリオライターと役者の塾を作ったときの起草文なんだそうだ。
なんてイヤらしい文章。
なんて訳知り顔のくだらない文章。
なんの効果もない、オレはわかっているという寒気がするほど井の中の蛙。
20年前の倉本聡は実にくだらん天狗だったんだな。
そう思った。
☆ ★
20年後の倉本聡。良いです。
塾に参加した若い人が背中で倉本聡を鍛えたんでしょう。
その分とてもステキな歳の取り方をされたんだな と思いました。
タイトルどおり、ちょっとした試みということを含めてトラバを使った会話の試み。
まず開題の記事 :
●ono: 生活と仕事。それぞれの重み
それにトラックバックでコメントをつけていただいた :
●この問題を考える1つのヒントとして…
で、この記事につながるというわけです。
☆
トラバでコメントをつけてくれた「気の向くまま・・・」さんの「ヒント」は 要約すると
「人は 生きるために働く時と 働くために生きる時が 状況によって(たとえば経済状況によって)変わるでしょう。2元論でぶった切っても意味がない」という趣旨だったかと読みました。
☆ ★
ボクがこのお題「生きるために働く か 働くために生きるか」を持ち出したのは、あらためて転換点だなと思ったからです。
昔、社会全体が貧しいとき、人は「生きるためには働かないといけないのだ」と了解してたと思います。労働が、仕事が苦役の時代。
お国のために働くのだ というそういう社会の価値観・規範もありました。
で、その後高度成長期、とりわけバブルの頃を頂点?として「仕事が生きがい」とボクらはなんとなく社会の価値観を刷り込まれていた気がしているのです。
でいまなお、村上龍は「13才のハローワーク」で、その目立つところの帯で「好きで好きでしょうがないことを職業として考えてみませんか?」と言います。
★
しかし現実は失業率は高水準であり、「働きたくとも働けない人」が多くいます。
そこに「好きなことを仕事にしろ」「お金をもらってるんだからイヤな仕事もやらないといけないなんて自分の人生を売るような事はするな」という発言が出てるのです。
それらは、村上龍や知識人等々そこそこ自分で自分の人生をコントロールしている、モテルモノからの発言ではないのかと・・・。
☆
現実は「仕事なんだからがまんしろ」「イヤな仕事でも生活のためにはやらないといけない」「とにかく新卒でどこでも良いから入社しなさい。新卒が絶対的に有利なのだ。社会に出てぶらぶらしていたような若い人をいまの会社は採用しないぞ」・・・・既にそういう時代なのではないの?
「生活のための仕事」というほうに現実はシフトしているのだと捉えて、「仕事と生活」を捉えなおさないといけないのではないか。
★ ☆
仕事が人生をかけるに足るものだ、という捉えや洗脳をボクらは長い間うけてたんじゃなかったか。
ボク自身、そういう価値観・立場で長い間考えたり、意見したりしていたのだけれど、先日掲載した5カ国の若い人たちの仕事観に関するアンケート結果「日本人よ。仕事幻想を捨てよ・・ってか!?」を見たり、最近の「好きな仕事をしろ」というプロパガンダを読んだりしてこれまでの「仕事に人生をかけるに足る」という思想に微妙に違和感をもちつつあるのです。
「金持ちになっても、仕事はするだろう?生きがいをなくすじゃないか」などの巧妙な問いを含めて、ボクらは、「仕事」をあまりにも美しくとらえすぎてはいないでしょうか。
■
奴隷は「生存」のために働く。
ほとんどの人は「生活」のために働く
■ □
生きるために働く。
それとも
働くために生きる。
ボクは、あなたは、そして世間の人たちはいずれか?
□ ■ ■
上記の言い換え。
仕事は、生活の手段か。
それとも
仕事は、生活の目的か。
いまはどうか?高度成長期はどうであったか?そのまえは?
若い人はどうか。中堅・中年はどうか。
退職へのカウントダウンをはじめている50代後半はどうか。
★ ★ ☆ ★
仕事の意味 ~ 個人的な意味・社会的な意味 を考えている。思考中なのです。
で、考えるにあたって「良い問」を探してるのです。
☆
コメントいただけるなら、これを読んでコメントしたいと思っていただけたとき、上記の選択肢について「ボクはこれ」「ワタシはこう」「昔はこうだったけれど、いまはこう」「いやいや、こんなちんけな選択肢で自分の揺れ動く感情は語れない」などなどと教えてくれるとうれしい♪
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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「こうしてまいた種はいつか芽が出て、蕾をつけ、花を咲かせます」
「花はちゃんと咲くべき時に自分の力で咲きます」
「無理やり咲かせようとしても、花は咲きません」
「人間のできることは、花が咲くための手助けでしかないんです」
「のんびりと気長に咲くのを待ってあげることです」
☆ ★
大貫妙子Library「アンソロジー」というベストアルバムに膨大な大貫妙子自身が書いた楽曲解説があります。
この「アンソロジー」というアルバムの中にTBSドラマでやっていた家裁の人のテーマソング「春の手紙」が入っています。
その「春の手紙」の大貫妙子の解説に、判事役の片岡鶴太郎の台詞として紹介されている部分。そこからの引用。
★ ★ ★
なにも添える言葉はない。
ただ、ただ、この言葉、残しておこう。時々ながめよう。
と思った。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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自分の老後を考えたら、転勤は拒否にきまってるぢゃないですか。
☆ ★
たまたま知り合った、30代前半の生命保険のトップセールスの言葉。
こんな文脈で語ってくれた。
★
老後って長いですよね。60歳で退職したとして20年近くありますよ。
その時の生活をイメージすると、たくさんの友人をつくっておきたいと思います。
趣味の友だち、ちょっとお茶をする友だち、、いろんな友だちがいないと楽しめないって思うんですよ。
それって、転勤で地域を離れると切れちゃうでしょう?
つきあいの長さも大事ですし。
だから、転勤は拒否です。
地域を基点にして友人をどんどんつくっていく。
そのために、転勤拒否なんです。
★ ★ ☆
いまどきの友人の作り方、たとえばネットがあるじゃんとかいろいろな考えはあるわけだろうけれど、その論点よりも、30代前半で老後までをイメージして自分の仕事生活を決めていくという、そういう考えを持っている30代にはじめて出会い、驚いた。
10代でも20代でも将来のことは考えている。でもそれは概ね具体ではない。自分の行動を左右するものではない。
「年金が不安で」と答える10代、20代は不安なのだがそれがどう不安なのか、自分はいまからなにをしていかなければならないか、自分のこれからの行為を変化させるほどの強さはない。
具体的な不安は、いまの会社が倒産しないかとか(余談ですがカネボウの再生機構による支援という急展開には驚きました)、自分は良い評価をもらえるかとか、ホワイトデーはどうするかとか、不安の具体の時間軸は誰しも数日から長くて数年だろう。
☆
彼は違った。老後をほんとにイメージしていまの行動を考えているのだった。
☆
生命保険のトップセールスという仕事がそれを知らしめたかとも思った。中小企業のおやじ(るび:社長)やでっかい会社の部長クラスと生命保険について話をしているうちに、彼らの話と後ろ姿から「老後のイメージ」を学んだのだろうかな。
☆ ☆ ☆
漠然とした老後イメージではなく、元気な年寄りの毎日、足腰がたたず床で過ごす毎日、そして死の直前。
それらの多様な長い時間をどうすごしたいか。
で、もしそう過ごしたいなら、転勤は拒否するのか、いまの時間の過ごし方はこれでよいのか、未来から見ていまの過ごし方を考えなきゃな と思う。
でもこれ、難しいんだよねぇ~~実に。(滝汗)
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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カッコ悪い。
★ ☆
直接的には、ボクの記事、同僚の存在をなきものにできるか。にコメントをつけてくれた月の風にっきの野猫さんの言葉。
☆
この「カッコ悪い」「カッコいいっ!」って言葉、相変わらず効果するな、効く!と思ってます。
なぁんも考えず、まわりがやっているからとやってしまってる方々(るび:やから)に、耳元で、または真正面から堂々と「カッコ悪いですね、それ」と言ってみる(笑)
そうすると、思考停止に落ち入っている方々(るび:やから)の多くが、覚醒し立ち止まって考えはじめます。と思います。
☆ ☆ ★
やや余談ですが、20世紀末に日本を一世風靡した「援助交際」が(おいおい)、いまどきまったく聞かれなくなった、ほぼ沈静化したのは、女子高校生たちの間で「それ(援交)って、カッコ悪いよ」と浸透したから、という解釈をどっかで読んだ覚えがあります♪
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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市場原理はたしかに尊重すべきだが、人間はそれ以上に尊重すべき存在である。
★ ☆
今日、2月15日の朝日新聞書評 篠原章教授(大東文化大)から。
都合の良いところだけ切り取っちゃってます(ニガワライ)
内橋克人「節度の経済学の時代-市場競至上主義を超えて-」に対する篠原教授の書評からのボクのご都合主義抜粋。
☆
「働いた人」と「その人が働いた結果生み出されたモノ」を切り分け、その上で「成果による再配分」「競争を良しとするのか、市場の失敗をどう考えるか」を議論しようぜ という論調が増えてきました。
例えば、bk1の人文・社会・ノンフィクション、ランキング(2.2-2.8)に書いた立岩本と北田暁大のはてな日記による書評。
さて、再配分されるボクらの立場から考えて、「生み出したそれ(成果物)」の評価と「生み出すことに努力した存在であるところのボクというこれ」の評価と、ボクらはどちらを望んでいるんでしょうか。欲望しているんでしょうか。
☆
ちょっと脳内シミュレーションしましょうか。
「あなたはイケスカナイけれど、あなたがつくったそれは役に立ちます」 と言われる場合と「あなたのつくったそれは役に立たないけれど、それをつくってくれたあなたには感謝してます」と言われる場合。
さて、どちらが労働の歓びを自分自身、持続的に享受できるのか。そして、次のがんばりにつながると思いますか?
☆ ★
答えはヒトそれぞれだろうとは思います。
ヒトぞれぞれだろうとは思うのですが、ボクがお会いしたフツーの方々への問い、「どんな時に仕事をしていて良かったと思いますか」という問に対しての多くの答えは、「ありがとう」とお礼を言われたときのその感謝が「それを生み出した存在するこれ、この自分」に向かう時、でありましたです。
★
ボクは、このフツーの人たちの感想をもって、人間って、労働って、仕事って、そういうもんだろう、そういうもんであって欲しい、と思ってる。思ってるんですね。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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君は「このプロジェクトはワタシがやった仕事です」、あるいは「この仕事は私一人でやりました」などとはけっして口にしてはいけない。
実際にはそうかもしれないが、例え本当だとしても、それを口にしてはいけない。
それを口にした途端、状況は一変してしまう。
「だったら、ひとりでやれ」と周りの人は反応するだろう。
そして君は悟るのだ。コピーをとってくれたり、書類の束をきれいに整理してファイルしてくれたり、お客さんにコーヒーを入れて持ってきてくれたり、会議後ホワイトボードを真っ白にふいてくれたり、机の横のくず入れを時々空にしてくれたり、切れかけた蛍光灯を取り替えてくれたり、郵便物をポストに入れてくれたり、席をはずしているときにかかってきた電話を取ってくれたり、頼みもしないのに飲み会の設定をしてくれたり、プレゼンを前にして恥ずかしくなるようなくだらない冗談を飛ばして緊張感をほぐしてくれたり・・・・。
要するに、まるで空気のように君をサポートしてくれる人々が君のまわりにいたおかげで、君は他の人よりも創造的で付加価値の高い仕事に集中できていただけなのだ。
君は周りの人々に支えられて、ようやく仕事をしている。君を頼って、君にぶら下がって生きているように見えたかもしれないみんなが、実は君をサポートしてくれていたおかげで、君は「優秀」な社員でいられたのだ。
☆ ★
高橋伸夫「虚妄の成果主義」日経BP社 227頁~228頁より
★
あまりに見事な説教だったので引用。
そしてこれが日本企業の強さであった。
この事をバブル以降、伝承しそこない忘れてしまった人事部と職場上司がいるところは絶対的に崩壊する。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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自分は、曲のメッセージが伝わるべきだとは全然思っていない。
自分の投げた球を受け止める人が誰もいなくても、投げたという行為によって、
もしかしたらうまれるかもしれない偶然を期待しているだけ」
☆
ミスターチルドレン(Mr.Children)の桜井和寿の言葉。
このカキコ引用はカイパパ通信blogからコピペ。(トラバさせていただきました♪)
☆ ★
小田和正「クリスマスの約束」の再放送が関西では、2/10(火) 深夜24:55 にあった。今年もこの番組「クリスマスの約束」をやってたことを知らなかった。
深夜、パソコンに向かうのに疲れて、本でも読もうかなと思いつつ、テレビをつけたらやっていた。
この言葉がミスチル櫻井の口からでた経緯について、くわしくはカイパパ通信blog参照なんだけれど、ミスチル櫻井
が小田和正にメッセージ性の極めて高い「タガタメ」を演奏したい、なぜなら・・・と意図・理由として吐いた言葉が上述のこれ、「投げたという行為によって、もしかしたらうまれるかもしれない偶然を期待しているだけ」というこの言葉だった。
★
偶然を切り開く、偶然を飼い慣らす。この語義矛盾に充ち満ちた言葉が好きだ。
ミスチル櫻井の「偶然を期待する」というこの言葉にも違和感がある。その違和感が深夜27時まえに空になっていたボクの脳みそを直撃した。
なんて言葉づかいをするんだ。なんて考え方をしてるんだ。ミスチル櫻井。凄いなぁ。
そう思った。
★ ☆
なんどもなんども書くのだけれど、ボクらは明日なにが起こるかわからない時代に生きている。
予定された「成果」を追う時代は過去となり、偶然性に彩られた「成功」の時代に移ってしまっている。(成果から成功の時代へ)
所属している会社の終身雇用は既に形骸化し、会社そのものもいつ消滅するかわからない。
一生の連れ合いと思っていた妻(夫)には、はやければ成田で、遅くても定年のその日突然、離婚を迫られる。
社会は幻想に揺さぶられて動き、それが確固たるものか幻想・妄想なのか確かなものはない。(幻想の時代。2つの恐怖)
☆ ★ ★
ボクらは偶然の時代に生きている。
だからこのミスチル櫻井の言葉「投げたという行為によって、もしかしたらうまれるかもしれない偶然を期待しているだけ」って、これこそがいま、生きる姿勢の基本形ではないか と思う。
「メッセージソングは120%伝わらないと意味がない(小田和正)」とそれを投げないのか、それとも「投げたら、もしかしたら生まれるかもしれないという偶然を期待」し、それを投げるのか。
生き様が、生き方・行き方の姿勢が問われてますよな。
★
そういやぁ「運を天に任せる」って、「成り行きまかせ」という意味だけれど、「運を天に任せる」と言う言葉を使うその前には、「やるだけやって」とつきますわね。
やるだけやって、運を天に任せる
これが、この偶然の時代をやり過ごす行き方でしょうかもね。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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男ってホッチキス止めにどうしてあんなに熱心になれるんだろうねぇ
☆
無添加石けんをつくる小さな会社をつくった主婦が、数日後のセミナー資料のホッチキス止めを夫に頼んだら、翌日でも良いのに、深夜に一所懸命ホッチキス止めをしていたのを見て、つぶやいた言葉。
とあるビジネス雑誌から。
☆ ★
この「夫」のキャラだろうなと思いつつ、しかし男にありがちかもとニガワライした「言葉」でした。
会社で働くというビジネスマン生活を数年続けると、どうも「目標(仕事)を与えられたら、それをできるだけ速くやる」という習性がパブロフの犬のように身に付きますよな。
「この仕事やっといてくれ」 「わっ♪仕事」(*´Д`)ハァハァ
疲れていたりすると、ホッチキス止めなどという単純作業に更にもえちゃったりする。
「わっ♪単純作業」(*´Д`)ハァハァ
ちゃんと端っこが揃ってるかとか、紙に平行にホッチキスが止められたかとか様々な微細が気になりつつ、積み上がっていく資料を見て、ご満悦。
ボ、ボク、これだけの資料をホッチキス止めしたんだ。ママン。
★
い、いかん。
腐女子の行く道、萌える道の書き方に似てきた(爆)
★ ☆
男。シンプルな生き物でございます。
女のみなさん、地球はあと10億年あるそうなので、その間なが~~くご愛顧ください(自虐)
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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勤めている奥さんに会社から転勤命令が出て、
旦那さんのほうがいま勤めている会社を辞めるかどうか。
辞めて奥さんの転勤先に一緒についていくかどうかで
悩むケースも増えてきましたね。
☆ ★
5年ほど前、アメリカで。
最近のキャリア相談内容にどんなのがありますか?と聞いたときのキャリア相談のボスの回答。
★
ボクは根っから(家庭環境がそうだったのでという意味)の男女平等主義者だと思ってましたさ。
ところがそんなのは甘ちゃんのお考えで、自分はなんと男性社会にのうのうと生きてるんだろうと思い知ることが多々あるわけですね。
その自分の甘さを思い知ることになった「言葉」の1つ。
★ ☆
夫婦共働きで、奥さんのほうが収入も地位も高い時に、奥さんが転勤することになった。
さて、ダンナのあなたは、いま勤めている会社を辞めて奥さんについて行き、その地で職探しをするか、それとも奥さんに単身赴任をしてもらうか、決めなければなりません。
これって、日本ではまだまだマレな事態でしょうけれど、そろそろ出始めているんじゃないでしょうか。
更にこれから、こういうケースが増えていくのでしょう。
男性であるあなたがもし結婚しているとして、このような状況になったとき、どうしますか?
悩ましいと感じませんか。
ボクはもの凄く悩むだろうなと思いますわ。
☆ ☆ ☆ ☆
自分が男性社会に生きているという自覚は、男のほうにはなかなかないでしょうね。
そういう時代の生まれ育ち、それが普通の社会だと思っているから、自覚できる方がめずらしい。
ボクは別にフェミ擁護の立場ではありませんが、上述のとおり、そこそこ男女平等主義で育てられたし生きてきたという自覚がありました。
いやぁしっかし、こういう事態、優秀な働き手である奥さんの転勤にダンナである自分が勤めている会社を辞めていくかどうか、てな問題をまったく想定してませんでしたよ。
突きつけられましたね。おめぇ~は、まだまだ青いね、と(T.T)
☆
こういうケースをチラリと描いた映画で思い出すのは、実はインデペンデンス・デイ でございまする。
この主人公の冴えないハエ男(コラコラ)のダンナと大統領補佐官?の奥さんのこの脚本になんとも「すげぇ脚本だ」と思ったことです。
<なんてぇ映画の見方をしてるんだ自分(ニガワライ)
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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文学はひと文字ひと文字が芸術なんだから
★
最近記事アップがなくてちょいと残念なんだけれど、ボクにblogの存在を教えてくれたetcetraさんの言葉。
うぉぉぉぉぉぉぉ、そういう事かぁとえらく納得したのでした
★ ☆ ☆
ある時期、小説って全然読めないわと言ってたら、etcetraさんが反応してくれた。
「結末ばっかり気にしてるんでしょう?」「そうそう。評論とかは読めるんだけどさ~」
「文学はひと文字ひと文字が芸術なんだから、そんな読み方じゃ小説、面白くないにきまってるよ」
☆
そうか、そうなんだわなぁ とこの短い会話でえらく納得したのでした。
自分がなにかに追われ、自分の本来のスピード以上に駆け抜けていくような生き方をやっぱりしてるのかもなとちょっとドキッとしましたです。
☆ ★
吉田美奈子というめっちゃお気に入りのミュージシャンがいるんですけれど、彼女がもう10年以上前にインタビューで、自分が本来持つスピードよりも世の中が速く動く時代にどう生きるべきかと考えている、てな言葉を吐いていた記憶があります。
(Chu~☆”:リンクは吉田美奈子の最新アルバムです)
なにかに追われている感じは昔から持っていたのだけれど、そっか美奈子もそうなんだなぁと思った記憶が「結末が気になるんでしょう」というetcetraさんの言葉でよみがえったりしました。
☆
etcetraさんは「自分も読めなくなってきている」「ビデオの2時間ももうしんどいね」と言葉を続けてた。
スピードに追われるこの時代、艶(つや)とか色気とか潤いとか芸術とかの発見、それらを味わうって言う時間を取り戻したいと思いますけど。
なかなか難しいことです。
スピードの中を駆け抜けるのもまっいっか、と思いつつ、立ち止まって振り返ることもおろそかにしてるかもと思ったりもしますです。
☆ ★ ★ ★
時代のスピード、止まらないんでしょうねぇ~。
意識して「芸術」を味わう時間を取らなきゃなと週末に思えばいいものを(苦笑)、週明け月曜日未明に思うわけでござりまする。
PS【私信】
picoさん、「小説読めない理由」、了解してくれました?
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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この店は窮地だ。
この2年間で全力をあげて挽回したい。
だからどうかみんな、がんばってついて来てくれないか
・・・そう言ってくれれば、残るかもしれなかったんですけれどね。
会社が言うのは、退職金の上増の話ばかりでしたから・・・。
★ ★
とある窮地におちいった会社の社員の言葉。
有能なこの人が辞めるというので、話を聞いたら、上のような言葉を言った。
☆
会社が窮地に陥ったとき、希望退職者を募集するという名目で社員を辞めさせるという手法が許されるようになって、どれくらい立つんでしょうか。
まだ10年は立たないと思います。
当初、退職勧奨をするような会社は新聞を中心に世論が反発していましたが、そのうち容認されるようになりました。
それに伴い、どうも安易なリストラが増えたような気がします。
苦渋の決断によるものではないリストラ、安易なリストラの増加です
☆
「この窮地をみんなで一緒に乗り越えたい、ついて来てくれないか」と言ってくれれば、給料はさておきがんばったのだけれど、と言ったこの人は、話を聞けば聞くほど有能な人でした。
曰く「残るか辞めるかについては、これまで生きている中でこんなに考えたかというくらい考えた。家族とも親戚とも職場の同僚ともなんども話し合った。
でもね、会社がなにか言っているはずだろうと書類をひっくり返してみたけれど、再建していくビジョン、社員に向けてのメッセージがまったくなかったのです。」
☆ ★ ★
妙な言葉づかいになりますけれどこの会社は、有能な社員に、再建するために欠かせない社員に「見切られてしまった」わけですよね。
退職金の上増とかそういう問題ではなく、「組織を率いる人からのなにか一言」で再建のためのとんでもない力が組織に生まれたはずなのに。
ボクは、会社の立場にたって「有能を失うことのもったいなさ」を思い、この有能の立場に立って「あなたの眼力と選択は正しい」と思いました。
★
組織を動かすこと、人の力を引き出すことは、やっぱりカネではないんですよねぇ~~(ため息)
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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いま自分が会社に認められているのは、
自分の能力と会社が求めるものが一致しているから。
将来、会社が求めるものが変われば
自分の評価が悪くなる。
これってあたりまえのことですよ。ね?
☆ ★ ★
とあるでっかい会社の工場で現場の主任をやっていた工員の言葉。
知識人の言葉や思考・概念はそれなりの重みや深さがあって好きだけれど
現場で、こういうとんでもない思考や言葉にひょいと出会えるのでたまらない。
☆ ☆
昔、暴走族だったんですよ と言う言葉が会話のはじまり。ぎょえっ(笑)
カラダを壊して、あれこれと考えて、この工場のラインに就職した。
時々休むことになるので、工場の仲間に迷惑をかけてはいけないと、得意だったイラストを使って自分の作業を絵で描いた。
それが「作業指図書」のモデルとなり認められ、トントン拍子に主任に。
その他にもこの人、優秀な人を見ると「なぜこの人はこんなに優秀なんだろう」と歩き方や呼吸の仕方またマネしてみたという話もしてくれた。
話をすればするほど、ため息が出るほど有能だと感じてくる。
で、極めつけが上記の言葉。
「会社の要求するものが自分にあっているだけ。将来会社の要求するものが変われば、評価は下がる。そういうものでしょう?」
インタビューが終わってから、人事の担当に「いやぁもう、ため息でるほどの有能ですね」と言うと、「図抜けた社員だと思ってはいたが。。。そうですか、小一時間のインタビューでわかりますか」。
★ ★ ★
ゲロすると、ボクはこの言葉のどの部分に「凄いなぁ、この人の考え」と自分が反応したのか、全部がわかっているわけではない。
凄いっ!と、とにかく脊髄反射したのでした。
あらためていくつか、この言葉の凄みをまとめてみようかな↓
★
この異常とも言える(笑)、客観的な目線。解釈。立場の取り方。出来過ぎなほどの自立した精神。
「会社のニーズにあってるからいまは評価が良いが将来は悪くなる可能性も当然ある」
というこういう見方ができる人と出会うことはいまだマレ。
ひどいのは中高年オヤジに多いのだけれど(苦笑)、例えば中高年オヤジが書いた企画書を「これ変ですね」というと「オレは一生懸命考えて書いた」と青筋立てて反論する。
いやいや、あなたがどうと言うことではなく、企画書について話をしているのだすと言ってもダメ。
自分と企画書が未分化。わけられない。
★ ★
だから、この人がまわりの人を見る時のその眼、ちゃんと分化してるでしょうね。
会社のある人に対する評価が悪くても、その人の本質とは関係がないと分化して他者をみることができる
なんだかんだと上記のような中高年オヤジ批判をしてるボクの中にも働きぶりと人間としてのその人とをどうしても関連させてみてしまう傾向があります。
★ ★ ★
会社に埋没せず自分を客観ししつつも「同僚に迷惑をかけないようにと自分の仕事をイラストにして書いておく」てな博愛の精神も凄いなと思います。
客観視するからと言って、冷たいのではない。あくまでやさしい。
生き方・行き方としてのリベラリズムにおける振る舞いと精神というのは、こういう事かもな、いやコミュニタリアニズムの精神に基づいた行き方でもあるか・・
ん?どちらの精神も持ち合わせ接合してるのかも。
もしそうなら、あらためてやっぱ凄いぢゃん。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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グローバル化は2つの方法がある。
1つは柔道のグローバル化のやり方。
もう1つは相撲のグローバル化のやり方だ。
★
松岡正剛の言葉。
松岡正剛の言葉を取り上げるのは2回目かしらん。(1回目はここ)
意味内容はこうだ↓
★ ★
グローバル化は2つの方法がある。
1つは柔道のグローバル化のやり方。
柔道は世界に普及させるために、ルールを少しずつ改定して世界に受け入れられやすいようにしていった。
他方相撲は、かたくなに競技方法・ルールも変えず、
変えなかったからこそ、グローバル化を果たし 曙や小錦を生んだのだ
☆ ★ ★ ★
柔道が世界に受け入れられやすいようにルールを変えていったのか、実は空手などとの競争関係の中でルールが変わっていったのか、実はボクは本当のところはわからない。
松岡正剛の柔道と相撲の対比は単に「グルーバル化の2つの方法論」をわかりやすくするための矮小化した喩えなのかもしれない。
ただ、矮小化した喩えであるとしても、「なるほどなぁ」と思わせてくれる整理だったので印象に残ったのでした。
☆ ☆ ☆
なるほど、世界に出ていくために世界のニーズにあわせていくという方法は1つありますよね。松岡正剛の言う柔道のやり方。
どちらかというとこちらがよく知られる方法論かな と思います
もう1つの相撲のやり方というのは、職人のあり方というか今風の言葉づかいだと「オンリーワン」でいることにより、世界が目を向けてくれるというグローバル化があるなと思います。
なーほーな と思います。
かたくなさが裏目に出て まったくグローバル化が果たせないときもあるわな とも思いますけれど(苦笑)
★
世のニーズにあわせるのか、それとも世の中のニーズよりも「らしさ」を追求するのか。現実には両方のバランスってことになるわけですが、最悪なのは、他の会社がやっているからと不安になってマネしちゃうことですわね。
でも、やりがちですよなぁ、世の中のニーズはほったらかしで他社追随、他人のマネ。トホホ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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脳みそ、ないのぉ~?
☆ ★ ★
同僚が、当時新人だったプロジェクトメンバーに言った言葉。
★
名前伏せますが(爆)、ここでもご登場されているとある方の御言葉。
この言葉、そばで聞いてまして、椅子から落ちそうになりました。
「脳みそ、ないのぉ~?」
こわっ!こわっ!
★ ☆ ☆
レポートをなんとかまとめて、そのとある方に、差し出したわけですね。
で、内容が内容だったんでしょう(新人だもんねぇ)
この「脳みそないのぉ~」はさりげなく、とある方はおっしゃったわけでございまする。
だから、よけー、コワッ!、キツッ!
がしかし、敵もさる者ひっかくもの。
この新人さんも それをしっかりと受けとめなさったとさ。
いまでは、その新人さんもしっかりと社会に影響する仕事をされているようだし、良かったですのよね。この教育。
☆ ☆ ★ ☆
キツイ言葉を同僚や後輩に言える人、どんどん少なくなっている気がします。
愛があるからキツいことが言えるわけで、キツイ言葉が言えなくなっているのは愛が希薄になっているのでしょうか。
んが、・・・・・この考え、既に古いのかもしれない↓
☆ ☆
世界2月号で香山リカたんと対談した北田暁大氏のはてな日記(左サイドバー見てね)1月30日付けにこんなのがあった。
[ はてなダイアリー - 試行空間 ]僕たちは僕たちで日常的に大学生に接しているし、高校生ぐらいの子に話を聞く機会も多い。その経験が裏付ける印象論でも希薄化論は×なんです。希薄化という物差しで見ているかぎり、かれらのコミュニケーション様式、固有の親密性指向は理解できない。土井本が教えるように、現代の若者を語るのに必要なのは、若者の共同性・社会性を測定する「物差し」の刷新だ。
北田氏、世界2月号でも指摘しているのだけれど、若者のコミュニケーションは希薄化していない。
上記引用にある「土井本」のカギになる切り口↓
土井さんはかなり前から、パノプティコン的な「見られているかもしれない不安」から、接続指向的な「見られていないかもしれない不安」への変容を指摘していたらしく
自分の世界観の中から飛び出すにはいずれ偶然を含む強制が必要だと思いはじめていたボクは、「強制-気づき」という2元論は、ふる~い尺度で、「強制-気づき」尺度とは別のねじれの位置に今日的な尺度があるわけなんだわなと精神が路頭に迷いはじめておりまする。
☆ ☆ ★ ★ ☆
青色ダイオードの反応で、このblogのコンセプトがねじれつつあるぞと恐怖してましたので、軽ぅ~いのをと思ったのですが、なんだかまた方向がそれちゃったかなぁ~。
時代が揺れてる分、いろいろな面白い(るび:悩ましい)現象とそれを解読しようとする面白い評論と旧態依然の価値観が星一徹がちゃぶ台ひっくり返したあとの六畳間(それも畳が茶色く焼けててかつすり切れてるしぃ~)のようになってるので、あっちこっちに行っちゃうのよん。
ねーちゃん(星明子)の後かたづけ、大変だっただろうな・・・なんのこっちゃ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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うちのお父さんにも、青色発光ダイオードがあります、
ふだんは「会社あってのおれだ」と言っていますが、酔っぱらってくると、「オレが行かなきゃ、会社はもたんのだぞ」と叫びます。
お父さんの青色ダイオードはお酒です。
☆ ☆
今日の朝日新聞夕刊一面のコラム「素粒子」より。
んまいっ!
☆
そしてこのコラム「素粒子」、段落をかえて次の言葉に続く。
発明対価判決は会社の景色を変えるだろう。
☆ ☆ ★ ★
先にアップした記事に書いたとおり会社の景色を変えるかどうかは、ボクらが200億円判決をどう感じ、受け止めるかにかかる。
会社と個人の関係を「対等で対等だからこそキツイシビアな関係」とするのか、「会社も働き手もそこそこ馴れ合いヌルい関係を良しとするのか」だ。
ボクらがどちらを望んだかは、あと3年~5年で決まるだろうと思う。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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(樹木希林。「化粧しませんね」という久米宏の問に)
できるだけ、そぎ落とし、自然に自然に生きたいと思ってる。
白髪(シラガ)って良いですよね。白髪と顔のバランスがなんとも良いじゃないですか、なんで染めるんでしょうね。
私は、白髪があまり出なくって、禿げて来ちゃってるんですけれどね。
ハゲも良いですよね。
☆
4年くらい前、ニュースステーションで久米宏のインタビューを受けた時の樹木希林の言葉
☆ ★
女優、樹木希林が左目を失明したという報道が一斉に流れた。
「朝起きたら、バタッと見えなくなりました。真っ白でした」と当時の状況を振り返り、「一瞬絶望しました、明日、死ねるわけじゃない。ずっとこれで生きていくのかと思ったら…。それも人生と思いながらも、ことあるごとにため息はついていました」と苦しかった胸中を吐露した。
「それも人生」と失明というその事さえ受け止められるか、受容できるかと自分に向き合う。
で、この樹木希林というもの凄い人、受容し抱えて生きていくことを決意する。
手術するかどうか迷って、やっぱりやめようと思ったんです。『よし、私は目1個ぐらいつぶれても、お釣りのくる人生だったな』というふうに思って覚悟を決めたんです」
★ ★ ★
老いていくこと、病気におかされること、それらを受け止め受容し、自分の中で「白髪と顔のバランスがなんともいいじゃないですか」と意味づけ、価値づけできてしまうこの人の凄さ、どっから来るんだろう。
どうしても、若さや強さに価値があるように思いがちな意味のないこびりついてしまった価値観を、あっという間に払拭しちゃうこの人の強さ、どこから来るんだろう。
★ ☆ ☆ ★
そうそう、同じような「言葉」をこの人、桃井かおりも言ってましたわ。
☆
胸が垂れてきて、下がってきた。
でもそうなると、首のところが大きくあいた服を着てもね、胸のふくらみが見えなくて良いよね、イヤらしくなくて。
☆ ☆ ☆ ☆
2人とも性格俳優とか個性俳優という位置づけですよな。
個性的だから好き嫌いが激しいということと、個性的だから受け入れられるということがあるわけですよね。
表面的に考えるとこの2つの捉え、「個性的だから好き嫌いが激しい」と「個性的だから受け入れられる」というこの2つは両立不可能に見えるけれど、桃井かおりも樹木希林も両立しちゃってる。
そういう個性、間違いなく自分にも誰にでもあるこの個性を磨きたいものだ、と
この樹木希林「左目失明」というニュースを聞きながら考えてた。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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21世紀は「社会幻想」の時代となり、社会は噂や確証のない情報で揺れ動くだろう
☆ ★ ★
うろ覚えなんだけれど、1998年か99年か、そのあたりに通産省か文部省のレポートでそんなことが書いてあった。
情報の時代。
人々が簡単に情報にアクセスすることによって、幻想・妄想が形成されやすく、それで社会が動いてしまう時代という情報化時代の危うさについて、コメントされているんだろうと感じてた。
長野サリン事件とかあったしね。
怖ぇなぁ と思ってました。
☆ ☆ ★
Googleで社会幻想という言葉を検索しても、まったく引っかからない。役所の文書もどっかにいっちゃったか。
探したんだよぉぉぉぉ。
★
この役所文書を読んだとき、「社会幻想か。。へ~霞ヶ関もこういう言葉、使うんだな」と感心した。
で、霞ヶ関がこの文書を出したこともあってか、ボクは、社会幻想とは「マスコミ」「大衆」がつくり出すものと思い混んでました。
★ ☆ ☆
違う。まったく違うわ。
やっぱり怖いのは、国という権力が妄想・幻想を持ったときなんだ。
そう思ったのが、イラクに大量兵器はないとデービット・ケイが辞任を表明した1月24日の報道。
いくらアメリカでも「でっちあげて戦争しかけるほどアホではない」と言うことを前提にすると、アメリカは「大量破壊兵器の存在を本当に信じてた」
そう考える方が理にかなってる。
歴史、状況証拠?などなどを積み上げると「あるに違いない!」
本当にそう結論したんだろう。
社会幻想を国が持った瞬間!!
★ ☆
が、しかし、幻想、妄想だった。
怖いことだな。
☆ ★ ★ ☆
とある人に教えてもらったんだけれど、こう考えるんだそうだ。
ボクらは「国を怖いと考えるのか」「社会が怖いと考えるのか」、どっち?
国よりも社会が怖いと考えるなら、国・警察・司法にすべてを委ね、隣人からの恐怖に備えればよい。
セキュリティを充実し、それを警察にリンクし、ボクらは国に守ってもらえばよい。
<警察を信じる? うっそぉ(爆)
社会よりも国が怖いと考えるなら、
「権力は腐敗する、絶対権力は絶対に腐敗する」と考えるなら、
国の行動、警察・司法の行動を監視し世論形成を。。。。。
そう考えるんだそうな
☆ ★
アメリカのイラク攻撃が幻想・妄想によるものだとしたら、「国家権力は怖い」ともう一度確認しないといけないな、いや、絶対怖いんだわ権力者って。
そう思ったんですわ。はい
★ ★ ★ ★
記事がどんどん古新聞化してなくなりそうなので、とにかくリストアップ。
■デービット・ケイの辞任報道
・世界日報
■それを受けて、ばっくれる米政府
・うやむや釈明 毎日
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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世のため、人のため、そしてもちろん自分のため
★
村上龍のメールマガジンJMMで、ある時期、村上龍と現役大学院生でかつSMクラブでアルバイトをしているF譲の交換メールを公開していた。
その交換メールが本になったときのタイトル。
なかなかステキなタイトルだな。
うん、良い。
良いね、この題名。
で、メールマガジンを読んでいたにも関わらず、本も買ったのだった。題名良かったもん(笑)
ね、いーでしょ?なかなか。
★ ☆ ☆
本の中で、このタイトルに関するところを少し打こんぢゃいます。
はしょったり、要約したりしますけれど。
☆
村上「日本のために生きてないでしょう?
まず自分のためでしょう。」
F譲「そう。それで自分が充実できたら、少し日本にお返しはすべきだと思うけれど」
村上「ただ「世のため」も「人のため」も「自分のため」も全部パラレルなんだよね。
「世のため」というのがあって、そのために自分を犠牲にすることなんて
あり得ない。
「自分のため」だけに何かをして、社会は関係ないということもない。」
☆ ★ ★
JMMでのこの交換メールをボクは楽しみに読んでいた。
大学院生でSMクラブのアルバイトというF譲の生活に違和感があり、驚き、だから何が起こってるんだろう、いったいこのF譲はまれな存在なのか、時代を象徴しているのか。
楽しみにしてた。
★
結局、司法試験を受けるために、その勉強のために、効率的にお金を稼ぐことを考えてたら自然とこうなっただけ・・だった。
村上龍もトパーズを書くのにSMクラブを取材していて感じたと言っているけれど、他の風俗とSMは少し違うのだそうだ。曰く、コミュニケーションスキルが高い、話をしても偏差値が高いと感じる、、、。
★ ☆
交換メールの内容は、中年のおっさんと賢い大学院生の知的でおしゃれな(るび:フツーの)メール交換だった(笑)
なんのことはない。
風俗というステレオタイプ、大学院生というステレオタイプ、ボク自身に貼り付いているそれら、こびりついている古い価値観を見せつけられただけ。
(見せつけられたってのは、突きつけられたってほどではないってことで(ニコッ♪))
☆ ★ ★ ☆
最後に、ちょっとだけひっくり返してしまうけど・・・
問題は、ボクらが問題として抱えているのは、「世のため、人のため」と言ったとき、それが誰か、逆に言うと、それは誰ではないのか、そこが見えなくなった、見えにくくなったということ。
引用した最後の部分、「「自分のため」だけに何かをして、社会は関係ないということもない。」」と言うとき、ここで言う社会とはなに?
社会とか「世のため」と言うときの「世」が、いったいなんだかわからずバラバラになってしまっているというそこから考えないと、取り上げたこの言葉「世のため、人のため、そしてもちろん自分のため」って、言葉としては感じるんだけれど、感じたのは単なる回顧趣味かもしれないんだよなぁ~。
☆
この交換メール。あるとき突然終わった。
F譲から「もうやめたい」という申し入れがあって突然終わった。
裏でなにがあったのかはわからない。
あまりの唐突な終わり方にボクはあっけに取られつつ、中年のおっさんと賢い大学院生の日常的な会話のメールの終わり方・閉じ方としてはふさわしいかもな と思った。
交換メールの主体2人の肩書きが非日常なだけだった。
会話は日常だった。
日常の終わりなんていつも唐突なんだ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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目の前に毛布を欲しい人がいます。
ただ、手持ちの毛布は少ない。
あなたは、毛布をその人にあげるかどうか
★
阪神淡路の震災の時、大阪ボランティアの主宰が、行政とボランティアの違いについて語ったときの問いかけでした。
こんな内容でした。
★ ☆
目の前に毛布が欲しいと言っている人がいます。
行政はその人に毛布をすぐにはあげられない。
なぜなら、もっと困っている人がいるかもしれない。
もっと困っている人がいるかどうかを調べ、毛布をあげる条件をつくり、その上でその人が毛布をあげる条件を満たしているかどうかで判断することになる。それが行政。
行政だから、公平公正でなければならない。
しようがない手続きなのです。
☆
ボランティアは違います。
目の前に毛布を欲しいと言う人がいて、ボランティアをしているあなたが「この人にあげたい」と思えばあげるのです。
☆
行政のすることとボランティアのすることは役割分担なのですね。
行政が行なうべき公平公正は、時間がかかります。
ボランティアは時間がかかりません。
ただ、ボランティアは公平公正ではないかも知れない。
だから役割分担なのです。
☆ ★ ★
いや、この話を聞いていて、う~むと唸りました。
それまで無邪気に行政ってのに、ムカついてましたから(たはは)
★ ☆
公平公正という概念とその実行って難しいもんだわ と素直に思いましたです。
☆
NPOはまだブームなんでしょうか。
行政や企業とは異なる役割を持つ活動組織体としてもっともっと社会が認知しても良いなとあらためて思います。
他方で、企業がブームだからと設立されるNPOもあるようで、ん? と脳みそが混線したりもしますが(ニガワライ)
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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人は、
カネで動いてる奴、
地位で動いてる奴、
博愛で動く人、
この3種類がいる。嗅ぎ分けろ。
☆
ボクにマネジメントの基本を教えてくれた師匠筋のありがたいお言葉(ニコニコ)。
この人、「いまは「観」を研究中だ」と賀状をくれた。
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・わからんわっ!
☆ ★
ちなみに「博愛」。
すべての人を等しく愛すること。
博愛と聞いてピンッ!と来るのは、フランス。
フランス国旗の3色がそれぞれ、自由・平等・博愛をあらわしていること。
★ ☆ ☆
そうして、フランスと言えば、やっぱりあのアメリカのイラクへの武力行使に抵抗した2003年2月の国連安全保障理事会での外務大臣の名演説を思い出します。
「戦争と占領と蛮行を経験したヨーロッパという古い大陸の古い国フランスからのメッセージだ」というあれです。
[ Ambassade de France au Japon ]これが、戦争と占領と蛮行を経験したヨーロッパという「古い大陸」の「古い国」、フランスのメッセージだ。アメリカや他の国々からやってきた解放の戦士たちの恩を忘れない国のメッセージだ。フランスは常に歴史を見据え、人類のために立ち上がってきた。自らの価値観に忠実に、国際社会全体と、果敢に行動を起こしていきたいと願っている。我々は共により良い世界を作っていくことができると確信している
話が妙ななほうに行きそうだ(ニガワライ)
☆ ☆
ボクはカネで動く人がいても良いと思うし、地位を手に入れたいと動く人がいても良いとは思う。
良きカネを使い方、良き地位の使い方をする人は少なくない。
でもそれが匂い立つ人がやっぱりいるのよね。 <なんて言葉づかい(自爆)
こういう基準となるような項目で人を観察すると、つまり「カネ」「地位」「博愛」という項目のめがねをとおして人を見ると、「あ~この人、カネだったんだ」と思って、やっぱりげんなりしちゃうというのも事実。
☆
そうそう、この言葉を教えてくれた人に「地位ってどういう行動で見分けられる?」と聞いた。
「組織の管理職なら、自分の部下の数、自分の島の机の多さに決まってんだろ」と言い切られてしまった。
なーほーざっわーるど <ふるっ。いまなら へぇへぇへぇだな♪
☆ ★ ☆
さて、あなたの上司、あなたの先輩は・・・・・??・・・・いやん
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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うちの部署に学卒は入れるな!
☆
とあるでっかい会社の商品開発担当部門の部長の言葉。
この部長、人事部にあるときに怒鳴り込み、この言葉を人事部長に言ったのだった。
こんな経緯↓
☆ ★ ☆
この会社、以前から卒業した学校の名前も学歴もまったく関係のない採用と配属をしていた。
社内の各部署も、配属された新人が高卒か学卒かを知らなかったし、人事の担当も一人ひとりの学歴にはまったく興味関心がなかった。
ある年新人配属後数週間たって、人事部にこの商品開発担当部長が怒鳴り込んできた。
☆
「今年、うちの部署に来た新人、大学出てるだろう?」
人事部の担当者も、一人ひとりの学歴に興味関心を示さない社風であったため、書類をひっくり返して調べた。
その部長の言うとおり、学卒だった。
「頭は固いし積極性はないし言ったことしか出来ない。使い物にならん。うちの部署にもう学卒を配属させるな」
☆ ☆ ★
ボクは、このエピソードから教育の問題を書きたいのではないのです。
怒鳴り込んだ商品開発担当も結果として「学歴」を尺度に「今後は高卒にしてくれ」と言っているわけで、彼も学歴を尺度にしてる、学歴に依存してる。
人を測る尺度、自分の職場にあう人材をうまく説明する尺度や言葉がまったく不足していること、「いまのブランド大学はダメだ」という方も、ではどんな人材が必要なの?と問うと採用に有効な基準や言葉を提示出来ないこと、結局は学歴という基準にまだまだ依存せざるをえない状況を確認したいだけ。
★ ☆
国会議員の学歴詐称問題、惨めな展開になりつつある。
[ 朝日 ]古賀潤議員、HPでの経歴訂正を再訂正 またUCLAに
asahi.com http://www.asahi.com/politics/update/0124/008.html
blogで知り合い、ほんの1ヶ月の間にとても濃密に話をさせてもらえる関係になった友人♪は、「自殺しなきゃいいけどな」とつぶやいた。
自殺という選択肢があるとは思ってなかったが、このくだらない強い抵抗は、ヘタするとそういう選択肢を取る可能性もあるな、とイヤな感じになる。
★ ☆ ☆
人は多様。
測れるわけがない。
だからこそ、どうしても人を測る必要がある時、共通の尺度として学歴が幅を利かせざるをえないんだろう。
「くだらん事だ」と新聞さえ学歴詐称問題などを取り上げない時代など来ないんだろうなとは思う。
☆ ★
いや実は・・・もう学歴は使い物にならないという事を顕在的にわかっている時代になっているのかも。
若年層が就職できず、経験者採用ばかりが目立ちはじめてるのは、学歴ではない時代の象徴かもしれません。
★ ☆
せめてしかし、優秀なベンチャーキャピタルが新事業に投資するかどうかの基準
「最後は新しい事業をやろうとしている起業家の目の色」、
で決めて欲しいとは思うんだけれど。
「あいつをどうして採用したんだ?」
「目の色が輝いていたんですよ」
この会話にボクらが「なるほど!」と納得することさえ出来れば、そうなるんだけれど・・・まだ先かなぁ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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メール、手紙、FAXといろいろなコミュニケーション手段はあるけれど
怒鳴ることが出来るのは、「電話」だけでしょ。
★
建築家の隈研吾の言葉。
少し前なんだけれど、パネルディスカッションで。
★ ☆
以前、コミュニケーションの重み付けという記事でrickdomさんの記事を引用した。
[ ono: 日記・コラム・つぶやき バックナンバー ]リアルに会う>>メールorメッセンジャーで話す>コメント書く>トラックバックする>>>アクセス解析みたいなかんじで、コミュニケーションに重み付けができちゃってる気がするので
隈さんのこの言葉は、更に広義のコミュニケーション手段について「怒鳴る、叱るということが可能な手段はどれか」とユニークな視点を提供してくれた言葉だった。
☆
叱る・怒鳴るということの目標は(目標?(爆))、相手に対し「しっかりしろ」「ちゃんとしろ」「甘えてるんじゃない」「さぼるな」という感情を伝え、相手を動かすことにあるわけで、リアルタイムに「相手のこころや行動を動かす方法」としての「怒鳴る」が達成できるのは、実はいまだ「電話」だけ・・ですよね。
なーほーなー、と隈さんのこの言葉を聞いて思ったのだった。
☆ ★
ホンダの2代前だったか、1990年代に社長だった川本さんのインタビューに
「プロジェクトのスピードをあげさせる秘訣はね、電話をすること」
という記事があった記憶もある。
社長から直接電話があったら、そりゃあんた、仕事の優先順位、かわっちまいますって(ニガワライ)
★ ☆ ☆
メールが普及し、メールだと相手を拘束しないという配慮も手伝い、ボク自身も電話の回数が減ってるけれど、その分「電話とはなにか」「電話はいつ使い、いつ使わないか」「電話でなければならないのはどんな状況か」などの使い分けについて、振り返るのも必要かなと思います。
☆ ★ ☆
ところで、テレビ電話が普及したとして、それで怒鳴るのと、音声だけのいまの電話と、どちらが相手を動かすという目標を達成しやすいのだろうなぁと、ふと・・・・。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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原因-結果系は予想ができるし原因究明ができるけど
刺激-反応系(社会や歴史、コミュニケーションとか)は
偶然なんだよ。
★ ☆
これ、実はおもいっきりそぎ落としてしまった上でのボクの言葉でして(トホホ)
もとは歴史家トインビーの言葉。
これが、くそややこしく(笑)、このblogに取り上げるには長い。
でも読む?
☆
ある原因が生み出す結果とは、必然的なものであり不変でまた予測しうるものだ。
しかし、生けるものが他と出会うために行なう働きかけは、原因とはならない。
それは挑戦である。またその成り行きは結果ではなく、応答なのだ。
挑戦と応答が原因と結果に似ているのは、ともに出来事の「連続」を表しているからに過ぎない。
しかし「連続」の特性は同じではない。
原因に対する結果と違って、挑戦に対する応答は前もって決まっているものではなく、どのような場合であろうと、必然的に同じものに落ち着くと言ったものではない。
それゆえ、それは本来、予想しうるものではないのである。
★
キーボードで打ち込むだけでも疲れるわっ!
★ ★ ☆
ボクずっと、ホントに長い間、「因果」の世界観に捕らわれの身でござりました。
思い出すにも恥ずかしい(●^_^●)
なにがきっかけで、因果の世界の鎖が解けたのかまったく覚えがありません。発達心理・発達過程の中である年齢と経験の蓄積で覚醒するものなんでしょか(爆&涙)
☆ ★
「因縁」という言葉は、原因-結果と運命・定めをそれぞれ表しているそうで、ちょっぴりずれてますけれど、因果系と刺激反応系が出会った接点という感じだなぁと勝手に結びつけておりまする。
★
「どうして、あんな事になってしまったんだろう」「なぜこんな事になってしまったんだろう」と原因を探ってもしようがないことがたくさんあるわけですよな。
生けるもの同士、つまり社会で起こること。
そうそう、これ実話、つか実験済みですが。
企業や学校など組織で、「○○が問題だ、原因を究明しよう」と組織の仕組みやコミュニケーションの問題を取り上げ、トヨタで言われるところの「なぜ?を5回繰り返す」をやってみましょう。
「社長が悪い」「校長が悪い」になります。
確率9割以上。予想可能。
つまり因果系ってことで・・・・わはは。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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(先の記事の続き)
市場は創造されるもんなんですよ。
★ ☆ ☆
先の記事の続き。大阪にはじめて本格的なクラシックホールとして出来たザ・シンフォニーホールの管理者の話。
こんな流れで、上の言葉につながる。
★
ザシンフォニーホールをつくるときに、クラシックコンサートをどれだけの人が見ているのかを調べた。
調べて驚いた。
ザシンフォニーホールは1700席だが、1ヶ月分の市場しかなかった。
クラシック専用ホールが大阪にないと言っても大きな会場でコンサートは行なわれている。
専用ホールをつくれば、クラシックを聴こうと思う人は増えると考えてはいた。
しかし1ヶ月分しかない。
☆
しかし現実は、ザシンフォニーホールがオープンして1年を通じてほぼ満員となった。
市場は創造されるもんなんですよね。
☆ ★ ★
どんな意思決定があったのか
誰かの強い思いがあったんだろうな。
合理的なマネジメントをしてたら、そんなデータ見たら却下っすね(爆)
★
事態をすべて合理的に判断できたら、楽かもしれない。
でも、それだと、夢とか希望が堕落する。
合理性と夢・希望はどうもトレードオフ。
いやいや、こんなうっとおしい、それらしい言い方をしなくてもいいか。
一言。
おもしろくないんだよん。
おもしろくないのはイヤだ。
予定のそとに「生きるの意味」があるんだもんな。
★ ★ ☆ ☆ ★
◇
2つほどの捕捉
◇
1ヶ月しか需要がなかったのか、数ヶ月だったのか、実は忘れた(笑)
そもそもどんな調べ方をした結果1ヶ月しか市場がないとわかったのか(爆)
んが、話の根本とは関係ないっす(笑)
細かいことは考えない考えない。
◇
話全体がプロジェクトX風味だな とこの記事を書いていて自爆的に思った(自爆)
本当の現場の悶絶は、「1ヶ月しか需要がないというデータ」を突きつけられて、上層部とか社内各部門をどう丁々発止で、または汚い小ずるい(爆)超法規的処置などで(←大げさ)抑え込んだか、そこ。
そこはしかし、聞いたらげんなりするんだろう。
更に、そこにはきっと教訓はない。個別だもんね。個別記述されたものをおもしろがるか嫌悪するか、いずれ「いやな会社」「頭の堅い上司」と脊髄反射するしかない。当時のボクの興味もそこにはなかったし。(実はいまは大あり(笑))
◇
以前書いた記事、大きくみないとまったく間違う・・・は、「需要がないのだよ、それがわからんのか」という展開。ある意味逆の展開だということを気づいて頂けると、この記事、更に味わえる(笑)
需要が刺激によって創造されるなんざ、経済(学)はいまだあまり信用してないからねぇ~~(笑)
ザシンフォニーホールのような立場からいくと、「大きくみないとまったく間違う」の記事に出てくる喫茶店は、需要を創造する可能性だって大いにある。当然♪
このあたりがおもしろいです。とっても。
言葉にすると「運と偶然を飼い慣らせ!」って感じ。ちょっと文脈とんだか。またいずれ♪
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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コンサートというのはね、
お客様がチケットを買ったそのときからもうはじまってるんですよ。
★ ☆
大阪にはじめて本格的なクラシックホールとして出来たザ・シンフォニーホールの管理者の言葉。
いまから思うと支配人だったんでしょうか。。。
☆ ☆ ★
↓こんな言い方で、観客から観たコンサートとコンサートホールのあり方についてゆったりと、しっかりと語ってくれた。
チケットを買いますよね。もうその瞬間からコンサートってはじまってるんですよ。
コンサート当日が楽しみで楽しみで仕方がないし、
引き出しにいれておいたチケットを出してみて、ニタニタしたり。。。
そうでしょう?
★
ザ・シンフォニーホールに近づくと小径があります。
当日、シンフォニーホールに向かうとき
さぁ、とうとうコンサートがはじまるぞ!というその気持ち、
その期待と楽しみを、コンサートホールもちゃんと受け止めて
期待感に応えないといけない。
小径を設計するとき、そのワクワクした気分をちゃんと受け止めようと
考えたんですね。
それがあの小径の役割なんですよ。
★ ☆ ★
この方の話を聞いていると、観客の気持ちをしっかりつかんで、ザシンフォニーホールをつくったんだなぁ、設計したんだなぁとひしひしと感じました。
★ ☆
この方の話でもう1つ、うわっ!と思ったお話があります。
それは、また次の記事にしますね。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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大学の近くの喫茶店。
その大学に通う大学生で流行っていた。
あるとき、大学が移転。
喫茶店は閑古鳥がないた。
喫茶店のオーナーは、
店内を改装し、メニューを考え直し、ウエイトレスにマナーを教え
付加価値をつけることで、経営を立て直そうとした。
これ、この喫茶店のオーナーは完全に間違っている。
需要がなくなったのだ。
大学生はもういない。
喫茶店を廃業し、あらたな事業をはじめなければならないのだ
★ ☆
需要がなくなったのに付加価値をつけることでなんとかしようとしてしまうこの話は、村上龍のメールマガジンJMMを本にしたシリーズが以前連続して出ていたが、そこに掲載されていた対談の一部。
正確に再現したわけでなく、覚えてる限りの再現。
☆
インパクトありましたね。
やりがちです。
近隣の住民が来てくれるんじゃないかと考えちゃうんですよね。
冷静に考えれば 来てくれるだろうけれど、とても大学生のようには大量・多頻度には来てくれない。
この話を読んでいるとき、「完全に間違っている」というフレーズを眼にして、「あらま?なぜ?」とか思った記憶があります。
☆ ★
大局観を持て などという教訓をこの話から引き出すのは簡単。
でもこの喫茶店のオーナーの立場を引き寄せて考えると、そんな一言で「もうこの喫茶店は無理だ」と簡単に思えるわけがない。
なんとなれば読んでいるときに「あらま?なぜ間違い?」と思ったんだから。
★
唯一、なんとか「無理なんだな」と事態を客観視できるかもしれない「問」は、ドラッカーのこの問ですわ。
(リンクはドラッカーの最新刊、但し、新訳の選書。この言葉は掲載されてません)
いまやってないとして、いまからはじめるか
喫茶店をいま経営してないとする。
大学はいまは移転済みでない。
そういう状況で、喫茶店をはじめるか? と問え と言うことですね。
やっと、「喫茶店などはじめないだろうな」と冷静に判断できるだろうかも。
★ ☆ ☆
「いまやってないとして、いまからはじめるか」、
すごい「問」だと思います。
ボクら、実に保守的で現在の延長に未来があると思ってしまいますから。
このままがんばってもどうしようもないだろうなとわかっているときでさえ、なんとかなるんじゃないかと断念を先送りしがち。
「いま、やっていないとして、いまからはじめるか」
この問に対し自答を試みるなら、なんとか冷静に事態を見つめることができるかも。
しんどいですけどね。
しがみつくよりは、しんどくないんでしょうね。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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主観→客観→主観 という順番で事態にあたるのが良い。
★ ★
ボクにこの手続き、アプローチ方法を教えてくれたのは2人いる。
一人は、労働開発研究機構の研究員の方。
もう一人は、美術教員。学校の美術の先生をやってられる方だ。
この先生、実はボクのブログで3回目のご登場♪。
http://ono.cocolog-nifty.com/test/2004/01/post_12.html
http://ono.cocolog-nifty.com/test/2004/01/post_6.html
☆ ★ ★
まず労働開発機構の研究員との話をしながら、この主観→客観→主観のいう手順がなにを示しているのかを書きますね。
彼とのテーマは学生の職業選択の方法は如何にあるべきか。
まずは、主観。
こういう仕事に就きたいと考えること。
小さい頃、どんな職業にあこがれたか、自分がこれまで選択してきたのはいったいなぜだったんだろうとか、今現在どんな職業に就きたいか主観で考える。
☆
次は客観。
例えば、サッカー選手になりたいという時に、サッカー選手になるためには、どんな事が必要か、サッカー選手はどんな人がなれるかというのを客観的に調べてみる。
調べていくと、たとえば、サッカー選手よりも医者のほうがなりやすい(笑)、とわかってくる。
☆ ☆
で、もう一度主観。
サッカー選手ってなかなかなれないと客観のところでわかった・・・・でもあきらめきれない、どうしてもサッカー選手になりたい(←主観ですね)、
そう思うなら、サッカー選手をめざせ。
念ずれば叶う、そういう事でもあります。
でも分析した結果、サッカー選手ってなかなかなれないんだとあきらめることが出来るなら(主観)、それはあきらめよう。
こういうのが 主観→客観→主観。
★ ★ ☆
次は鑑賞での、主観→客観→主観のプロセス。
まず主観。
美術館に入って、展示されている絵を見る。
実はまず主観が大事なので、解説なんて読まないこと。
200円とかで借りることが出来るイヤホン付プレーヤみたいなもので絵の解説を聞きながら、くまなく見る方いらっしゃいますが、あれダメ。
そんな事してなにが楽しい?(爆)
まずは無しで見る。
絵を見て歩いていると、なにか気になる絵がある。
あら?なんかこの絵気になるぅ(主観)
☆
次は客観。
なぜ気になったんだろうとじっと絵を見る。
冷静に分析的に1つの絵を見ていくと、気になった理由が発見できる。
「あっ、左端に描かれている赤いバケツが気になったんだ。この見事な赤さがワタシがこの絵が気になった理由なんだ!」と気になった理由が見えてくる。
わかんなければ、おもむろに解説を見たり、イヤホンで解説を聞く。それを参考に自分が気になった理由を発見する。
☆ ☆
最後に主観。
赤いバケツの赤さが気になったんだなぁということを踏まえて、あらためて全体を味わう。
うん、この絵、ワタシにとっていい絵だ!
ワタシ、この絵、好き!!
★ ☆ ☆
まったく違うテーマ、職業選択と美術鑑賞について、主観→客観→主観という流れが共通している。
実はこの方法、普遍かも と思っている。
困難な事態、選択を迫られた時、鑑賞する、物事・事態を見事に見る、こう言うとき、主観→客観→主観のプロセスを踏むことはとても意味があるなと実感してる。
★
主観→客観→主観という方法は、少し言い換えると、
自分とまず対話し、次に対象と対話し、その結果を踏まえてもう一度自分を対話するということもできるかなと思う。
★ ★
しつこいっすがこの方法、いいっすよ。
ブログで書く記事も、主観→客観→主観というプロセスを踏むと良い記事が書けるだろうかも。<えっ!ホントか!!
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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はやく決めすぎると、これで良いのかと悩み、
決めないと、はやく決めなければと悩む。
★
いつものように、うろ覚え。
たしか、レビンソン著の「ライフサイクルの心理学」に記述があった覚えが。
★ ☆
人生の岐路に立ち選択を迫られたとき、例えば進路選択や職業選択、例えば結婚、例えば会社を辞めるべきか辞めざるべきかを迫られたとき、
その人はいずれ、
「はやく決めすぎると、これで良いのかと悩み、
決めないと、はやく決めなければと悩む。」 のだと。
☆
「なぁんだっ、どっちにしても悩むんぢゃん。わはは」と、この文章を見て思ったのでした。
しかし、いずれにしても悩むんだよとわかってると、選択がちょっとは楽だなとは思いましたね。この言葉、着眼に出会って。
「どれを選択するか」と悩む前に、「はやく決めすぎて悩むか決めないといけないと悩むか」を選択せよと言うことでもありますよなぁ(笑)。
メタ選択で悩む。オホホ。
☆ ★ ★
つーことは、「はやく決めすぎて悩むか決めないといけないと悩むか」を決めることを“はやく決めすぎて悩むか決めないといけないと悩むか”、ということを決めることを、はやく決めすぎて・・・・・・。
これ、永遠に続くぞ(笑)
★ ★
いや、この言葉も混ぜっ返すつもりはなかった。
書いてるうちにこんな記事になっちまった。トホホ
この言葉、良い着眼でしょ?でしょ??ねっ!
<こんな文章の展開にするからオタオタになるのぢゃ自分。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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自分の夢が好きになった。
☆
TV。
村上龍が中学校を訪れ、「13歳のハローワーク」周縁の話を生徒の質問を受けながらした。
その45分間の授業(セッション?)が終わったあと、参加していた中学生の感想の言葉。
ニコニコしながら「自分の夢が好きになった」
☆ ★
インパクトがあるから言葉が脳みそに貼り付くわけですが、この「自分の夢が好きになった」というこの言葉の微妙さ、ッテイウカァ違和感はなに?
★
夢って自分の好きなことじゃないの?
いや、夢だから、あいまいだから、それが好きかどうかも曖昧だったってことかしらん?
★ ☆
どうも想像以上に、敏感、つーか捻れてるかもしれないと感じるですね。
「自分の目標を持ちなさい」というのは、どうも意味不明だなぁと思うボクとしては、そう迫られてしまっている中学生を含むボクらの現状がある気がする。
意味不明だなと言うのは、ピストルを向けられて「自由になれ」と言われているのと相似の語義矛盾というか、誰が何を言ってるんだかわかんないですよな という意味。
13歳のハローワークもなるほどなと思いつつ「好きな仕事に就け」という妙な迫り方が気になったりしてた。
☆
そういう「夢を持て」「目標を持て」という妙なプレッシャーをいま日本に生きている多くが受けているので、自分で無理矢理目標を持ってみたり、夢を持ってみたりする。
「夢を持て」と迫られるから「無理矢理、夢を持つ」という異様な風景・空気ですね。
☆ ★
で、この中学生、村上龍の話を聞いて「自分の夢を信じて良いんだな」と感じたんでしょう。
「夢を持て」「好きな職業を持て」と迫れれたから、一応持ったものの「これが正解なのかな?」とわけわからん不安に襲われていたのが、村上龍の話をナマで聞いて「あっ!自分の思った夢を信じて良いんだ!」と思ったわけでしょうか。
★
13歳から考えて興味を持ったものにいろいろチャレンジして試行錯誤しましょう、というのが「13歳のハローワーク」の実践的メッセージのようですが、「自分の夢が好きになった」と言わせてしまうような、社会や大人側のもともとの迫り方・プレッシャーのかけ方の異様さがあるんだよなぁ とあらためて書きながら思っちゃったことです。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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見知らぬ仲間と一緒にコトを成すためには
●会い方の工夫
●志の共有
●実践目標を持つこと
の3つが大事。
★
いやはやもうパネルディスカッションで聞いてメモったということしか覚えてない。
救急医療系のNPOだったかなぁ、忘れた。
いずれ拘束力の弱い組織の親ビンが「みんなで持続的にがんばろうやといういわゆる組織化、チームづくりのポイント」として話されたのがこの3つ。
う~む、凄い
なぜなら誰でもできそうだ!! と思う内容だったから↓
★ ☆
1つめ。会い方の工夫。
・直接あってするミーティングの回数、リズム、場所の工夫が大事。
昔はそういやぁ、木曜会てな名前をつけて、毎週木曜日にあおうというリズムがあったわけですなぁ。
☆
2つめ。志の共有
・欠席の理由が気になること。
特にこれが凄いなと。
あーあー欠席の理由が気になるって、ポイントっすね。凄いなこの定義と思った。
☆ ★
実践目標をもつ
・具体的に一緒にやる具体的ななにかをつくらないとダメだそうです。
★ ☆ ☆
昔なら異業種交流会とかって流行ってましたが、なかなか続きませんっすよね。
勉強会、研究会などなどもなかなか続かない。
パーティとかで意気投合して握手しながら「是非一緒になにかやりましょう」って言うのは、はじまった試しさえない(わはは)
★
企業などもう共同体たり得ないし、地域も家庭も総崩れ。
個々人がなんらかのコミュニティに属してないとついつい孤立(るび:ひきこもり)しますですよなぁ。
たくさんの集団に帰属しておいたほうが幸せな人生がおくれると思うのです。
なにかのお誘いが来て、んじゃ行ってみようかなと思ったとき、是非是非この3つの条件が備わっている組織集団か、まず嗅ぎ分けましょう♪
んで、どれかが欠けている!と気がついたら、当然ですが選択肢は2つ。
選択肢1 : 3つの成功条件の中で欠けている要因をなんとかする。
選択肢2 : とっとと逃げ帰り、新たな帰属すべき集団を探す。
★ ☆
ボクは、スス~といなくなる場合が多い☆α==(・・#)パーンチ
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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死に瀕した人々がたどる精神プロセスは
1.怒り
2.拒否
3.かけひき・交渉
4.絶望・落ち込み
5.受容
というステップをたどる。
★ ☆
死を肯定的に捉えるべきだと主張しているというクブラー・ロス博士の言葉。
死を宣告されたとき、このようなステップを人はたどるのだ言う。
☆ ☆ ★
死を宣告されたとき、宣告された人がたどるステップがあるというこの「言葉」、研究成果をしったのは、実は昨年見た映画だった。
ライフ・オブ・デビットゲイル。
ケビンスペイシー主演の映画。
この中にこの死のステップの話が出てくる。
映画はとても面白かったし、このクブラーロス博士のステップの話を巡る夜の会話のシーンも好きだった。
加えて、こんなステップがあるのか、そうかそうなんだなぁと映画を見ながら納得したりしていた。
★ ☆
突然暴力的にやってくる「死の宣告」に対し、「なぜワタシが死ななければならないのか」という怒りにはじまり、「死にたくない」という拒否の感情が次に続く。
「もう○○はしませんから」とか「一生懸命○○しますから」というかけひきを試み、「でもなお死ぬのだ」と絶望に落ちる。
そうして受容。受け入れる。
☆
そういうステップなんだろうか、そうなんだろうなと思いつつ映画を見ていた。
縁と偶然が折り重なり、おかぼれもんのpicoさんが「ライフオブデビットゲイル」を紹介してくれた。
<picoさん、トラバしました♪
☆ ★
ボクらは「死」に直面する機会が少なくなっている。
核家族化が進んだこと、病院で過ごした上での死が死のプロセスに直面する機会を極端に減らしてる。
が他方、ボクらは死のプロセスに直面する人に直面する機会が増えていく時代に生きている。
この矛盾。捻れ。
死がどのようなものがわからないのに死に直面している人がまわりにたくさんいるという、捻れた、想像力がなかなか働かない、そんな時代にボクらは生きている。
この捻れ、ちょっと怖いな。
伝統的な社会であれば、知らず知らずに身につけていたはずの良き儀礼、良き常識がまったく欠如している自分。
死に直面した人に対する想像力がまったく欠如し、どんな言葉をかければよいのかさえわからず立ち往生する自分。
そして、クブラー・ロス博士のステップを知ることでなんとか学ぶ自分。
自然にコミュニケーションできず、クプラー・ロスのこのステップを考えながら「どのステップにいるんだろう」と考えている自分。
ちょっと怖い。ちょっとイヤだ。
★ ☆
クブラー・ロスという研究者について、Googleで調べたがあまり出てこなかった。
Death Dyingを見ると「死と死に様」というクラスがアメリカではあるみたいですね。
☆
自分のために、他者のために、死と生きることについて学ばないといけない時代にボクらは生きてるわけなんですよねぇ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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これからは教師ではなく育師が求められる。
☆
教育というこの2つをわけて、教師と育師に分類し、育師が大事ですねと教えてくれたのは友人の臨床家。
教育界にいらっしゃる方は「育師」という言葉はもう普通に聞いてられるのでしょうか。
ボクははじめてで、わおわお!とびっくりしたり納得したりしたのですが。
☆ ★
教師と育師をわける場合、
教師とは、知識を教え込む意味合いで使われ
育師とは、夢やその人にあった学びの動機を育む手助けをするという意味合いで使われるようですね。
★ ☆ ★
あら?ボクは学校の先生から知識だけしか学ばなかったんだっけ?、
夢を持つことや学びの動機を育んでもらってなかったっけ?
と不安になりました(ニガワライ)
つーか、大きな夢、幸せや豊かさのイメージは誰に教えられるまでもなくボクらがちっちゃいときは明確だったような気もします。
大きな物語が成立していた時代という言い方を社会学者がしますが、そういう時代でしたから。
★ ☆
いま、そんなの誰もしんじちゃいませんね。
高校生でファンサイトを主催しているという人の話を聞く機会がありました。
昔のファンサイトは、歌手やタレントのスケジュールを押さえ応援しようという感じでしたが、その高校生のファンサイトは、その歌手を道具に小説を書いたり、絵を描いたり、なんだそうです。
それってファンサイト!?
同人誌・コミケとまったく相似なのね、ファンサイトも。
大きなタレントという存在の傘のもとで遊ぶんぢゃなくて
自分の好きなタレントで自分勝手に遊ぶ。
☆
全体がこういう大きな物語の喪失と柔らかいひきこもり状態(っていうと叱られるか?)の中で、そりゃ教師が全部ひっかぶるなんて無理っすね。
☆
成果ではなく成功の時代 と押さえなおすと育師というよりも母性が必要な時代 ってことなんだろうなとは思いますです。
信じるべきものがなく ビジョンなど見切られてる中で、自分で信じるにたるものを探さないといけないキツイ時代を生きるわけですから、必要なのは母性っきゃないのだろうな と思います。
☆ ★
キツサを生き抜くための、そのための母性・・・こんな難しいことを学校の先生に要求するの?無理っすよね。
そんな事、できる先生ってスーパーマンぢゃ~~んっ。
★
キツサを教える母性。
具体的なイメージがなかなか難しい・・・と思っていたら、うちの母親が頭のなかにぼわわ~~んっと沸いて出てきました。
あっ、ごめんなさい・・・怖え~~~~~~っ
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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事業をはじめると、自然とネットワークも拡がっていく。
なんのノウハウもなかったのに技術者も集まってくる。
やってみないでいろいろ文句を言ったり、言い訳していても何も進まない。
☆
とある通信・情報関係の社長の言葉。
この人、ご自身は全然な~んも知らんのにある情報系の事業を立ち上げて
軌道にのせた。
事業をはじめたら、技術者も集まってきた、
というのが大胆というか凄いというか・・・
☆ ★
前回の記事「つながりを感じる」のネスカフェのCFの出来がもの凄く良かった、それで元気をもらったので、元気になる記事を書きたいと思って、この言葉にした。
★ ★ ☆
「情報は発信すればするほど集まる」という多少無邪気な(笑)、そしてやや大胆な(笑×2)、しかし現実がありますが、それをまさに地でいく話。
人間がつくっている社会というのは
あまねくすべてまるっと(しつこい!)相互依存なので、
自分が動けば周辺も動くに決まってる。
自分が大胆に動けば、周辺も大胆に動く。
状況はどうなってるかと事前に緻密に分析をしても
動き始めたら周りも動くので状況は変わる。
だから、やらずに文句を言ってても意味ないよと言うことになるわけっすよね。
☆
まぁそれにしても、新しいビジネスを情報系にもかかわらず技術者がほとんどいない状態ではじめちゃうなんて、やっぱ怖いっすよね(笑)
横紙破りさ。素人かもしくは怖いという神経が2,3本欠けてるのさ(笑)
☆ ★
てな、物言いをこの社長が許すわけはありませんm(__)m
■この記事は「少し動くと世界が変わる-1」の
シリーズ(ん?シリーズ)のその2にあたります。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
★
めちゃくちゃ良いです!!
さっきテレビで見たネスカフェのCM。
「朝のリレー・寝顔編」
急いでネスレのサイトを探したら、あったぁぁぁぁぁぁぁ
★
詞は、谷川俊太郎「朝のリレー」
谷川俊太郎、やっぱ凄い
上で引用したのは後半の部分。
ゆったりと、しっとりと
元気をもらい、
つながりを感じることができる。
★ ☆ ☆
なんども書きます。
めちゃくちゃ良いです。
CFで久々に感動した!!!感じた♪♪♪
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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「あなたに、親友と呼べる人は何人いますか?」 「300人」
「300人も!!」 「だって携帯のメモリが300人だから」
「親友が一人増えたらどうするの? 「えっ!?一人消すんだよ」
★
NHKかなにかでやっていた、女子高校生とレポータとの会話。
ボクにはとても衝撃でしたとさ
いまだと何人なんだろう?携帯のメモリの容量。。。。。
★ ☆
ワタシ友達、少ないのです(T.T)
なので 「親友は300人」にまず、椅子から落ちた。
次にそれが携帯のメモリの量だというので、ひっくり返った。
で、一人増えたら、一人消す というので、半鐘は鳴る大八車は走る・・・・
☆
その後、社会学者や心理学者が関係の希薄化、
流動化時代の友人の取替可能性などを指摘しているのを知った。
過度な流動化で、地域や所属に縛られる必要がなくなり、
過去の関係に縛られることもなく、またいつでも新しい人と出会える可能性が増え
携帯やインターネットが拍車をかける構造で
どうやら親友という概念さえ溶けているてな指摘だった。
☆ ★
という時代性の問題なのであれば、
当然ボクも影響を受けているわけなんだわな・・・・うむ。
無二の親友って死語?
タイトルの「親友は何人いますか」という問も死語?
濃密で、時にわずらわしいときもあるけれど
あおくさい議論をしたり胸の内を吐露するという関係も死語?
(関係が死語という日本語はないか・・・)
★
人間の古い脳には集団欲があると聞いたことがあるんだけれど、
盲腸のようになくなっちまったか。
とぼやくのは既にオヤジっすね。(T.T)
ぬめっとした濃密な関係、イヤでした。はい
でもそれが強制されたから、腹の底から語り合う関係もあったわけで・・・
もそっと入り込んでも良い気がするけれどなぁとまたぼやく。。。ぼやきたくなる。
★
ボク用に、どこかに5メモリくらいの携帯売ってませんかしらん
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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自分がえらい(スゴい)と思われたい人は難しく言い、
わかってもらいたいと思う人は、やさしく言う。
☆
誰の言葉か全然覚えてない。
何か、エッセーのようなもので読んだのだったか。
☆ ★
読んだときに、あたたたたと痛かったんでしょうね自分。だから覚えてるんだろう。
いずれこの時代、ボクらは虚栄心でなんとか自分の存在を確認してるんだから、「難しく言う」「正しそうなことを言いたがる」というのは、しようがないけど。
★
おはるさんの記事、
[ 異空間==お花畑: 王子様の乗った白馬に蹴飛ばされる ]ある人の言うことは、正しい。とても正しい。逆らいようがないくらい正しい。思わず垂れた頭を上げられないくらい正しい。
を読んでいていて、シナプスひっついて書こうと思った記事でした。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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自分自身がかわらないと「わからない」問題がある。
★ ☆
「場 -BA-」を研究している清水博の言葉。
☆ ☆ ★
これだけ取り出しても、ちょっとわかりにくいか。
清水博は前後で、こんな事を言っている。
☆
「自分にわかるように10分間以内で合理的に説明せよ」と要求されたとき、説明を聞いたあとで「わからないではないか」と、わからないことの責任を私におしつけようとする。
これは、わかる知識を集めて合理的に判断しようという立場。
わかる、わからないを相手のせいにする。
他方、自分自身が変わらなければ「わからない」問題がある。合理的思考そのものが問題の解決をさまたげてしまう。
この場合は、自分自身を変えなければならない。
「おいしい」は合理的に説明できない。人のこころをうつおいしさを合理的に表現することはできない。
「おいしさを感じる味の世界」をわからないとわからない。
「わからない」ことが「わかる」ためには、自分を変える必要があるのだ。
★ ☆
「わかれ!」という以前の記事でこんな事を書いた。
[ ono: わかれ! ]わかると言う動詞の活用形(未然形、連用形、終止形、連体形、仮定形、命令形)の中で、命令形の「わかれ」は命令形という活用としては存在しても、わからない人にわかれと言っても意味がないだろう?だから日本語としては存在しない
あらためて捉えなおすと、「合理的に説明すればわかる」という立場だ。
しかし、現実に「わかれ!」と使っている友人がいた。
それが「日本語として機能している」ことを実感して、こう書いた。
[ ono: わかれ! ]どうもボクらは人に、他者に、愛ある厳しい迫り方をしなくなったのかもしれない。「わかるまで待とう」とばかりに、実は冷たく他者をほったらかしにしているのかもしれません。
わかれ!と迫って、相手に、他者に、ちゃんと考えろ!と迫ってあげることをもっとやる必要があるんだなぁ と「わかれ!」という命令形が現実に意味を持って存在するのを知って思いました。
清水博の言う「自分自身がかわらないとわからない」問題がある。」という、まさにそれ。
「わからないから教えて欲しい」「わかるように説明をして欲しい」という相手に対して、「わからないのは説明をしているボクの問題ではなく、既に「あなた自身がわかろうと変わらない限り、それはわからないのだよ」と、
わかれ!
という命令形は表現をしてるんですね♪
わかれの意味が少し深くわかった(笑)
☆ ★
・・・ん?この文章、わからない??
わかれ!!(笑)
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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新しいビジネスを立ち上げるかどうかは、
儲かるかではなく、楽しいか。
楽しくなければ、続かないんだよ。
★ ☆
ハイパーメディア・クリエイターでフューチャー・パイレーツという会社をやっている高城剛(たかしろつよし)の言葉。
☆
新事業の提案をスタッフがもってきたときに、それが「儲かっても」やらない、儲かるというだけの動機だと続かない。
でも「楽しければ続く」。
事業は続けることが大事なので、楽しいかどうかが重要。
とある、パネルディスカッションで、高城剛が言っていた言葉。
☆ ★
松下幸之助の「新事業に成功する方法は?」に対する答えは、
「続けること」
でした。
で、「続けるためにはなにが必要だろう?」の答えが、この高城剛の言葉にありますよね。
「楽しいこと」。
真理っていうんでしょうか、こういうの。
なかなか、そうはいかないけど・・・・
そうはいかないくらいなら、新事業なんてやるなよ ってことでもありますね。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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横紙破り
☆ ★
とある企業の経営陣の言葉。
「あの商品はね、我々が素人だったからつくっちゃった。
ベテラン・プロはね、あんな手間がかかり、コストの高い商品は出さない。
横紙破りだったんだよ」
その会社ではその商品が長い間、稼ぎ頭になっている。
いまだその商品はロングセラーを続けている。
★
横紙破り。
この言葉、まったく知らなかった。
この経営陣の話を聞いてから、なんだ?と思いあとで意味を知った。
☆ ☆ ☆
辞書で引くと
和紙はすき目が縦になっていて、
横には破りにくいことから
自分の意見を無理に押し通すこと。
常識や習慣にはずれたことを平気ですること。
「常識はずれのことを、当時やった。それは自分たちが素人だったから」とその方はおっしゃったわけだけれど、裏の意味は「しかし今では、大胆なことができない会社になってしまった」という嘆きでもあった。と思う。
★ ☆
昨日のひろゆきさんの元祖しゃちょう日記blogから引用した記事、「優秀な人ほど儲からないの法則(爆笑)」はだから、ある意味であたってる。
とりわけ、
金 = 仕事 / 知識
という数式は、見事。お見事!
この定理を、「横紙破りの定理」と呼びたい(笑)
☆ ☆ ★
んが、半分以上はウソ ←なぁんだ
まったく知識がなく、まったく素人で、ロングセラー商品をつくれるわけはない。
(あったぼーよー)
常識と呼ばれている非常識、習慣と呼ばれている過去の陳腐化した遺物、これらを打破するだけの知識。専門性が必要に決まっている
★
ささ、学びましょう♪
そして、その上で大胆な「横紙破り」をめざしませう。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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男と別れたくらいで
髪の毛を切ったりしないよっ
★
明石家さんまのTV、から騒ぎでの女性メンバーの発言だったと思います。
☆ ★ ☆
けっこう、「あら?そうなの!」と衝撃でございまして、
男の妄想というか幻想というかアホげたロマンチスト、「夢見る夢子」がどっかにやどってるわけなんだなぁと自分で自分にシナビテました。
★ ☆
最近記述が長いので、短く吐露(ルビ:ゲロ)。。。。。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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ほしいものが、ほしい。
★ ☆
実は超有名な1988年の西武百貨店のポスターで書かれたコピー。
糸井重里さんの、いやまぁとんでもない作品。
リンクは糸井さん主催のほぼ日刊イトイ新聞にぶっとぶ。
ド有名コピーなので、西武百貨店のホームページかパルコのホームページにあるだろうと思って探したけど見あたらない。
いやまぁ、もったいないなー。
☆
このコピー、なにを言っているのか実はしばらくちゃんと知らなかった。
自分の欲しいものがお店に売ってないのです という意味のコピーだと思ってました。しばらく。
違うんだと(トホホ)
ッテイウカァ、それは半分の意味。
知ったのは、ずっとあと(T.T)
☆ ★
もう1つの意味は、
自分の欲しいものがもうなくなってしまった・・・そこそこ満たされちゃってる・・・だから、自分の欲しいもの、つまり自分の欲望が欲しいよ~~~、と。
そういう意味があと半分ある。
この同語反復の言葉の連なり。
凄いですね、ホント凄い。
★ ☆ ☆
パソコンを使いまくっている人たち、家電にうるさい人たちは、まだまだ欲しいものがありますよね。
250Gのハードディスクほしー、液晶テレビほしー、HDDプレヤーほしー、ホームサーバーほしーなどなど。
でもその欲望も、貧しさから出てくるものではないので切実感がない・・かも。
欠如がパーペキに終わった1990年少し前、バブルの入り口、ホント成熟しきっちゃってて、欲しいものがなくなってた空気を糸井重里はつかんぢゃった。でコピーに。と捉えてます。
あらかじめ満たされた世界。
欲望がなくなった。欲望ほしー。
その空気を見事に描ききったのだよな と記憶してます。
☆ ★
実は、西武百貨店のポスターに この「ほしいものが、ほしい」に添えて小さな文字で次のように書いてありました。ボクが上に書いたことが実はしっかりと表現されてた。(でも難解なの)
★
ほしいものはいつでも
あるんだけれどない
ほしいものはいつでも
ないんだけれどある
ほんとうにほしいものがあると
それだけでうれしい
それだけはほしいとおもう
ほしいものが、ほしいわ。
☆ ★
これ、懐かしくも記号論で読み解いた本が出てます。
くそややこしいのが好きな方、または記号論に昔、はまった方には良い本・・♪
「記号の知/メディアの知~日常生活批判のためのレッスン」石田英敬著
<ん? お薦めのしかたがちょっとヒネてる? ほっとけ
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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私とは何か、と問うときの「私」は、
この顔でも、この名でも、この生い立ち、性格、世界観のどれのことでもなくて、
「私とは何か」といままさに問うているこれ、これは何か、なのである。
☆ ★ ☆
14歳からの哲学が売れちゃった(^_^;)池田晶子の言葉。
☆
いやぁ、売れてますねぇ~、14才からの哲学。
これずっと売れてるような・・印象が。。
あ~あ、売れちゃった、池田晶子。
昨年、ニュースステーションにもチラリと出てました。
お願いだからもうTVには出てこないで(笑)。
と妙に昔からファンだったボクは思ってます。(ファン心理ってやつっすね)
んが、ボクまだ14歳からの哲学を読んでない。積読になってる。
売れちゃったからね(笑)。
売れたのを読むのはイヤ。妙な作用反作用の法則が(作用反作用の法則ってオイ。)
☆ ★
池田晶子の問うている(探求しているの意ですが)「私とはなにか」とは、それ ではないです。
それとは、「本当の私はこんなじゃない」とか「もっと自由に生きたいのに」とか、そのために発するそれ。
池田晶子に言わせるとそれはあらかじめ人生訓的な答えが用意されているし、自分で概ね答えがわかってるんでしょ?甘えんじゃないよ、興味ないね、とこうなる(笑)
そうぢゃなくて、「私とはなにか」と問うている、まさにいま問うているその「私」、これはなに?
これが近代的自我ってやつだが、それはいったいなんだ?なんだ? と問うのです。スゲェ。
★ ☆
で、さらに追い打ちをかけるように・・・、ボクがニタッとするのはですね、
「私などない。関係性だ。私などもはやない」と主張する人たちが違っているのは、「ない」と言っているその「私」はなにかが問われているのだ。ないなら「私などない」という問もなにもないはずだろ?
こうくるわけですね(笑)
☆
さて、私とはなにか と問うている私とはいったいなに?
14才からの哲学で、この私、の解明はすすんだんでしょうか?
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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変化するということ以外、
すべて変化する。
★
この言葉、確か原文が英語だった記憶がある。
英語の文章、どっかにいっちゃった・・・。
★ ☆
日本だと 諸行無常 ってやつですね。平家物語でしたか。
昨日書いた吉野家の戦いもまさに「変化」の話。
☆ ★ ☆
言葉としては「変化するということ以外、すべて変化する」と、
こういう言葉の連なりのほうがいい。
好きだわ。インパクトがある。
☆
ただ現実の世界に立ち戻ると、これらの言葉を考えた人(諸行無常という言葉も含めて)、こんなに変化の激しい、流動化の時代を想像できたのだろうかとも思う。
なんども書くことになっちゃいますが、流動化が不安と縮こまり、そして快楽主義を呼び寄せ、未来に向かうからこそいまを我慢するという未来傾斜の精神をなくしちゃう傾向がありそうなんだけれど、変化対応・スピード対応で本当にアカルイミライが来るんだろうか。とちょい不安だなぁ。
スローライフって運動、いまいちピンと来ないのだけれど、でもいまはちょっと速すぎって気がどうしてもするのです。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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一生懸命ではなく一所懸命の時代になった。
★ ☆
これ最近読んだ本に書いてあったんだ。
でもいったい、どの本に書いてあったか、まったく忘れた(トホー 二 クレル)
どなたか、ご存じでしたら、コメントつけまくってください。
★
終身雇用の時代は一生懸命。
一生をかけて会社の仕事に打ち込むというのが日本人の働き方だった。
しかし終身雇用の時代が終わり、一所懸命の時代になった。
その場所で、その仕事でがんばる。
しかし会社に一生をかけるのではない。
☆ ★
そういう事が、その本に書いてあった。
うまいね、どうも。
と思った。言葉、漢字の使い方、それを時代にうまくミートさせる。
うまいなー。
★ ☆
アメリカの数年前の予測だったとおもいますが、平均的な社会人は、一生のうちに、11回の転職をし、3回の職種転換をするようになる という記事を読んだ覚えがあります。
11回の転職はまぁさておき、3回の職種転換!!
そういえば、とあるアメリカ人、弁護士なのに教員になるべく勉強してられたなぁ。
「訴訟を起こさせて儲けるような弁護士の仕事はもうイヤだ」と言ってられました。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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良い子は我が子
我が子は良い子
★ ☆
河合隼雄を取り上げるのは2回目でしょうか。
河合隼雄が父性と母性を説明するのに使った言葉。
「良い子は我が子」は父性で「我が子は良い子」が母性。朝日新聞の天声人語で取り上げてられていたのがボクの脳みそに転写されました。
☆
うまい表現ですよね~~。ナットク!!というか・・・。
これでようやくボクはすっきりと母性と父性を理解したのでした。
成績の良い子、人よりなにか突出している子、親の言うことをきく子、それが我が子だとするのが父性。
いやいや、どんな子であっても私の子はみんな良い子なの、と言うのが母性。
★ ☆ ★
キツイ時代、会社は「成果」を求めるばかり。良き共同体としての会社など今は昔の話になってしまいました。
企業はこの文脈では「父性」としての立場を取り始めたということなんでしょう。
母性として、「うちに入社したのだから、どんな社員でもなんとか勤めあげさせなければ」という母性が消えていっちゃってるようです。
★ ☆
大きくなにかを失っていっているのは確か。
以前書いた「正統的周辺参加」にまつわる部分が消えていっているのは明かで、実はボクの知る現場ではたらくサラリーマンは、想像以上に見えないダメージがあることに気づいているようです。
どうやら多くの方が気づいているのは、良き文化の伝承が消えていきつつあることで、1999年の茨城県東海村臨界事故に象徴されその後も多発する基本的なミスでの大事故は、どうも企業の母性の欠如が影響しているような印象です。
☆
ただどうもまだ因果関係があいまい。。
企業ですものね。利益にどう響くかが明確にわからないと止まらない・・・。
わかったときには、地域、家族、国に続いて企業も崩壊・・・・・・あ~あ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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成果から成功の時代へ
☆ ★
上記の言葉、タイトルに過ぎない。
山崎正和が去年の1月(えっ!去年かよ(苦笑))、毎日新聞か朝日新聞に書いたコラムのタイトル、内容はこんなでした。
★
ある仕事に「成果」をあげることと、ある仕事に「成功」する事とは大きく違っている。
成果は努力に見あってあがるものだし、仕事の前にかなり合理的な予見をすることもできる。
正しい計画を立てさえすれば、あとは着実な勤勉が成果をもたらすからである。
だが成功はそうした計画や勤勉だけではことたりず、なんらかの幸運が加わって与えられるものと考えられている。
そこには偶然の要素、合理を越えた力が働くから、成功を予見するというのは難しいというのが常識だろう。
★ ☆
これを取り上げたくなったのは、境界線さんの記事に出会ったから。感謝♪
☆
成果の時代から成功の時代へ、どうやらボクらは知らず知らずのうちに突っ込んでいる。誰もボクにそんな事教えてくれなかった。
「聞いてないよ~~っ」だ <ふるっ!
たとえば象徴だろうと思うけれど、今どき安定したサラリーマンはとても不安定。約束された未来、計画と計算と見通しが持てる未来がなくなっちゃった。
☆ ★
で、快楽主義がはじまる。その場を楽しくならばまだマシ。その場をなんとか生き抜けようとする。
今日生き残るための弱肉強食の世界のはじまりさ。
ボクは、「人間は未来のために今日を我慢することで進歩し発展したのだ」と教えられたんです。
でもそんな世界は終わり。終わりらしい。ことわりも無しに <まだ言うか自分(笑)
★
さて、覚悟を決めましょうかね。
より多く偶然に依存する時代、努力だけではどうあがいても報われない時代がやってきたのだから。
適応するぞ~~~~~~~~っ!
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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女性管理職が「細かいことにごちゃごちゃとうるさい指示を出す」「仕事に一生懸命に打ち込まない」のは、女性の性格の問題ではない。
☆ ★
ロザベス・モス・カンターの言葉。言葉というよりも研究成果ですね。
「なぜ人を殺してはいけないのか」という昨日書いた記事に「社会が悪いとは何が悪いのか」という疑問を持たれた方がいらっしゃったので、ちょっと急遽この記事を書くことにしました。
★
ロザベス・モス・カンター(リンクはいま入手できる本を示しているだけで、この研究とは関係のない本です)は、ハーバードの経営管理の教授ですが、女性管理職の傾向を女性の性格の問題ではないのだと研究によって明らかにしました。
☆ ★
ではなぜ、女性管理職は、同じように「細かくうるさく指示をだす」「仕事に打ち込まない」などの共通項が出てくるのか。
彼女は、企業に貼り付き調査を重ね、こう結論しました。
●少数だから。
・女性管理職が目立ち、細かなところまで注目されるから
●権力がないから。
・組織の中枢部についておらず、またネットワークも乏しく、
だから非凡な活動ができにくい
●昇進の可能性や見通しがもてない、つまり機会がないから
・行き止まりの感じがあり積極性が欠如してくる。
この3つの要因が女性をとりまく「構造」として横たわっているからに過ぎないと整理をしました。
つまり男性であっても、おなじような構造の中にいる人は、「小うるさく」「仕事に打ち込まない」 というわけです。
★ ☆ ☆
個人の問題ではなく、構造の問題、つまり集団や社会の問題というのは、こういう時ですね。
こういう「構造」に要因がある場合、いくら個人を教育しようが、個人を叱咤(しった)激励しようが、個人のモチベーションを云々と言おうが、「構造」を変える事をまず考えないと、まれな人しかその構造から抜け出せない。
つまり社会の問題、社会が悪いってことになります。
☆
この研究に出会ったときに、目からうろこでした。はい。
すべてを社会の問題に帰属させることに問題もあります。他方ですべてを個人に背負わせるのもまた問題あります。「個人の問題!」と指摘するのは簡単ですが、指摘してそこをなんとかしようとしても無理ってことですよね。
原因は個人にはないのですから。
☆ ★
ボクが夜更かししてしまうのは、blogに取り囲まれているという構造の問題でございまして・・・・・・・。
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タイトル「なぜ人を殺してはいけないのか」。
ものすごい議論を呼びましたが、もう語り尽くされましたかねぇ。
なかなかの議論だったかと思うのでボクが覚えている限りの議論のプロセスの覚え書きをしておきたいと思います。
●自分が殺されたらイヤでしょう。だから人を殺してはいけないのです。
ここらあたりが、一番の納得の答えでした。当初はですね。
もともと若い人から発せられた問だったので、こういう説得的な答えを探索するように回答側は動機付けされてました。
がしかし、この答えは現場から否定されていきました。
●別に殺されても良いのだ という存在が多数・・・・
主に臨床の現場から意見が出たと記憶していますが、生きる意味を失っている若者が少なくなくいる。
なので、「殺されたらイヤでしょう?」という説得は効かない。「自分は死んでも別に良い」という若者は、まれにではなく存在する。
そう報告されました。
良く考えてみれば、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問は、何を問うているのかと考えると、生きる意味を失いつつありますという発信でもあったのだな。あらためてそう思います。
想像以上に生命力?が弱っていることが問として表出されたということなのでした。
●その問を問として言わせる時点で、社会が既に病んでいるのだ
「人を殺してはいけない」は社会が社会として成り立つために問われるはずのない問なのだ。「なぜ人を殺してはいけないのか」という問が頭をもたげるようなその社会は既に病んでいる。
この答えが一番説得力があったのではないか といまも思っています。
★
はじめに書きましたが、この問、もう議論の土俵にのらなくなったなと印象していますが、さて、社会は少し健康になったのでしょうか、それとも語り尽くされた、議論のネタとして飽きられたのでしょうか?それとも・・・・・。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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今回は短い言葉にならない。ちょっと長い。
阪神淡路の復旧活動のときに、阪神・神戸に向かう道路という道路はものすごく混んでいました。
救援物資をのせた車がなかなか現地にいけないという状態が続いていました。
あるテレビ局がその道路の混んだ状況を報道すべく車を走らせ、混んだ道路で動かない車の中からレポーターが訴えます。
「想像以上に道路の渋滞はひどい。まったく動かない。
なんらかの手を打たないといけない!」
その報道に対し、野田正彰(精神医学者)が指摘しました。
「その道路を混ませている原因をそのレポータの車がつくり出していることに、
なんと無自覚か。
道路を混ませているのは マスコミ自身でもあるではないか!」
☆ ★
さて、もちろん異なる文脈でこの野田正彰の指摘を批判することも可能なのですが、でもこの鋭い指摘、「無自覚」への指摘に出会ったとき、思わず手がとまりました。
無自覚の怖さ。
そのアホさ。
正しいと思いこんでいる行動、発言をしているその時にこそ、あらためて自分のその行動や発言を客観視しないといけないんだなぁ、
いやしかし、きわめて難しいよなぁ。
かすかに途方に暮れる程度の衝撃(←表現がびみょー)をこの野田正彰による批判によってボクは受けたのでした。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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中流とは、
豊かさへのあこがれ、オチコボレへの恐怖。
★ ☆
「中流という階級」バーバラ・エーレンライク著 の中に出てくる言葉。
なにも添える言葉はありません。
見事っ!
☆
ところで、中流という言葉はもう死語?
中流という意識は溶解したのでしょうか。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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インターネット、1つ買ってきてくれ。
☆
これ朝日新聞の天声人語で読んだ記憶。
1997年ころかなぁ。実はつい最近ですよね。
インターネットがようやく認知されはじめた頃、とある会社の部長が部下に
「最近、インターネットが流行っているみたいだな。ちょっと1つ買ってきてくれ」
と言ったという、その話が天声人語にのっていた。
☆ ★
文脈をすっかり忘れてしまってるので、どうとでも読めるんだけれど、この「インターネットを買ってきてくれ」という言葉を書こうと思ったときに、「あ~~、なにか新しいものといえば、モノであって、サービスがイメージされない、そういう時代だったんだなぁ」とあらためて感じました。
いやしかし、つい最近、ホント最近の事なんですよなぁ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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全力をあげてなにもしない
☆
河合隼雄の言葉。確かカウンセラーというのはなにをするのですかというような事を対談者にたずねられて、こう答えたと記憶。
河合隼雄ってまだ文化庁長官やってるんでしたっけ?もう任期おわったんでしたっけ?
★
心が弱っている人、心が傷ついている人に対してカウンセラーは、自己表出を促し、話をさせる。
カウンセラーはただ聞くに徹する。
その聞くことに徹することを、「全力をあげてなにもしない」とものすごい表現で河合隼雄が言葉にした。
★ ☆
カウンセラーの仕事をこの言葉で理解したから脳みそに転写されたのではないのです。
この矛盾に充ち満ちたその言葉の連なりのもの凄さ、に驚いた。びっくりした。
この矛盾の言葉の連なりによって、読み手としてのボクの思考が刺激される。
脳みそ総動員で、理解したくなる。
こういう意味か、あ~言う意味か、どういう意味か・・・
この言葉に出会ったとき、そんなムズムズ感があったのを覚えてます。
☆
「全力をあげてなにもしない」どころか、ボクら、全力をあげるという事、ちょっとすくなくなりましたか。全力をあげてなにかをするというその機会もすくなくなりましたもんね。
全力をあげる機会。ちょっとしんどそうだけれど、機会としてもっともっとあっても良いよな と思ったりもします。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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時代の成長産業に有能は集まる。
☆ ★
経営戦略の大先生(笑)、もしくは 網羅的偏執狂的研究者(爆) マイケル・ポーターの言葉。
競争の戦略だったか競争優位の戦略だったか、もしくは国の競争優位だったか・・・さっぱり覚えてねぇぇぇぇぇ
★
この言葉を見つけたとき、実は実感がなかった。ふ~~ん、そうなんだっていう程度だった。でもダイナミズムを良く押さえてあるなと思った。
伸び盛りの産業は、伸び盛りの魅力的な新技術、伸び盛りの魅力的な市場、次々と現われるユニークな消費者がいる。だから優秀な人たちが就職したいと願望する。
なるほどな~~と思った
★ ★
大企業ではたらいているめちゃくちゃ有能な人に出会うとついつい聴いてみたくなる質問がある。
「いつまでこの会社にいるつもり?」
もしかしたらやばい質問。覚醒しちゃうかも知れない質問(笑)。
でも聴かずにいられない。聴きたくなる。
答え。多くの有能は、「いつ辞めるかわかりませんわ」と答える。
スキアラバ ヤメテヤル。
イートコ アルナラ スグニデモ。
★
とある会社の技術者に同じように聴いた。
「いつまでこの会社にいるの?」
彼の答え、即行だった。
「どんどん新しい技術が生まれる。どんどん学ぶことが増えていく・・・、こんな面白い仕事ないですよ。辞めるなんて発想、持ったことない。辞めるという選択肢をもってる人の気が知れない」
★ ☆
なるほど!成長産業の現場には魅力的な仕事と仕事環境があるんだ。時代の成長産業にだから有能は集まるんだな。
☆ ★ ☆
【余談~オチに向かって(爆)~】
ある小さな会社のトップの言葉。
「とうとう、うちの会社にもブランド大学出身者が入ってきたか・・・うちの活力ももう終わりだな」
これも1つの現実ですよなぁ・・・・
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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自転車に乗ることが出来ちゃうと
自転車に乗れなかった理由を言えなくなる
☆ ★
これ、誰の言葉だったのか、何で読んだのか 忘れてしまった。
でも、なるほどなー と思いますよね? ねっ!
★
どうも「出来るようになる」となぜ出来なかったのかをうまく言えなくなる。自転車は象徴かもなと思います。
遠い日のことだから、既にボクなどいえないわけですが、しかしもしかしたら、今日やっと乗れた!という場合でもそのとたんに「乗れなった理由」はうまく言いあらわせないかもしれません。
★ ☆
二重ループ学習という概念があります。
○なにかを学ぶ(一重ループ)
○学ぶそのプロセスで なぜ学べているか なぜうまく学べないかを学ぶ。(学び方を学ぶという事で二重の学習ということです)
自転車になぜ乗れなかったのか、逆になぜ乗れたのかをうまく表現できるか、学び方を学べるか。
なかなか出来ないことですけど、これがうまく出来ると良いですよなぁぁ。
☆
手元に積ん読になっている「専門家の知恵」という本があります。
サブタイトルは「反省的実践家は行為しながら考える」。
20年も前に既にこういう真実をかぎわけ、体系化していた人がいる。
あん♪すごっ!
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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「教えたる!」という奴なんかに
教えたられたくないわい!
☆ ★
この言葉を言ったのは、めちゃくちゃユニークな生き方をしている友人(初登場(笑))。
★
最近「言葉」で書いていることが、やけに堅いなぁと今日未明に思っていた。
休みが終わり仕事がはじまるために、どうやら無自覚に戦闘モードに突入してたかもな と振り返っていた。
だから、と言うわけではないけれど(笑)
★ ☆ ★
「教えたられたくないわ」というこの言葉が妙に ピタッと来るのはなんだろう。
言い回しが妙な受動態になっているから というのは1つあるよなぁ。
それともう1つは、そう、あれですね。
こいつ(但し、先輩・上司など目上ですよな、この「こいつ」で指し示すのは(爆))、
こいつに対しての信頼の無さ、不信。
少なくてもこんな奴にはなりたくはないという反面教師的存在であるという時「教えたられたくない!」と思いますよな。
★
以上の2つが妙にこの言葉をイキイキとさせる原因かな。
こいつ(!)の「教えたる」というその態度の不遜さと無礼さに対して、「教えたる」というその態度がそもそも気にくわんのよねと反応したくなる。
で、「教えたる」というその不遜さをそのまま言葉として引き取って「教えたられたくない」と表現するとぴったしくる。妙に共感する言葉になる。
★ ☆
いまの気分にぴったり来る日本語をどんどん自ら発明できるといいな。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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キリスト教では「神はいつもあなたを見ています」
日本では「お釈迦様でも気がつくめぇ」
☆ ★
この絶妙な対比は 香山リカ。雑誌で見つけたと記憶。
★
見つけたときは、凄いなぁ、うまいなぁと感動もんだった。こんなにうまい対比があるわけだな~。
日本人は倫理観がなく道徳観のみだと言われる。
自分一人でもなお守るべきを守る、正しいことをしようとするかどうかが倫理観。
道徳観は逆で、社会全体から見た規範、正しさ。そこに他人の眼、世間の存在が欠かせない。
なので「お釈迦様でも気がつくめぇ」は倫理無しの象徴のようなものなわけです。
☆ ★ ☆
こっからは独断なのですが(苦笑)、日本人は宗教を持たないから倫理観が生まれないという正しそうな説よりも、やっぱり、この狭い国に山ほど人がいて、神様よりもなによりも人の眼が先に来るから、道徳観が発達しちゃったんぢゃないかと思ってる。
物理的空間はやはり影響おおきいんじゃないっしょか?
☆
日本人の倫理観なし道徳観ありの象徴の言葉としてもう1つ、「旅の恥はかきすて」をあげていたのは、援交・買売春を扱っていた頃の宮台真司だったなとふと思い出した。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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渋谷(著者)は、自己実現というイデオロギーによって、新自由主義的な「選択する主体」と共同体主義的な「モラルの主体」とが接合され、ポスト福祉国家に都合のよい「市民」像が規格化されているとも指摘する。
強いられた自発性、用役としての愛、動員されたヴォランティア・・。
形容矛盾的現実のなかに、軋轢を、すなわち抵抗の根拠を見いだそうとする著者に「社会学者」なる肩書きはそぐわない。
★ ☆ ☆
朝日新聞の昨日、1月4日の書評欄で取り上げられた「魂の労働~ネオリベラリズムの権力論」渋谷望著についての宮崎哲弥の書評の言葉。
☆ ★
このくそややこしい言葉づかいの文をどうしても取り上げたくなったのは、「強いられた自発性」「用役としての愛」「動員されたヴォランティア」というこの言葉、この矛盾だらけの捉えにちゃんと引っかかっておきたかったから。
この捉えをボクらはちゃんと自覚しないといけないと思ったから。
★ ☆ ★
愛がないんだよ、愛が。
・・・・・・・ホラ、もう用役として使ってる。
ヴォランティアをすること!
・・・・・・・ほら、もう動員しようとしてる。
☆ ★
強いられた自発性。
これは、少し前の確かフランスの雑誌の表紙にあったデザインが見事。
その表紙は、ピストルの銃口がこちら、つまり読み手(自分)に向いている。
そして、次のような言葉が添えてある。
自由に振る舞え!
★ ★ ★
なぜか、こんな矛盾をボクらは言えたり、させようとしたり、しちゃってる。こんなアホなバカげたことを無自覚に、しでかしてしまうようになったのはなぜなんだろう。
いや、原因究明よりもなによりも、自分がこれらの「形容矛盾的現実」にいることを自覚し、オバカな鈍感な脳みそを装備しちゃってることを、ちゃんとしっかり脅えたいと思う。
☆
今日急いで、でっかい本屋に行って買ってきた。
平台に並んでた♪
これ、自分だ!! と思う方、おおくいらっしゃるに違いない。
かくいうボクも、「こんなところにボクが!」と思いました(*^_^*) <ジコチュウ♪
[ 月の風にっき ]こたつの上に原稿用紙を一枚。HBの鉛筆が多数。彼の頭の中には、旧正月のことしか、否、現実1月いっぱいが締切と…。とはいえ、やっていることは、鉛筆をナイフで削ることばかり。それに、原稿用紙に書き付ける言葉も仕事というわけではない。あくまで、自分の感覚を確かめる儀式みたいなものだ。
いきづまった彼はパソコンを起動して、いつもながめているだけのblogのページを。そして、最近始めたばかりの自分のblogについて思い巡らせ。そして、一番感じていることを、もっとも短い言葉でいい表わそうと。blogは、ただの情報だけでしかないかもしれない。現実に役立たないことかもしれないけど、今まで知らないことを知ることができる。知ることが、生きること。で、思考に飛躍がおきて。blogという造語が、夢になった。
熱くいれたはずの紅茶は、ほとんど口をつけられずに、すっかり冷たくなっていた。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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人の感性は鵜呑みにしない事にしてるんだ。
自分の感性だって信用しちゃいけないことが多いからね。
☆ ★
「遠近法は体感できるんだよ」と教えてくれた大親友の言葉。2つめ。
左脳は間抜け。
論理的に考えたいばかりに、ある一側面からしか見ない傾向がある。
他方で右脳も信用ならないね とこの言葉になる(笑)
「えっとぉ、自分の感性はどうだったっけ」と引き寄せたとたん、
「そういやぁ信用ならんわな」と思い当たる(T.T)
★ ☆
本屋の平台を見ると、「論理的・合理的に考える方法」系統の本が並ぶその隣に「直感をいかせ」「センスを磨け」というコンセプトの本が並んでいる。
笑えます。
ボクがもし、本屋さんで仕事をしていたら、本をならべながら身もだえしちゃいそう。
「どうすりゃいいの?」
☆ ★ ☆
話がズレタ。。。。
「リクルート」というアルパチーノとコリンファレルの映画が封切られる。
そのキャッチコピーがステキ♪
信じるな---自分の五感でさえも。
1月17日封切りだそうです。楽しみ楽しみ。
☆
あら?この記事中途半端? オチは~~~~~って? なしっ!
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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(この言葉は自戒を込めて)
「初心者なので教えてください」という物言いは、
「初心者なので、調べる努力をしません」という傲慢な宣言か?
★
ある掲示板で見つけた言葉。
ちょっと痛かった。
他方でちょっと共感した。
★ ★
いまもblogで、教えてもらっている人がいる。
師匠筋と右サイドバーにリンクしている方々には、特にお世話になってる。
まったく無礼にも、掲示板で「初心者なので」の言葉に出会ったときの痛みを忘れ(忘れたふりをして)、自ら調べる努力を怠り、自ら試行錯誤する努力を怠り、「ねーねー教えて」とやっていることも多々ある。
善意に甘え、時間奪ってますよなぁ。
ごめん。ごめんなさい。
でもまた、やるんだろうな。未来に向かってごめんなさい(←反省になってない(T.T))
☆ ☆ ☆
その掲示板での後日談。
掲示板の管理者からのコメントがついた
「いーじゃないですか。ボクらも昔そうだった。どこがわからないかわからないときがあるじゃないですか」
☆ ★
わからない事をわかりたいという動機が形成される第一歩は、「なにがわからないことがわかること」だな、とふと思った。
いやそれよりも何よりも、まず思ったのは
「この掲示板が長く長く続いているのは、この管理者の人徳だわ」。
☆
ネットでの会話、なぜだか普段よりもキレることがやっぱり多いのだけれど、心落ち着かせ対処しようと思う。
↓こういうふうにすぐにやってくれる友人がうれしー♪
●なお、遠近法のもと記事はここ♪
↑写真、のっけてくれてます♪
よくもまぁこいういう道が近くにありましたねぇ。
[ こすもす ]今日でかけた先で見掛けた遠近法の道。 下り坂だったんだけど「道路は上がるように」だった。
加えて、上記のトラバ先にあるCosさんの写真で両横の樹のてっぺんを見ると、どんどん下に鮮やかに下がっていっている。
右の樹は左の方に、左の樹は右の方に、どんどん中心に吸い寄せられる。
遠近法の教科書のような写真だわ。
☆ ★
1つだけ補足。
写真でみたら、「こういう写真見たことあるよ」と思う方が多数だろう。
どうしても身体で感じて欲しい。全然違う。
凄いですよ。身体で感じる遠近法♪。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
----------------------------------------------------
ブランドとは
「選択の手がかり、信頼の根拠」
☆
以前も参照した、水口健次のことば。
これほどまでに適切に「ブランド」を定義した言葉を見たことがない。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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Est! Est! Est!
ここだ ここだ ここにある!
☆
今日届いた年賀状。親しくしてもらっている友人の賀状のそのまんまです。
彼はクリエイターなので、ここに書くと 怒るだろうなぁ。
といいつつ、賀状をそのまんま打ち込みますね
☆ ★
旅支度をしている、ある酒飲みの貴族。
先に従者をやり、道中のうまいワインを飲ませる店の扉に、
「Est!(ここにある。)」と記しておけ、
特にうまい場合は、「Est!Est!」と書け と命じた
と、ローマの近く、モンテフィアスコーネ村の地酒があまりに美味で、
従者は思わず、
「エスト!エスト!エスト!」(ここだ!ここだ!ここにある!)と
叫び喜んだというイタリアの逸話がある。
すぐれた作品には、そう巡り会えるものではないらしい。
★ ☆ ★
これを読んでいていくつかの「言葉」を思い出した。
人は発見されるものである
というのも1つ。
人は人によって見いだされるのだ、自ずと見いだされるのです。
というとても良い言葉だな と思いました。
他にもいくつか思い出したがまたいずれ。
★ ☆
というわけで、左サイドバーに「Est!」を入れました♪
傲慢?(笑)
ちょっと気に入っちゃったんだ という印なだけで傲慢なんだなと気づいたのはあとのことなので許せ(苦笑)
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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☆ちょっと修正しました。picoさん、Cosさん、ありがとうございました。
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外に出て、まっすぐな道があればそこをまず見る。
絵を鑑賞するように、見る。
そうすると、道路はどんどん上にあがるように
電柱やビルのてっぺんは、どんどん下に下がるように
左にあるものはどんどん右の方向に、
右にあるものはどんどん左の方向に。
そう、中心中心に向かっていくように、
ほら、見えるんだよ。
★
親しくしてもらっている、学校の美術の先生に教えてもらった「遠近法を身体で体感する」方法。
多くの方は4日までお休みで、外出の機会がありますよね。
なので、是非是非体験してください。
道路がどんどん上に上がっているのが見えます
☆ ★
メールでその友人先生に「知らないの?遠近法」と言われ
「いや、遠近法は知ってますけど、そんな見方なんか全然しらない」とメールで書いた。
★ ☆ ☆
メールを送信して、外に出て、家のそばを通る、道路、
山に向かっている道路を見て、驚いた。
いや、本当に驚いた。
遠近法って体験できるのか。
自分の視覚のすごさにも驚いた。こういうようにも見えるのか、ボクの眼。ふわぁスゲェ~。
☆ ★
今回のは厳密には「言葉」ではありませんが
言葉で感じることと同じほど、
「遠近法を体験する」この方法は感動します。
正月だから、お休みだから、是非おためしください♪
最後、3つめです。
[ あそびをせんとやうまれけむ ]今年はどんな年だろう・・・というワクワク。
今年はどんな年にしよう・・・という希望。
一年の計は元旦にあり、というが、春夏秋冬・12ヶ月・366日の一瞬たりとも途切れずに続くいく「今」が、今年一年を作り上げる。
★ ☆
今日はパソコンを立ち上げるのが遅く、気づいたらこのTigerさんの記事には、もう7つもトラバがついてる♪みなさん感じたんだな♪と。
で、引用した部分が特に好きでした。ちゃんとしようと思った。背筋のばそ と思った。
☆
元旦にこころを動かされた記事の2つめです。
[ 月の風にっき ]
夢生きる
☆ ★
見たとき(読んだときではなく、ですね) うわっ! と思うこの4文字。
力もらいました。
これ、頭で考えはじめるとダメで、できれば脳みそとおさず、視覚だけで、ナマの鑑賞力だけ~自分の眼力とこころの力~を信じて、ただ味わう。
そういう4文字。
と思いました。
力もらいました。 <2回書きたくなるほど♪
こころを動かされた記事の1つめです。
[ Chu-Chi-Ma-Yu: 一番好きな日に。 ] 海の深さを胸に、 空の広さを全身で、
地で共に 感じていたい。
2004 元旦。
★ ☆
自分の心身全部が、すべてに、全体に、つながってるんだなぁ。
あけましておめでとうございます
言葉をためているボクとしては、はじめての書き込みは どーすっかなぁとやはり悩みました。
で、他の人の記事を読んでると すっごぉいというのがあったのでそれをここに引用するのが良いな、蓄えるのが良いなと♪
心を動かされたのは3つ♪
正月からいい記事、いい挨拶読ませてもらったなぁと思ったのが3つ。
3つにトラバさせてもらいつつ、ここに蓄えます。
今年もがんばろ♪と思いました。
■
複数のTBって無理だろうと勝手に決めているので以下次々と3つ いきます。
(以下、未来へリンク(わはは、大げさ)はっときます。
記事続いてみていただくのと同じ(笑))
★1つめ
http://ono.cocolog-nifty.com/test/2004/01/post_1.html
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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魂とは「自分でコントロールできないもの」
☆ ★
臨床の友人に「魂ってなに?」とたずねたときの言葉。一瞬、なにを言われたのかわからず、ゆっくり広がるように「そか!そか!」とわかった言葉だった。
★
この記事をアップすることになったのは共振がありました。
おはるさんが魂というタイトルの記事を書いたことが1つ。あーおはるさん、魂で魂を書いてるわと思った。
2つめ。
昨日の昼から、賀状をつくるにあたって、昨年、1昨年の文面を見ていたのですが、21世紀一発目の賀状、2001年賀正!の賀状の書き出しをこれ↓にしていたのでした。
「魂ってなに?」。一昨年臨床系の友人に尋ねたら慎重に「自分でコントロールできないもの」と定義をくれた。 昨年はまさかこの人がと思う人まで行動する人として軽快に動きはじめる例に出会いましたが、本人でさえコントロールできない魂の活動によってだったように思います。
で、まぁ共振というかおはるさんに呼ばれたというか(^_^;)、書けということなんだろうなと思って記事アップ。
★ ☆
無理するのではなく、さぼるのではなく、なぜかわからないけれど熱中して取り組んでる・・・・
自分とはなにか等と考えている間はその存在を知ることは出来ず、自分はこんな仕事、こんな勉強よりも、もっとなにか才能があるのではないかと現状から逃避しようとしているときにも知ることはできず、導かれるようにそれをしている、してしまっている。
その源泉、それをそうせしめているのが魂なんだな。
と「魂ってなに?」と聞いたあの時、そんな風に「コントロールできないもの」という答えを味わっていて思ったのだった。
で、おはるさんの記事「魂」の最後が↓
[ 異空間==お花畑 ]おい魂よ。お前最近さぼってねぇか?
こう締る。凄いねどうも。
「責任」を組織と背負う個人との間で葛藤させる。♪えとせとさんの記事。
いい記事かきますねー、いつも。タイトル「責任感の加減」もすごっ。
♪えとせとさんの記事、客観と主観のバランスが凄いんですよなぁ~と主観で思う。
これ、「言葉」を蓄積している心と体に蓄えておこっと。
[ ♪えとせと: ■責任感の加減 ]「責任感は自分の能力を止めてしまう。
責任感のようなくだらないことにこだわって、自分の可能性の芽をつんでしまってはもったいない」
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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いえ、私は皮膚という服を着てますから。
☆ ★
数年前、ヌード写真集を出した 女優&タレント&モデルの杉本彩の言葉。
ヌードにはなりませんと言っていたのになぜ?との質問に対しての答えだった記憶があるんだけれど、うろ覚え。
この言葉を聞いたとき、唸ってしまった。
★
ちょうど、心身分離的な思考が問題視されはじめていたこともあったし、私とはなにかという問も発せられるようになっていた頃だったと思う
<いや、私とはなにか はずっとずっと問われているわけで、
ボク自身がこの問「私とは何か」に引き寄せられていただけ、
目につき始めただけだったというのが正しいんだろう
★ ☆
皮膚という服を着ているのですべてをさらけ出したのではないという捉え、認識は、
「私はこの物理的な身体ではない」「私とはこの考えているワタシ、写真集を出すのに写真を撮られていることを客観視しているこのワタシ、モデルとしてモデルの役割をいまワタシはしているのですと認識しているところのワタシ」
そう杉本彩はワタシを捉えているんだなと思った。
デカルトちゃんぢゃ~~~ん。
☆ ★ ☆
その後あまり見なくなりましたかね。ナンチャンとペアで踊っていたりしましたが、その後も踊ってられるんでしょうか。TVでの露出はすくなくなったような・・・(いやボクがあまりテレビを見なくなったからか・・・)
こういうユニークな考えをしている女優、タレントはやっぱり気になります。芸能界向きではないんだろうなとは思いますけれど。
★ ☆ ★
杉本彩的な捉えをすると、やっぱりこのblogを書いているこのワタシはむき出しってことになりますなぁ。服を着てるんだけれど素っ裸。
・・・・あっ恥ずかしくなってきた。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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お母さんと子どもの年齢(とし)は一緒。
★ ☆
この言葉、1年前くらいかなぁ、もう少し手前かしらん。テレビCMで流れてましたよね。なんのCMだったっけ。
ボクは少し前なにかで読んで、「そっかぁ」と感動した。
お母さんと子どもの年齢は一緒。
うん、確かに。子どもが出来たからお母さんになったんだよなぁ。
凄い言葉だな、誰が考えたんだろう。お母さんかな、おばあちゃんかなとこの言葉に出会ったときに思った。
☆ ★ ☆
本当かウソか知らないのですが、ヨーロッパでは子育ては地域の仕事だそうですね。子育ては大変なのでお母さんがひとりで抱え込むのは無理。
一方で、日本は明治時代に富国強兵、生めよ増やせよで母親を家庭に閉じこめ、子育てに専念させるような政策をとった。子育てという大変な仕事をお母さんに任せきりにした。
お父さんは七人の敵と戦うべく会社へ。(どこにいるの?七人の敵(笑))
ん?この文脈で「お母さんと子どもの歳は一緒」という言葉を読むと、日本の母親の大変さをナデナデしてガス抜きする言葉だったのかも、と妙な事を考えはじめてしまった。
いや良い言葉だと思って書いたのです。良い言葉だと思っていますのです(ちょっと焦ってきた・・・)
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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数字と用事
★ ☆
この言葉は尊敬するマーケティングの重鎮の水口健次の言葉。(リンクした本はお薦めの本で、この言葉の記述があるのではありません。念のため)
だから今回の言葉は「ビジネス」用。色気はありません(ニガワライ)
☆
ビジネスをしている人たち、用事ばっかりしていて数字を気にしてないのではないか?数字と関係ない用事ばっかりしてはいないか、といまから20年くらい前に 「数字と用事」という韻を踏んだ水口健次らしい表現で警報を鳴らした。
韻を踏んだこの言葉の連なりの妙ななめらかさと水口健次らしからぬ「数字」を前面に押し出したその事の違和感、なめらかさとひっかかりが印象に残っている。
☆ ★
早期退職やリストラ後、人数が少なくなり業務量が増え、キツイ状態の方々もいると思う。ボーッと用事などしているヒマはどないわいと反感を買うかもしれない。
でも、それ「用事」じゃないのか。ちょっと点検した方が良くないか。
★ ☆ ★
高橋伸夫が、有能な社員の見分け方をインタビューの上書いている。
部下に絶対出来ない分量の仕事を与え、ちゃんと優先順位をつけて仕事をするかどうか。これが一番判断しやすいとそのインタビュイーは答えている。
ヤナ上司(笑)
でも確かにそうかもなぁと思う。用事も数字~お客の要望に応える仕事~も判断できないって事になると、上司は上司で部下育成に思い悩むだろう。
部下は上司を選べない。でも上司も部下を選べない。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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まだ若い。年とったらわかるようになるよ。
あんたに、女の気持ちがわかんないのよ。
☆
これ、言われたら終わっちゃう。コミュニケーションが終わっちゃう。言われた方は、手も足も出ない。
それほどまでに、わかりあえてなかったこと、相手がこの言葉を言うほどに、わかってないことはわかった。わかりました。少なくとも、わかってないことはわかったから、なんとかわかるように、もう少しだけ会話・・を・・・・。
★ ☆ ★
言われましたよねぇ こういう言葉(トオイメ)
言う側の気持ちも良くわかるし、自分も過去言ってたかもしれない。いやきっと言ったよな~~~。
でもこれで、断絶。決裂。未来に向けて扉が開かない。関係が時間がここで止まる。
だから「それをいっちゃぁお終いでしょう~」って事なわけです。
この断絶宣言、決裂宣言、少なくともこちらからは言わないように言わないように気をつけなくちゃな。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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表出と表現。
★ ☆
「表出と表現」については以前記述をしたんだけれど、先に今日アップした宙地間遊というblogを読んでいて、つぶやきや日記という「表出」と明かに異なる「表現」を読んでいて、あらためて蓄積にしておかなきゃと思ったので再放送(苦笑)です。
☆
表出とは、発言によって、自分が気持ちよくなること、無責任なおしゃべりを言う。他方で、発言によって他者に影響を行使し、他者を動かすほどになることを「表現」と言う
この整理、この切り分けが一般的なのかは知らない。宮台真司がざっくりとこう整理していて、なるほどなーと思った直後、なだいなだ(だっけなぁ(うろ覚え))が新聞のコラムかなんかで書いていた事で強化された。
確か、なだいなだは、インターネットによるWebの日記やメールや文章のやりとりが増えた事について「自分が書いていることそれのみで良しとしている間は良いのだけれど、みんなに読んでもらいたいと思ったとき、その壁の厚さをどう克服するのだろう」というような事を書いていた・・気がする・・・ミスリード多いので違うかも(^_^;)
で明らかに、宙地間遊というblogの書き連ねは「表現」で埋まっていて、わわわわわ と感じた。凄い。
★ ☆
ちょっとした補足。
この記事において表出と表現が「悪と善」という価値観によって構成されていると自覚しているので補足。
表出は悪ではありません。表出はとても大事。
くじけているとき、心が弱っているとき人は表出によって立ち直っていきますよね。
カウンセリングってのは、その実践。現場。
なだいなだ的文脈をあらためて裏返して整理しなおすと
「表出」によって自己信頼を高め、自立しようと覚醒し「表現」にまで向かえ!
てな事になると思います。はい。
「言葉」とはなにかについて考えず、ただ凄いっ!と思った言葉をblogで蓄積しているボクですが、言葉をことばにした深くしっとりとした文章に出会いました↓
[ Chu-Chi-Ma-Yu: 身近にありすぎるもの。 ]文化的背景や、 時代をこえても 著者の訴えたいものが伝わり、
気持ちを動かし、 涙までさそう様々な書物たち。
コメント欄も、なんども読み直しましたが、ボクには見えてないモノが見えている方だわと直感しました。
凄い「表現」だ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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☆2003.12.28 文章気に入らなかったのでちょっとだけ改訂。
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誰か私の背中を押して!
☆ ★
これ価格.COMで、DVDレコーダーを買おうかなと思っていた半年くらい前に見つけた掲示板での言葉。
この人、ほぼあるDVDレコーダーを決めているんだけれど決定打がなく決められない。あっちのこの機能がこちらにはない、でも全体的にはこっちがいい・・・と悩ましい状態が価格.COMの掲示板で展開されていて、この言葉を(笑)
誰か私の背中を押して~~~っ!
★ ☆ ★
ボクらは選択肢がないと不満だ。えっ、これしかないの?
でも選択肢が増えすぎると、どれにしようかなと悩みはじめる。自分では決められない。あらためて売り手の誘導に従う。「お客様にはこれがお似合いです」「あらん、そう♪、んじゃこれいただく」
なんてーザマでしょ(笑)
この数年、「自立」「自律」とかなんとか言われまくっているし、したり顔で権力側であることを良いことに「若い奴は自立しろ」と言ってるおっちゃんも多いだろう。でも自分で決められることって少ししかない。
もしそうなら、それを自覚するなら、「背中を押して~~」と掲示板で言わなくてもすむように、腹からの関係をいくつも持ちたいものだと思いますです。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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小耳力がなくなっている
☆ ★
小耳に挟むという言葉があります。辞書を引くと「ちょっと聞く。聞くともなしに聞く。ふと耳にする。」。
小耳力は転じて、周りを察する力、あわく関わる力。
田口ランディが2年ほど前のパネルディスカッションで「小耳力」という言葉を持ち出し(勝手につくって(笑))、次のような話をしていました。
★ ★ ★
神戸震災のボランティアをやっていた時に、救援物資を配布する仕事を手伝っていた。
電話がなり、それとなく聞いていると毛布が欲しいんだな とわかるんだけれど、でも毛布を持っている人が、それを聞いてない。小耳にはさむということがない。小耳にはさめない。小耳力がなくなっている。
他者と「やんわり関わる力」「あわーく関わる力」「他者への思いやり」、これらがなくなっている。
★ ☆
田口ランディは続けて「小耳力が弱まったのは音が大きいからじゃない? だから、耳を閉じちゃったんだわ。」と解釈していました。
「音が大きい」というのは、喩え・メタファーだな とボクは思いました。
あれはいけないこれはいけない という評価も「大きい音」。大量の情報も「大きい音」。
まわりや時代のせいに加えて、ボクら自身が少し弱くなっていて、これまでだとフツーの会話なのに他者と交わることが少し苦手になった分、フツーの言葉を強烈な批判として受け止めてしまう。「大きい音」に聞こえちゃう。
「この結論、ダメなんじゃない?」とレポートを評価しているのに、全人格を傷つけられたかのように落ち込む人も想像以上に多くいるようです。
どうも、ボクらの「小耳」は更に閉じる傾向にあるよう。
意識してアンテナたててセンサー磨いて「他者とあわーく関わること」「他者を思いやること」しないとなぁ~~。カスカスの社会になっちゃうなぁ。
★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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「やさしく冷たい会社」と「厳しく暖かい会社」
★ ☆
カルロスゴーンが日産に来る前だったか、日産に来て改革をはじめた初期だったか、日産の仕入先が、「日産はやさしく冷たい会社、トヨタは厳しく暖かい会社」と新聞の取材で語っていたのを読んだ。
すごい「言葉」だな、すごい分析だな、すごい表現だな と思った。
とてもやさしいんだけれど、あっさり切っちゃう。そんな会社、そんな先輩や上司がいますよね。
とても厳しいけれど暖かく、困りはて悩んでいるとき、言わずとも手を差し伸べてくれる、声をかけてくれる、そんな先輩や上司、会社が他方であります。
他者を思いやることとやさしいこと厳しいことは全然違う次元の話。
愛があるから厳しい人、回顧主義っぽいけれど昔はたくさんいらっしゃった気がします。
いまの時代、ちょっと「やさしくて冷たい」って感じませんか?
わかれ!も「厳しいけれど暖かい」と同じ地平にある言葉と思います。
ボク自身、相手をおもんばかってキツイことを言えず、それが結果として冷たかったのではないかと猛省することもあります。
「厳しいけれど暖かい」。そんな態度で人に接したいとあらためて背筋を伸ばしながら思います。
●カテゴリーを移動させた「言葉」のシリーズです
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わかれ!
☆ ★
わかるとはどういう事なんだろう、わかる人とわからない人がいるのはなぜなんだろう。わかった!と膝を手で打った時、それはなにがわかったんだろう、そんな事を考えていたときがありました。(実はいまも ですが)
そんな時、わかると言う動詞の活用形(未然形、連用形、終止形、連体形、仮定形、命令形 ←覚えてます?ボク覚えてなくて、Googleで調べましたとさ(T.T))の中で、命令形の「わかれ」は命令形という活用としては存在しても、わからない人にわかれと言っても意味がないだろう?だから日本語としては存在しないのだという文章に出会いました。
そっか、わかるというのはその人の主観世界、認識の問題なのだから、他者としては待つしかないんだな、寄り添うしかないんだな と思いました。
ところが、ごく親しいある人が(名前伏せますね(苦笑))、「わかれ!」と言う時あるよ、と。その時の会話を忘れてしまったんだけれど、その時は、それって傲慢じゃんと思った。思ったのですね。
その後ずっとあと、時間がたってからの事ですが、その人の掲示板を訪問したときに、ある人に「わかれ!」と書いているのを発見しました。
あら!本当に使ってる。。。。。。。。
どうもボクらは人に、他者に、愛ある厳しい迫り方をしなくなったのかもしれない。「わかるまで待とう」とばかりに、実は冷たく他者をほったらかしにしているのかもしれません。
わかれ!と迫って、相手に、他者に、ちゃんと考えろ!と迫ってあげることをもっとやる必要があるんだなぁ と「わかれ!」という命令形が現実に意味を持って存在するのを知って思いました。
●カテゴリーを移動させた「言葉」のシリーズです
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役に立たないから、
消費者ってお金を払い続けるんだよ
★ ☆
今日、会っていた女性マッケターのニコニコしながらの発言。
彼女曰く「これって、全然役に立たない。役に立たないけれど、おもしろいとかかわいーとか、そう感じるから買い続けるんだよ。ねっ!」
言われてみれば、役に立つかどうかという基準は、不足の時代、欠乏の時代の価値観。
更に、次の時代、つまり充足の時代になっても、まだ身だしなみを洗練させ、更に見栄のための消費、流行を追う消費は続くわけで、社会的生存競争(笑)~虚栄の消費~という意味での「役に立つ」という価値観は生きてた。
でも、充足の時代さえ通過してしまうと、「趣味」や「社交」など美的生活のための消費は、「役に立つ」は価値基準たり得ない。
ココログのいったいどこが「役に立つ」のか(わはは)
(役に立つよ と思ってる方いらっしゃると思いますが、あえて予言しておきますけど、役に立つと思ってるといずれ飽きます・・・・きっと・・・・いや、予言だから、シャキッと言わないといけないな・・・ 貴様は飽きる! <これでいーかなー。コレコレ
ややこしい書き方になってるなー
要は、「役に立つ」はいずれ「役に立たなくなる」から継続しない、あっという間に消費されちゃうんだよね。
話がとびますが(びゅ~ん)、役に立つという言葉をボクの周辺で以前から嫌悪してたのは、エドさんだった。
「勉強を役に立つとかそんな事言ってるからつまんないんだよ。勉強を役に立つか立たないかという基準で語ることが、もう既に違ってる。」そう言ってたなぁ <勝手に名前出してゴメンなさい
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★言葉シリーズは、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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●カテゴリーを移動させた「言葉」のシリーズです
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4畳半で、こんな人とつきあいたい、あんな人と結婚したい と
あれこれと考えていて つきあえるのか?
グダグダ言わずに、外に出て、引っかけろ。
☆ ★
これ、数年前のテレビでの(ラジオだったかも)、ビートたけしのお言葉。
いやまぁ、見事ですねぇ。
この言葉、覚えておこうと思ったのではなく、完全に転写(笑)、おくぅの方に焼き付いてしまったのです。
ボクは、どうもお笑いの言葉に身体が反応するようでいけません。
えとちなみに、「目標を持てのウソ」の周縁にありますね。この記事のせいで、おくぅから出てきました(苦笑)
★☆★少し動くと世界が変わるに「-1」と付番したのは、この地平の言葉がたくさんボクの中にあるので、序々に思い出して(思い出せ!ワタシ!!)書いていこうと思います。(タイトルチンケだけれど時間がない・・・)
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★言葉シリーズは、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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正直な人は電子回路の設計を任せられるんだけれど
嘘つきはメカ、機械の設計しか任せられないんだよね。
★ ☆
昨日忘年会である企業の技術者と話をしていたときの言葉。電子回路は見えないので、正直なまじめな人にまかせないとあぶない、メカは動きが見えるので、少々弱い人でも任せられる という話だった。
「誰も見てないことが保証されている中で、あなたは100万円拾いました。さてあなたはそれを正直に届けますか?」、というのはなにの本でよんだったのだか。読んだ本では100万円ではなく、指輪だったけれど。
ボクらはとても弱い存在で、まわりの眼を意識してやっと正直にまじめに振る舞ってるだけ。誰も見てないとの確証があれば、なにをしでかすかわかったもんじゃない。
他方、強い倫理観の持ち主で、誰も見てないとわかっていてもまじめに正直に取り組むことができる人もいる。
そんな概念がまさか身近な「電子設計と機械設計」という対比で語られるとは(笑)。忘年会で更に悪酔いしますな
仕事とは
生きてるうちの 暇つぶし
この言葉、実は良く味わうとめちゃくちゃ深い。
暇つぶしになるような、つまり時間を忘れてしまうほどのものが仕事。
「あなたにとって時間を忘れるほど熱中できることはなんですか?」という問いは、キャリア開発のキラークエスチョンだと思っているんだけれど、「あなたは仕事で暇つぶしがちゃんとできますか」って問われると、口ごもっちゃうか。
ちなみにこの御言葉は、関西では大人気(笑)のお笑いの「村上ショージ」が、とあるテレビ番組で言った言葉。お笑い番組だったのに、考え込んでしまったぢゃないか( <アホ)
良いことをするべきなのは
3才の子どもでも知っているが、
良いことをするのは
80才の高僧でも難しい。
<誰の言葉だったか忘れたけれど、
世界をつかんでいる言葉だ と思った
良きことをしなさい という連中をボクはあまり信じてない(笑)
いのちに接する ためには次3つが必要。
●向き合う
●寄りそう
●聞ききる
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☆カテゴリーの「言葉」では
なにか 「うっ」「ぐっ」と思う言葉に出会ったときに
備忘録代わりに
記述していこうと思います
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相手を知る力を持っていること を 知性という
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☆カテゴリーの「言葉」では
なにか 「うっ」「ぐっ」と思う言葉に出会ったときに
備忘録代わりに
記述していこうと思います
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