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2004.05.11

復活せよ!イラク人質の高遠菜穂子

★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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 みんないい家の子だし、神秘主義に傾倒もしていたわけで、
 俗人は陰口を叩いていたに違いない。

  「資産家の令嬢(令息)はご立派ですこと。」

 人類愛の人はそうなんだって。
 
☆  ★  ★

アエラ 04年5月17日号。(いま売ってるやつでぇす)
斉藤美奈子の言葉。

取り上げた言葉の前後は次のようになってる↓

こういう人(高遠菜穂子のこと)は昔からいるし、いてくれないと困るのよ。
自分探しはパリへの語学留学って女ばかりじゃ、逆に先が思いやられる。

ナイチンゲールもマザーテレサも赤十字の父デュナンも密林の聖者シュバイツァーも、若くて血気盛んだった頃は周囲をはらはらさせる存在だったはずなのだ。

みんないい家の子だし、神秘主義に傾倒もしていたわけで、俗人は陰口を叩いたに違いない。
「資産家の令嬢(令息)はご立派ですこと。」

人類愛の人はそうなんだって。

それに比べたら、どこぞの国の自己責任論など、ケツの穴が小さすぎてちゃんちゃらおかしいくらいのものだ。
高遠さんも、こんなことでつぶされて欲しくない。

★  ☆  ☆

イラク人質と自己責任論について書いてある月刊の評論誌が出はじめている。
もうブログやネットで言い尽くされてることの繰り返しでどれも新鮮みがない。(もち、全部読んだわけぢゃないのだす<5月11日現在)
もう、ホント、あきた。。。

が、この斉藤美奈子の「人類愛の人の多くは資産家の子なのだ」という言葉は面白かった。

そうだよね。
資産家でなきゃぁ、一般小市民にこんなことをやる時間的経済的余裕などあるわけがない。

税金をたっぷり払い国民年金やら厚生年金やらも真面目に払い(かどうかは知らないが)、おまけに「カルカッタのマザーテレサの開いた施設」「西インドの大地震被災地」「タイのエイズホスピス」「カンボジアの孤児の家」「イラク・・・」。
とんでもない国際貢献ですよな。

復活せよ!高遠菜穂子

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Comments

イラクでならず者たちに誘拐された邦人3人が解放された時の映像をみて、私は高遠菜穂子さんの顔をどこかで見たような気がした。どこか野暮ったく、小太りで、内向的で、伺うような視線で人を見る。そうだ、あの顔は「猫おばさん」の顔ではないか。


 猫おばさん どこの町にもいるだろう。野良猫たちにエサをあげている猫ボランティアの中年女性だ。月刊誌「猫の手帖」には平成猫バカ列伝という実質猫おばさん紹介ページがあり、猫のために猫専用家を築てただ、数十キロ離れた某大学構内にカートン買いした猫缶をストックし毎日エサやりに来るだ、猫30匹飼って離婚しただ・・・尋常ならざるあまりの猫バカぶりに感動すら覚えるのだが、猫の手帖を2年も定期購読していると、おのずと猫おばさんには独特の顔があることに気付く。実際、家の近所や会社の近くで見かける猫おばさんも、不思議なことにまったく同じような顔つきなのだ。


 人を風貌で決めつけるのはよくないけど、高遠菜穂子=猫おばさん と頭に浮かんだとたん、常人にはどうにも理解しがたい彼女の使命感やイラクへの情熱行動が理解できたような気がする。彼女はイラクの可哀想な野良猫ならぬ野良子供をほおっておけない人なんだな。


 しかし、イラク・バグダッドのストリートチルドレンは本当に彼女が必要なのだろうか? 私は必要ないと敢えて言う。そもそも、あれは子供(チャイルド)ではないのだから。ストリートチルドレンの顔をよく見てもらいたい。なぜ戦後上野地下道にいたような5,6歳の浮浪児がいないのか? みな中高生くらいの風貌なのはなぜか。


 イスラム教社会は孤児への援助が手厚い。内戦中のアフガンであろうと、最貧国バングラディシュであろうと、イスラム社会は孤児院を維持し続けた。何故ならイスラム教の預言者マホメットは生まれる前に父を亡くし、6歳にて母も亡くした孤児だからだ。コーランは孤児に深い配慮を示している。


主は,あなたを見捨てられず,憎まれた訳でもない
本当に来世(将来)は,あなたにとって現世(現在)より,もっと良いのである
やがて主はあなたの満足するものを御授けになる
かれは孤児のあなたを見付けられ,庇護なされたではないか
かれはさ迷っていたあなたを見付けて,導きを与え
また貧しいあなたを見付けて,裕福になされたではないか
だから孤児を虐げてはならない
(コーラン 第93章より)


 イスラム社会において孤児の問題が殆どないのは宗教の影響が大きい。そしてイスラム社会で子供は15歳で大人と見なされ、孤児院を出る。高遠菜穂子さんがしていたことは、この15歳以上の子供たちの世話なのである。はっきりいうが、彼女の活動はガキ共には受け入れられて当然だろうが、周囲のイラク人たちにとっては奇異に映ったことだろう。その証拠に今回の事件、イラク国内の彼女の協力者は誰1人名乗り挙げず、取材も出来ず、ましてや解放を訴えかけることもなかった。彼女は子供社会はともかく地域社会に受け入れられていない。1人NGOなんだな。そういえば猫オバサンも地域社会とはトラブル続きだ。高遠菜穂子は猫おばさんなのである。


 そして、バグダッドには欧米のNGOがストリートチルドレン救済に既に来ており、アパートを借り上げ住ませている。さらにマザーテレサ関連団体の施設もある。高遠菜穂子さんは以前マザーテレサの所でボランティアをしていたというが、なぜ彼らと連携して援助活動をしないのだろうか。


 それは猫おばさんも同じなのである。猫おばさんはあまり連帯をしない。自分がいかに猫たちに愛情を注いでいるかに自惚れ、他の猫おばさんのやり方を非難する。どこか傲慢な人が多いのだ。まぁ猫好きなんてのは対人関係難で人格障害の巣窟であり、社会性に欠けた駄目人間の必須アイテムであり、という自分も猫大好きなんだけど(笑 まぁ分かりやすくいえば「手前勝手」な奴等が多すぎるのだ。


 高遠菜穂子の唱える憐憫や同情、愛情を東洋思想で表現すれば「仁(仁愛)」に値するであろう。可哀想な人を見てなにか手助けをしたいという心=仁愛は、とても美しい人間の徳である。時に反論を許さぬほど美しい高貴な感情だ。
 仁を唱えた孔子・孟子は五徳(仁義礼智信)の筆頭に仁をあげ、王たる者の最も必要な条件として「仁」をあげている。理想は仁政である。


 仁はやさしく、例えれば母の心だ。でも、仁愛を唱えたやさしい人々が愛に溺れてニッチもサッチもいかなくなっている事例はことかかない。中国へのODAのように野蛮にタカられるのがオチだ。


 仁だけでは駄目なのだ。ゆえに孟子は「仁の実践には、義は欠かすことのできないもの」として「仁義」の大切さを唱えた。


 ところが「義」というものもクセモノなのである。単なる暴力団が右翼団体を名乗るように、大義を唱えて不仁をなす奴等は多い。義が暴走をしはじめると、詭弁と偽善の隠れ蓑となってしまう。義だけでも駄目なのだ。


 仁に過ぎれば弱くなり、義に過ぎれば固くなる。戦国時代の武将、伊達政宗の言葉だ。孔子もこのことは重々承知していたため、何事も過ぎたるは及ばざるが如し と中庸を良しとした。でも、高遠さんたちの行為は「仁」に偏りすぎて中庸とは言い難い。


 義を隠れ蓑にエセ右翼がいるように、仁を隠れ蓑にするNGOやボランティアのなんと多いことか。


 今回の事件で私が感じたことは、論語の「君子は義を以って上と為す。勇ありて義なきは乱を為す。小人、勇ありて義なきは盗みを為す。」だ。
 孔子の高弟、子路は「君子(立派な人)は勇気を大切にするか」と孔子に尋ねた。すると孔子はもちろん勇気は大切だと答えた。でも君子に勇気はあれど「義」が無かったら内乱になる。バカに勇気はあれど「義」がなかったら泥棒になる。


 イラク人質の3人は、仁愛に厚く、勇気もあるが、義は無い。勇気といっても匹夫の勇、すなわち無謀なだけだ。ファルージャで戦闘が行われている最中、彼らが陸路近傍を通りバグダッド入りする理由など無い。彼らは徳の低い考えの浅い小人に過ぎぬ。彼らは小人ゆえに批判されているのである。


 小人、勇ありて義なきは盗みを為すと孔子がいったように、彼ら3人の為に一体いくら税金が使われたことか・・・当然、彼らに「礼節」などないことは解放直後の映像を見れば一目瞭然であろう。かような小人の映像、特に口をモグモグさせる阿呆面が全世界に配信されていることを私は恥ずかしく思う。でも彼らには「恥」といった概念は無いであろう。だから、またイラクに行くなどと臆面もなく口に出来る。家族を含めて慎みも感謝も謝意も礼儀も何もない(事件後半から批判の多さに家族は急にしおらしくなったけどもね)。自己愛人格障害のごとく自分のことだけである。(そういや、この人、34歳で自伝を自費出版してますね)


 日本国民の大半が怒り呆れているのは、「仁」ならば何でも許されると勘違いしている高遠・今井そして家族の傲慢さにある。日本はまだまだ儒教の社会なのだ。


 しばし、王の如く自己中心的で未熟な人間(例:ボーダーライン人格障害)が「仁愛」を説き、可哀想な奴等に寄生してボランティアだNGOだにのめり込み、ボランティアに共依存して悦にふけるのはよくあることだ。


 高遠さんはマザーテレサのところでボランティアをしていたというが、マザーテレサが初来日のときに「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります」と述べたことを忘れたのだろうか。


 同じことを1200年前、比叡山延暦寺をひらいた最澄もいっている。「径寸(けいすん)十枚これ国宝に非ず、一隅を照らすこれ則ち国宝なり」一隅=身近なところを慮る人こそ国の宝だと。


 マザーテレサも最澄も、遠くの困っている人を見捨てよといっているのではない。人は万能ではない、地球の裏側の貧困を憂い、身近な貧困を無視する善意の傲慢さを諫めているのだ。


 私はもう一つの解釈として、どこの世界にも仁愛ある人間はいて、極端な貧困でない限り貧しき者達に手を差し伸べる人はいる。そうした人々を押しのけて地球の裏側からノコノコ出かけていくことは、かなり傲慢な行為ではないだろうかと考える。実際、弱者への援助が手厚いイスラム圏内は餓死が殆どなく、バグダッドのストリーチチルドレンとやらも血色よくキチンとした服を着ていて15歳以上で国籍もある。少なくとも2つの欧米NGOが援助に乗り出し、高遠さんとは規模の違う実践的な支援活動を行っている。そこに1人NGOで出かけ、野良猫に餌やるような援助をすることは単なる自己満足でしかないであろう。善意だから全てが許されるなどというのは奢りであり、傲慢なのだ。仁愛は時に傲慢不遜になりがちだからこそ「慎み」が必要なことを34歳にして自伝を自費出版する彼女は分かっているのだろうか・・・。

Posted by: tobutobu | 2004.05.22 at 03:14 PM

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