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2004.02.24

不自由を望むボクらの不可解

★「言葉」は、「うっ」「ぐっ」と唸らされた言葉を備忘録代わりに記述していこうとするもので、カテゴリー「心と体」に当面は蓄積していきます。
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 自由を犠牲になにを守る

 
★  ☆

2004.2.23づけ朝日新聞夕刊。
藤原帰一東大教授(国際政治)による「論壇時評」より。

上記の言葉は小見出し。

☆  ☆  ☆

食の問題(アメリカ産牛肉のBSE発生による輸入制限など)と9.11は似た議論があるとした評論。

ボクらが安全を求めて、そのために自由を犠牲にしてることを自覚してるのか?
国は、そのボクら国民の不安を利用して、無法な権力行使をしている。そうさせてしまっているのはボクらであることを自覚してるのか、という批判&警報&啓蒙。

テロの問題、食の問題、そして突然起こる凶悪犯罪から自らを守るための監視カメラ設置の問題。

ボクらは不安でしようがない。
だから、お上に「守ってくれ」とすがる。

しかし、それによって自らの自由を犠牲にし、国に無法な権力行使をさせてしまっている。

アメリカは現に妙な方向にいってしまった。

問題はブッシュ政権の実体ではない。
むしろ、これほど乱暴な、必要もない戦争を行う一方で市民の自由も雇用も犠牲にした政府を、多くの国民がつい最近まで支持したという点にある。

その二の舞をボクらはまた犯しつつある・・・・かもしれない。

怖い

☆  ★  ★

以下、この評論のポイントをピックアップ。
どこまで国に委ね自由を犠牲にするか、どこまではリスクを自分たちで了解し国の横暴を許さないか。自らの自由を守るか。
それらをしっかりと考えるために、引用。

どれほど漠然とした脅威であっても事件が起これば想像を絶する被害が生まれるだけに、テロもBSEも放置することできない。
テロ対策としてアフガニスタンが空爆され、BSEのおそれが残る限りアメリカ産の牛肉はあきらめなければならない。安全確保のためには普通では考えにくいほど強気の政策がとられ、国民も受け入れるのである。

だが安全確保の代償は大きい。

食品の場合、食の安全のためどこまでの代償を負担すべきか議論はできるし、食生活は変えることができるだろう。
だが、テロ対策の場合はそうではない。国民の安全という目的は、どんな犠牲を払っても実現しなければならないからだ。
そして、目的達成のためには、国民の自由も当然のように制限されてしまう。

生活の安全を国民が求めるのはごく当然だろう。だがここで起こっていることは、国民の安全が確保される政治と言うよりは、国民の不安を利用することで無法な権力行使が横行する事態なのである。

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